長野県北部地震[2][3](ながのけんほくぶじしん)は、2011年(平成23年)3月12日3時59分ごろ、長野県北部と新潟県中越地方に跨る地域、長野県下水内郡栄村と新潟県中魚沼郡津南町との県境付近で発生した地震[4]。逆断層型の内陸地殻内地震で[4]、マグニチュード (M) 6.7 (Mw6.4)、最大震度6強。本震に続いてM5以上の2回の余震が2時間内に相次いで発生した[5]。
新潟・長野県境地震[N 2]、信越地震[N 3]ともいう。最も大きな被害の出た長野県下水内郡栄村ではこの地震を栄村地震[6]、その地震被害を栄村大震災[7]と呼ぶ場合がある。
概要
発震機構は、北西 - 南東方向に圧力軸を持つ逆断層型[8]で、地殻内の浅い大陸プレート内地震。3月12日9時までの余震分布域は、本震を中心として北北東方向 - 南南西方向に約17kmの距離と深さ4kmから10kmの地域に集中している。十日町断層帯と信濃川断層帯の中間に位置する地域での変位が大きく、既知の活断層の活動ではない。なお、断層の方向を正断層と考える研究もある[9]。また、4月12日には3月12日の震央から南に20km離れた地点でM5.6、震源の深さ0km、最大震度5弱の地震が発生した。この地震の発震機構解は北北西-南南東圧縮の横ずれ断層型で別の断層の活動と考えられる[10]。
2004年(平成16年)の新潟県中越地震と1847年(弘化4年)の善光寺地震の震源域の中間付近に存在していた新潟-神戸歪集中帯の空白域を埋めた地震で、東京大学地震研究所や産業技術総合研究所の研究者らにより発生が予見されていた[11][12][13]。
この他、本地震および一連の余震の特徴として、潮汐に関係するとみられる地震が全体の約50%と通常より高い相関がみられている[N 4]。
前日に起きた東日本大震災の被害状況すら全く分かっていない状態での今回の地震であり、さらには内陸という異なる地帯での大地震であったため、国民に大きな衝撃を与えた。
地殻変動
新潟県十日町市松之山観測点が北東に39cmの地殻変動[4]。震動に伴う斜面の崩落や地滑りは規模の割に少なかったが、2 - 3mの積雪により地滑りが抑制されたと考えられる[14]。
各地の震度
栄村大地震による最大震度を都道府県別に色付け
気象庁発表の推計震度分布図
震度5弱以上以上の揺れを観測した地域は以下の通り[1]。
北は秋田県仙北市、西は兵庫県西宮市で震度1を観測するなど、東北地方から近畿地方にかけて震度4 - 震度1の揺れを観測した。なお、地震直後に発表された気象庁の推計震度分布図(画像参照)では、長野県と新潟県の県境において震度7を推計していたが、後日精査した震度および震源データを用いて再作成した際に修正されている[15]。
余震
長野県北部の他には、新潟県中越地方の南部でも今回の地震による余震が発生している[16]。主な地震は以下の通り。
発生年
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発生日
|
発生時刻
|
震央
|
震源の深さ
|
地震の規模
|
最大震度
|
最大震度観測地
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備考
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2011年
|
3月12日
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午前3時59分
|
長野県北部
|
8km
|
M6.7
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震度6強
|
栄村
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本震
|
午前4時31分
|
長野県北部
|
1km
|
M5.9
|
震度6弱
|
栄村
|
最大余震
|
午前5時42分
|
長野県北部
|
4km
|
M5.3
|
震度6弱
|
栄村
|
余震
|
午後11時34分
|
長野県北部
|
5km
|
M3.7
|
震度5弱
|
栄村
|
4月12日
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午前7時26分
|
長野県北部
|
0km
|
M5.6
|
震度5弱
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栄村・木島平村
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4月17日
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午前0時56分
|
新潟県中越地方
|
8km
|
M4.9
|
震度5弱
|
津南町
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6月2日
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午前11時33分
|
新潟県中越地方
|
6km
|
M4.7
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震度5強
|
十日町市
|
他の地震との関連
本地震は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の翌日(13時間後)に発生したもので、活断層による内陸直下型が海溝型の巨大地震に誘発されて起きた遠方誘発地震と考えられている[17][18]。なお、本地震から3日後の15日には、本地震と同様に東北地方太平洋沖地震に誘発されたと考えられる静岡県東部地震が発生している(「東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録」も参照)。
また、同年6月30日には長野県中部(松本市付近)でM 5.4、最大震度5強の地震が発生しているが、これも長野県北部地震の余震ではなく、東北地方太平洋沖地震の遠方誘発地震と考えられている。
主な被害
長野県栄村の被害総額(住宅を除く)、55億円[19]。新潟県の公共土木施設の被害額、37億円[20]。
被害の状況(2012年9月4日現在、新潟県・長野県・栄村による集計ほか)
地域 |
人的被害 |
住宅被害 |
非居住構築物
|
死亡 |
軽傷 |
重症 |
全壊 |
半壊 |
一部損壊 |
全半壊
|
新潟県
|
長岡市 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
21 |
1
|
柏崎市 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2
|
十日町市 |
0 |
9 |
0 |
21 |
103 |
729 |
105
|
上越市 |
0 |
3 |
1 |
2 |
17 |
184 |
44
|
南魚沼市 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
9 |
5
|
津南町 |
0 |
37 |
0 |
6 |
45 |
628 |
206
|
長野県
|
栄村 |
3[N 1] |
10 |
0 |
33 |
169 |
492 |
290
|
飯山市 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
14 |
0
|
野沢温泉村 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0
|
長野市 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
合計 |
