地震調査委員会 による分類の地図。宮城県沖の位置。
宮城県沖地震 (みやぎけんおきじしん)は、日本の宮城県 東方沖を震源 とする地震 。特に日本海溝 (海洋プレート と大陸プレートの境界部分)の大陸プレート側を震源として周期的に発生するマグニチュード M 7.5前後の地震を指す。
概要
東北地方 などがのる北アメリカプレート の下に、同地方の東方沖で海洋プレートの太平洋プレート が沈み込んでいる(東北地方がのるプレートはアリューシャンプレート またはオホーツクプレート とする説もあるが、いずれも北アメリカプレートと同系列、あるいは広義には同じとみなせる)。
この両プレート間で両側のプレートから圧縮を受けて歪みが生じ、プレート間に存在する活断層 が活動することによって発生する地震の内、牡鹿半島 沖を震源とするマグニチュード M 7.1-7.4 前後の地震が繰り返し発生している。平均発生間隔は約38年である。また、陸よりと海溝よりの2つのアスペリティがあると考えられていて、宮城県沖地震には1930年代の地震のように時間をおいて複数のアスペリティ が別々にすべる場合と、1978年の地震のように同時にすべる場合があると考えられている。過去の地震の規模から別々にすべった場合は M 7.1-7.4、同時にすべった場合はM 7.4前後になるとみられる[1] 。なお、宮城県沖地震の想定震源域のプレート面では毎日何度も地震が発生しているが、ほとんどが無感地震(震度 0)である[2] 。東北大学の解析によると、2011年の東日本大震災以降のプレート内地震を調べた結果、宮城県沖に「未破壊域」と呼ばれる地震が起きていないところがあり、この部分にはひずみがたまっているとみられ、地震が起こりやすい可能性があるとしている。
宮城県沖地震は、これまで25-40年という比較的短い間隔で周期的に発生している。また三陸沖南部海溝寄りの地震と連動した場合、M8.0前後の地震になるといわれる。このタイプの地震は、過去の記録などから1793年に起きたとみられている。
一方、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 は三陸沖 を震源とするものの、北は岩手県沖から南は茨城県沖まで広範囲の震源域における連動型地震 となっており、地震予知連絡会 や国の地震調査研究推進本部 も「想定される宮城県沖地震も同時に発生した」との見解を示している[3] [1] 。地震調査研究推進本部は、このような複数の震源域が連動する地震は、平均約600年間隔で発生していると推定した。過去の地震の規模からモーメントマグニチュード (Mw)8.4-9.0前後の地震になるとみられる[1] 。
なお、地震保険 において、宮城県は2等地(4等級のうち、危険度が低い方から2番目の等級)となっており、三大都市圏 よりも危険度は低いと見積もられているが[4] 、地震保険の世帯加入率は愛知県、東京都に次いで全国で3番目に高い[5] 。
主な地震
下の表は宮城県沖地震であるとされた地震、および宮城県沖地震の想定震源域と他の震源域が連動して発生したと考えられる地震の発生履歴である[6] 。地震の詳細は下記参照。
発生年月日
間隔(平均36.4年)
規模
備考
869年7月13日
M8.4以上
他の震源域と連動(貞観地震 )
1793年2月17日
M8.2前後
他の震源域と連動(寛政地震 )
1835年7月20日
前の地震から42.4年
M7.0前後
1861年10月21日
前の地震から26.3年
M7.3
1897年2月20日
前の地震から35.3年
M7.4
1933年6月19日
前の地震から36.3年
M7.1
複数のアスペリティが別々にすべるタイプ。浅い地震
1936年11月3日
前の地震から6.4年
M7.4
複数のアスペリティが別々にすべるタイプ
1937年7月27日
前の地震から0.7年
M7.1
複数のアスペリティが別々にすべるタイプ。深い地震
1978年6月12日
前の地震から41.6年
M7.4
2005年8月16日
前の地震から27.2年
M7.2
複数のアスペリティが別々にすべるタイプ
2011年3月11日
前の地震から5.6年
M9.0
他の震源域と連動(東北地方太平洋沖地震 )[3]
1793年2月17日
寛政地震(1793年)の震度分布
1793年 2月17日 (寛政 5年1月7日 )14時頃、北緯38.5度、東経144.5度付近を震源とするM8.0-8.4程度の地震が発生した。他の震源域と連動して宮城県沖地震も発生したとみられる。
死者100人程度。損壊家屋1,000戸以上。津波あり。
1835年7月20日
1835年 7月20日 (天保 6年6月25日 )14時頃、北緯38.5度、東経142.5度付近を震源とするM7.0前後の地震が発生した。
