日向灘地震(ひゅうがなだじしん)とは、日向灘を震央として起きる地震である。日向地震(ひゅうがじしん)とも呼称される。この地域は沈み込み帯である南海トラフの西端に位置し、海溝型地震や海洋プレート内地震が起こる[1]。1919年以降の精度の良いデータによると、マグニチュード(M)7.0から7.5程度の地震が20年に一度程度の割合で発生している[1]。
この海域は、他の南海トラフの海域と同様に陸側のプレート[注釈 1]の下に海洋プレートであるフィリピン海プレートが潜り込む運動を継続している沈み込み帯。平均的な方向として、陸側のプレートが海洋プレートに対して相対的に東南東にずれ動くプレート間地震が起きている[3]。
宮崎県沖から大分県南東沖にあたる日向灘の海域では大地震が何度も発生していて、M7を超える地震が17世紀以降に8回、1919年から2021年の間では5回発生している。知られている過去最大の地震は1662年の地震 (M7.6)(外所地震の呼称もある)。M8.0程度の巨大地震の発生は知られていないが、1662年の地震 (M7.6)が巨大地震だった可能性を唱える説もある[3]。なお、この領域で同じ震源域で繰り返し発生するタイプの地震は知られておらず、日本政府の地震調査研究推進本部地震調査委員会は、日向灘の地下の領域内のどこかで(ランダム的に)起こる地震とみなして確率評価を行った[3]。過去の発生履歴の精査と将来の発生確率の算出を行う地震調査委員会による長期評価は、2004年に初版が公表され、2022年に改訂した第二版が公表されている[3]。
地震調査委員会の2022年の長期評価(以下、「2022年長期評価」と略記)では、日向灘の地震を規模により2つのタイプに分け、M8.0程度の巨大地震と、M7.0 - 7.5程度のひとまわり小さい地震について発生確率を発表している。2タイプはともに、陸側のプレートとフィリピン海プレートの境界面で起こる低角逆断層(衝上断層)型のプレート間地震(海溝型地震)だけではなく、海洋プレート内地震も包含した確率評価である。その理由は、この領域は震源決定の精度が高くなく、地震観測網が密ではなかった時期の地震はプレート間地震かプレート内地震かの特定が難しいことによる[3]。
日向灘の大地震が発生した場合、揺れによる被害は主に宮崎県、大分県、鹿児島県東部や熊本県東部、高知県西部などで生じ、震源域が浅い場合の津波の被害は宮崎県、大分県、鹿児島県、高知県などに広がることが予想されている[4][5][6][7][8][9]。
上の評価における「日向灘」の領域は、南海トラフのうち都井岬沖から足摺岬沖に設定されており、南海トラフ地震の長期評価(2013年)における領域(Z領域、日向海盆)と同じものとなっている[10][11]。都井岬・足摺岬は海岸線が南に突き出しており、震源域の境となりやすい。また日向灘の南海トラフは琉球海溝に繋がっているが、その境界付近では九州・パラオ海嶺の沈み込みによりフィリピン海プレートの地殻の厚さに大きな変化がみられ、プレートの構造変化が示唆されるとの報告がある。これらが境界設定の理由となっている[12]。震源域の深度は0 - 約60kmとされた[13]。改訂前の地震調査委員会の2004年の長期評価(以下、「2004年長期評価」と略記)では、南東側の沖、南海トラフの海溝軸[注釈 2]に近い幅50km程度は領域から除かれていた[14]。
2004年長期評価では、日向灘の地震をマグニチュード (M) 7.6前後の地震と、M7.0 - 7.2程度の地震の2タイプに分け、ともに深さ10 - 40km付近のプレート間地震(海溝型地震)として想定を行っていた[15][16]。改訂された2022年長期評価では、過去最大である1662年の地震 (M7.6)がM8程度の巨大地震である可能性を鑑みて、このクラスの地震をひとつのタイプとして追加した。一方、他地域の海域地震の評価を参考にしてM7クラス前半のものは統合して評価することに変更し、前回の2タイプを1つに合わせた。また、震源決定精度などに起因する発生様式特定の難しさ(先述)を考慮して、発生様式に海洋プレート内地震も加えた。これにより、2004年長期評価では海洋プレート内地震の可能性がある1984年の地震 (M7.1)を含めるか否かを考慮して発生確率も幅のある値となっていたものが、1984年の地震 (M7.1)も明確にカウントに含めることになり幅がなくなっている[16]。
2022年長期評価では、1919年から2021年の間に発生した1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)、1968年 (M7.5)、1984年 (M7.1)の5回の地震を基に算定し、「日向灘のひとまわり小さい地震」(M7.0 - 7.5程度)は20.6年に1回の頻度で起こると推定した[18]。また、1662年の地震 (M7.6)が巨大地震だった可能性も考慮しつつ、1600年以降に日向灘のみを震源域とするM8クラスの巨大地震の発生は知られていないことから、「日向灘の巨大地震」(8.0程度)の発生頻度は不明と推定した[18]。
