紀伊大和地震(きいやまとじしん)とは、1899年(明治32年)3月7日に発生したマグニチュード6.9から7.0の地震である[2]。奈良県と三重県の県境付近の深さ40から50キロメートルほどのフィリピン海プレート内での地震であったとされている[3][4]。
この地震では主に三重県などの近畿地方南部に被害が出た。特に三重県南部では、尾鷲市などで死者7人、負傷者62人、35軒の家屋が全壊し[5]、道路決壊が50箇所で発生した[6]。
出典
関連項目
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1885年 - 1899年 |
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1885年 - 1889年 | |
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1900年 - 1949年 |
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1900年 - 1909年 | |
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1910年 - 1919年 |
- 喜界島(1911年、M8.0)
- 日高沖(1913年、M7.0)
- 桜島(1914年、M7.1)
- 秋田仙北(1914年、M7.1)
- 石垣島北西沖(1915年、M7.4)
- 十勝沖(1915年、M7.0)
- 宮城県沖(1915年、M7.5)
- 明石海峡(1916年、M6.1)
- 静岡(1917年、M6.3)
- 択捉島沖(1918年、M8.0)
- 大町(1918年、M6.1+M6.5))
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1920年 - 1929年 | |
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1950年 - 1959年 | |
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