死者多数。仙台城 が損壊した。津波ありとするも別の地震を混同した疑いあり[8] [9] 。
1861年10月21日
1861年 10月21日 (文久 元年9月18日 )4時頃、北緯38.5度、東経142.0度付近を震源とするM7.3の地震が発生した。
死傷者あり。北海道太平洋側から三陸に津波あり。江戸 も揺れを感じた。
1897年2月20日
1897年 (明治 30年)2月20日 5時50分頃、北緯38.1度、東経141.9度付近を震源とするM7.4の地震が発生した。「仙台沖地震」ともいう[11] 。
家屋損壊あり。同日8時47分頃にも強い余震 。
8か月前に発生した明治三陸地震 の誘発地震 と考えられている。また、この地震から約5ヶ月半後の同年8月5日に三陸沖でM7.7の地震 が発生した。
1933年6月19日
1933年 (昭和 8年)6月19日 6時37分頃、北緯38.1度、東経142.5度付近を震源とするM7.1の地震が発生した。
現在の岩手県宮古市 、宮城県仙台市 宮城野区 などで最大震度4を観測した。小規模な津波あり。
各地の震度
震度4以上の揺れを観測した地点は以下の通り。
1936年11月3日
1936年 (昭和 11年)11月3日 5時45分57秒、北緯38度15.7分・東経142度3.7分の宮城県沖を震源とするM7.4(Mw 7.2)の地震が発生した。「金華山沖地震」ともいう[13] 。
現在の宮城県石巻市 、仙台市 、福島県いわき市 で最大震度5を観測した。死者はなく、負傷者4人。家屋被害も全壊3戸、半壊2戸にとどまり、同じ規模の1978年宮城県沖地震 に比べて被害は極めて小規模だった。
各地の震度
震度4以上の揺れを観測した地点は以下の通り。
1937年7月27日
1937年 (昭和 12年)7月27日 4時56分32秒、北緯38度7.3分・東経142度0.0分の宮城県沖を震源とするM7.1(Mw7.2)の地震が発生した。
各地の震度
震度4以上の揺れを観測した地点は以下の通り。
1978年6月12日
1978年 (昭和 53年)6月12日 17時14分25秒、北緯38度9.0分、東経142度10.0分の宮城県沖を震源とするM7.4の地震が発生した。
(陸側のアスペリティを破壊)[14]
2005年8月16日
震度分布図
2005年 (平成 17年)8月16日 11時46分25秒、北緯38度8.9分、東経142度16.6分の宮城県沖を震源とするM7.2(Mw7.1)の地震が発生した。宮城県や国土交通省 はこの地震を8・16宮城地震 と呼称している[15] [16] 。
宮城県川崎町 で最大震度6弱を観測した。地震による揺れは、北は北海道から西は徳島県までの広い範囲で有感(震度1以上)となった。志津川町 (現南三陸町 )で40cmの津波を観測した[16] 。
この地震により100名が重軽傷を負ったものの、死者は出ていない[16] 。仙台市のスポーツ施設「スポパーク松森 」の屋内プールで天井が9割方崩落、20人以上が負傷[16] 。また、震度4を観測した埼玉県加須市 で民家1棟が全壊した。他に福島・宮城など4県で住宅の一部破損984棟の被害が出た[17] 。仙台市地下鉄 ・東北新幹線 ・秋田新幹線 ・山形新幹線 が全線で運行停止した(このうち東北新幹線・秋田新幹線・山形新幹線は終電までダイヤが乱れお盆のUターンラッシュ に影響を及ぼした)。
この地震について、当時政府の地震調査委員会 は、想定されていた宮城県沖地震ではないという見解を示したが、2011年の評価では宮城県沖地震の一つであるとした[1] 。これは、後の調査で宮城県沖地震の3つ程のアスペリティ のうち南側の1つが滑ったもので、宮城県沖地震の部分的再来であった とする研究を反映したものである[18] 。但し、想定されていたアスペリティの一部のみを破壊しただけで、滑り残しが有るとされていた[19] 。
この地震では緊急地震速報 が作動し、仙台市では揺れの来る14秒前、震度3を観測した東京都千代田区 大手町 では70秒前に情報が流れたとされる[20] 。
NHK は地震発生後の11時49分に全放送波通常放送を強制打ち切りにさせたうえで(八波全中)、地震関連のニュースに切り替え[21] 、ニュースセンターから武田真一 アナウンサーが地震の第一報を伝えた。また、テレビ東京 系を除く民放各局 は番組の途中に地震関連のニュースを臨時で放送した。
余震 活動は年内いっぱい続き、12月にはM6クラスの余震が発生している。この余震ではシステム障害で震度の入電が遅れるトラブルがあった[22] 。
各地の震度
震度5弱以上の揺れを観測した地点は以下の通り[23] 。
2011年3月11日