改訂前の2004年長期評価では、M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定し、17世紀以降では1662年 (M7.6)と1968年 (M7.5)の2回が該当するとみなしていた。また、M7.0 - 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定し、1923年以降は1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)の3回、ないし1984年 (M7.1)を含めて4回が該当するとみなしていた[19]。
南海トラフの地震では、2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生後、連動型地震などの知見を取り入れて見直した評価が2013年に発表されている。この評価では、有史最大規模の南海トラフ巨大地震である1707年宝永地震について、九州東部の津波が高いことから日向灘も震源域となった可能性もあるとされたが、確定には至っていない[20][16]。
日向灘付近を震央とする地震のうち、死者が報告されている被害地震、M7.0以上の地震、および最大震度5(5弱)以上の地震を示す。
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なお、宮崎県や大分県などの沿岸では、日向灘地震だけではなく、南海地震など近傍の海溝型地震に伴う地震動や津波によっても、過去幾度も被害が発生している。1854年安政南海地震 (M8.4)や1946年昭和南海地震 (M8.0)などでは九州でも津波の被害が生じており、1901年奄美大島近海地震 (M7.5)では宮崎県細島で20cm強の潮位変動を観測している[22][53]。
地震調査委員会の2005年の報告では、四国に比較的近い日向灘北部を震源とする1968年の地震 (M7.5)のタイプの場合、高知県沖の島で最大の震度6弱、四国南西端、宮崎市や延岡市など宮崎県沿岸の平野部で震度5強となると推定した。一方、九州に比較的近い宮崎市東方沖が震源と考えられている1662年の地震 (M7.6)のタイプの場合、宮崎県沿岸の平野部で最大の震度6弱、その周囲などで震度5強となり九州では前者よりも強い揺れになると推定した[54]。
宮崎県による2003年の地震被害想定では、地震調査委員会よりも陸地寄りの地域を震源域に設定し、同県沿岸の平野部で最大震度6強、地盤の弱いところでは局地的に震度7となると推定した。また津波は、日向灘南部を震源とする場合、南郷町で5m超、日南市で4.2mをはじめ各地で3 - 2mの波高、宮崎市で20km3、日向市で15km3、延岡市で14km3が冠水する一方、日向灘北部を震源とする場合、新富町で4.9m、日向市で4.2mをはじめ各地で4 - 2mの波高、日向市で24km3、延岡市で19km3、宮崎市で12km3が冠水すると推定した。また被害は最大のケースで、宮崎県内の死者約910人、重傷者約1,800人、長期避難者157,000人、建物被害(全壊・大破)23,000棟、建物焼失16,000棟などと推定した[55]。
この想定に対して宮崎県は、平成18年度(2004年度)の防災計画において、平成27年度(2015年度)までの10年間に想定死者を半減させることを目標として、防災意識啓発、自主防災組織支援、耐震化の推進、津波避難の啓発、全市町での津波ハザードマップの作成などを計画している[56]。
また、鹿児島県による1995-1996年の地震被害想定では、宮崎県よりも地震の規模を大きくM7.8と設定し、同県内では大隅半島や種子島などの地盤の弱いところで震度6弱になると推定した。また被害は同県内で死者約260人、建物大破約3,500棟、建物焼失3棟などと推定した[57]。
684年白鳳地震 - 887年仁和地震 - 1096年永長地震 - 1361年正平地震 - 1498年明応地震 - 1707年宝永地震 - 1854年安政東海地震・1854年安政南海地震 - 1944年東南海地震・1946年南海地震
1099年康和地震 - 1605年慶長地震
東海地震 - 東南海地震 - 南海地震 - 日向灘地震
東海・東南海・南海地震
南海トラフ地震に関連する情報 - 南海トラフ巨大地震対策特別措置法 - 南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会