3 |
66 |
1 |
63 |
334 |
2080 |
653
|
交通機関
- 飯山線
- 国道117号
- 橋梁損傷・路面損傷 計24箇所
- 飯山市市川橋 - 新潟県境 通行止め
- 百合居橋左岸清水河原 スノーシェッド崩落により通行止め
- 飯山市西大滝 スノーシェッド路肩崩落
- 津南町小下里地内 雪崩により通行止め
- 栄大橋 橋桁がずれ通行止め
- 国道405号
- 津南町見玉地籍 雪崩により通行止め
- 津南町清水川原地籍 落石により通行止め
- 国道353号
- 栄村村内の県道(長野県)
人的被害
- 死者は栄村で3名、いずれも地震後の避難生活中の災害関連死と認定されている[N 1]。怪我人は新潟県内31名、長野県内15名、ただし軽傷。
- 秋山地区を除く栄村全域(804世帯2042人)に避難指示[21](村の総人口の90%)、一時約1700名余が避難[N 5]。
- 秋山地区(秋山郷)で道路寸断により約300名が一時孤立した。
その他
- 地震動により雪崩が誘発され、33棟が全壊、152棟が半壊[N 6]。
- 栄村のほぼ全域で断水したが、3月19日までに復旧。ただし、森地区の「森簡易水道」は水源地での土砂崩落により、復旧は絶望的。
- 中条川上流部・東入沢川沿で山崩れによる河道閉塞と土石流が発生。
- 長野県県宝「阿部家住宅」損壊。
- 大巻川流域で全層雪崩・斜面崩壊 3箇所。
対応
- 3月12日
- 6:00 栄村災害対策本部設置。
- 11:00 京都市消防局より派遣された消防ヘリコプターにより被害調査。
- 11:00 秋山地区を除く村内全域の804世帯 2042人に避難指示を発令。
- 3月21日 栄村一部地域を除き、避難指示を解除。
- 4月1日 長野県による栄村生活再建支援本部設置。
- 4月6日 栄村全域の避難指示を解除。
- 4月15日 栄村村内2箇所に計40戸の仮設住宅建設開始。後日、15戸追加。
- 5月14日 栄村仮設住宅への入居開始。
支援活動
法的措置
報道
ジェイ・キャストによれば、この地震の被害状況は被災地を除く全国では少ない頻度で伝えられた。みのもんたは『みのもんたの朝ズバッ!』で「これだけの被害が出ているとは、私たちも気づかなかった」と述べている[N 3]。
長野市長の鷲沢正一は2011年4月26日の定例記者会見で、風評被害と栄村のためを考えて地震の呼称に「長野県北部地震」を使わず「栄村地震」と表現する市の方針を発表し、マスコミや県に同様の対応を望む考えを示した。会見では、松代群発地震の気象庁の命名の際に風評被害の増加の恐れから「北信地震」から「松代地震」に範囲が限定されたことを前例として挙げた[23]。
その他
- この地震の震源付近では、2018年(平成30年)5月25日の午後9時13分ごろに、M5.2の地震が発生し、栄村で震度5強の強い揺れを観測した[24]。
- 飯山市西大滝地区に7体の地蔵があるが、地震の影響により土台を固めた1体を除いて6体が栄村の方向を向いた[25]。
脚注
注釈
出典(新聞・ニュース)
出典(その他)
関連項目
外部リンク
自治体
その他
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6月 | |
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7月 | |
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8月 | |
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9月 | |
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10月 | |
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11月 | |
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12月 | |
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地震の発生日時はUTC |
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1885年 - 1899年 |
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1885年 - 1889年 | |
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1890年 - 1899年 | |
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1900年 - 1949年 |
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1900年 - 1909年 | |
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1910年 - 1919年 |
- 喜界島(1911年、M8.0)
- 日高沖(1913年、M7.0)
- 桜島(1914年、M7.1)
- 秋田仙北(1914年、M7.1)
- 石垣島北西沖(1915年、M7.4)
- 十勝沖(1915年、M7.0)
- 宮城県沖(1915年、M7.5)
- 明石海峡(1916年、M6.1)
- 静岡(1917年、M6.3)
- 択捉島沖(1918年、M8.0)
- 大町(1918年、M6.1+M6.5))
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1920年 - 1929年 | |
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1930年 - 1939年 | |
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1940年 - 1949年 | |
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1950年 - 1999年 |
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1950年 - 1959年 | |
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1960年 - 1969年 | |
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1970年 - 1979年 | |
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1980年 - 1989年 | |
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1990年 - 1999年 | |
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2000年 - |
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2000年 - 2009年 | |
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2010年 - 2019年 | |
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2020年 - | |
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