2011年 (平成 23年)3月11日 14時46分18秒、北緯38度6.2分、東経142度51.6分の三陸沖を震源とするMw9.0の東北地方太平洋沖地震が発生した。震源域は宮城県沖も含み、岩手県沖から茨城県沖まで広範囲に及んでいる。地震予知連絡会 は同年4月26日、「3月11日の本震発生時には想定されている宮城県沖地震も起きていた」との見解を示した[3] 。
また宮城県沖に区分される範囲では、本震発生後にも後述 の余震 を始め、多数の余震が発生している。
その他の宮城県沖を震源とする地震
以下の地震は、宮城県沖を震源とするものの、地震の規模や種類により宮城県沖地震に分類されない地震である。
1855年
1855年 9月13日 (安政 2年8月3日 )、北緯38.1度、東経142.0度付近を震源とするM7.3前後の地震が発生した。
負傷者あり。
1898年
1898年 (明治 31年)4月23日 8時37分頃、北緯38.6度、東経142.0度付近を震源とするM7.2の地震が発生した。
小規模な津波あり。
1915年
1915年 (大正 4年)11月1日 16時24分頃、北緯38.3度、東経142.9度付近を震源とするM7.5の地震が発生した。
津波あり。
2003年
2003年 (平成 15年)5月26日 18時24分33秒、北緯38度49.2分、東経141度39.0分の宮城県沖を震源とするM7.1の地震が発生した。
2011年
2011年 (平成23年)4月7日 23時32分43秒、宮城県沖を震源とするM7.2の地震が発生し、宮城県で震度6強を観測した。この地震は、同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 の余震 とみられる。
2021年
2021年 (令和 3年)3月20日 18時9分頃に、宮城県沖を震源とするM6.9の地震が発生し、宮城県で震度5強を観測した。この地震は、東北地方太平洋沖地震の余震とみられる。
同年5月1日 10時27分頃にも、宮城県沖を震源とするM6.8の地震が発生し、宮城県で震度5強を観測した。気象庁 は3月の地震との関連について、震源の位置が約40 km離れていることから関連は不明としている[24] 。一方で東京大学地震研究所 教授の古村孝志 は、3月に発生した地震の余震と見ることもできると分析している[25] 。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
1793年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
地震の発生日時はUTC
1750年 - 1799年
1750年 - 1759年 1760年 - 1769年 1770年 - 1779年 1780年 - 1789年
庄内 (1780年、M7.0)
天明小田原 (1782年、M7.0)
阿波 (1789年、M7.1)
1790年 - 1799年
島原半島 (1792年、M6.4)
後志 (1792年、M7.1)
西津軽 (1793年、M7.0)
寛政 (1793年、M8.2)
金沢 (1799年、M6.0)
1800年 - 1849年
1800年 - 1809年 1810年 - 1819年
羽後 (1810年、M6.5)
神奈川 (1812年、M7.0)
文政近江 (1819年、M7.3)
1820年 - 1829年 1830年 - 1839年 1840年 - 1849年
1850年 - 1884年
1850年 - 1859年 1860年 - 1869年 1870年 - 1879年 1880年 - 1884年
1885年 - 1899年
1885年 - 1889年 1890年 - 1899年
1900年 - 1949年
1900年 - 1909年 1910年 - 1919年
喜界島 (1911年、M8.0)
日高沖 (1913年、M7.0)
桜島 (1914年、M7.1)
秋田仙北 (1914年、M7.1)
石垣島北西沖 (1915年、M7.4)
十勝沖 (1915年、M7.0)
宮城県沖 (1915年、M7.5)
明石海峡 (1916年、M6.1)
静岡 (1917年、M6.3)
択捉島沖 (1918年、M8.0)
大町 (1918年、M6.1+M6.5) )
1920年 - 1929年 1930年 - 1939年 1940年 - 1949年
1950年 - 1999年
1950年 - 1959年 1960年 - 1969年 1970年 - 1979年 1980年 - 1989年 1990年 - 1999年
2000年 -
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