三次市(みよしし)は、広島県の北部に位置する市。
概要
中国地方の中心部に位置している市である。
江の川の支流が三次盆地で合流するため、河港として栄え、古くから山陰-山陽を結ぶ文化・経済・交通の要衝の地として機能してきた。
現在でも、中国自動車道・中国やまなみ街道(尾道自動車道・松江自動車道)・芸備線など三次市を中心に放射状の交通網が整備されている[1]。
広島県内に降る雨の約3分の1が集まっており、豊かな水に恵まれている。
河川の合流により晩秋から早春にかけこの地方では霧が生じやすく、地元では霧の町と呼び霧の海にたとえられる[2]。
三次市の中心部は、中国山地と吉備高原の間に位置する標高150~250mの三次盆地である。中心地の三次町はかつて「五日市」とも呼ばれ、江戸時代に広島藩の支藩、三次藩の城下町だった時期もあり[3]、市街地の旧街道には卯建のある商家が並び、数多くの史跡や忠臣蔵ゆかりの古寺などが存在している。
三次駅のある現在の都心地区は、かつては「十日市町」という別の市町村で、西側に位置する城下町、三次町(五日市)と対応する「市(いち)」として発展してきた。三次町と十日市町とで双子都市圏を形成している[4]。
地名の由来
「三次(みよし)」の地名は、古代からの郡名によるもので、由来は諸説ある。
- 『和名抄』三次郡の項目に見られる、「上次・播次・下次」の三郷を合わせて「三次」と呼んだとする説[5]
- 河川の集まる地という意味の「水寄(みよせ)」が訛ったとする説
- 「水(み)」と古い朝鮮語で「村」を意味する「すき」があわさって「水村(みすき)」となり、その後「みよし」に転じたという説[1]
- いずれにしても古代より交通の要所であった証跡を伝えている。
地理
- 初代三次市発足前は、馬洗川に架かる巴橋をはさんで、北側が三次町、南側が十日市町と独立した地方自治体でいわゆる双子町と言われる市街形態だった。
- 面積は2004年(平成16年)に周辺6町村と合併したときから近隣の6自治体と合併した新・庄原市が2005年(平成17年)に誕生するまでの1年間、中国地方の市では最大だった。
位置
- 三次市は中国地方のほぼ真ん中に位置し、北部に中国山地を見上げ、南には平坦な農業地帯を有する。隣接する庄原市とともに備北地方と呼ばれる県北地域を形成する。
地形
山地
- 主な山
河川
- 主な川
- 江の川本流可愛(ごうの)川、及びその支流、馬洗(ばせん)川・西城(さいじょう)川・神野瀬(かんのせ)川が交わる盆地を中心とした地域。
気候
中国山地の内陸性気候。盆地のため夏の日中は気温が上がりやすいものの熱帯夜は非常に少ない。冬の気温は仙台市や福島市などの東北地方の県庁所在地と同じくらいであり比較的寒い。冬季には多量の降雪がある旧君田村・旧布野村・旧作木村域は豪雪地帯に指定されている。市街地でも年に数回は積雪30cm程度のまとまった雪が降る。
三次(三次町)の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
16.6 (61.9)
|
21.1 (70)
|
24.8 (76.6)
|
31.1 (88)
|
33.3 (91.9)
|
35.3 (95.5)
|
37.9 (100.2)
|
37.8 (100)
|
36.9 (98.4)
|
30.4 (86.7)
|
26.3 (79.3)
|
20.8 (69.4)
|
37.9 (100.2)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
6.8 (44.2)
|
8.4 (47.1)
|
13.0 (55.4)
|
19.3 (66.7)
|
24.3 (75.7)
|
27.1 (80.8)
|
30.6 (87.1)
|
32.1 (89.8)
|
27.6 (81.7)
|
21.8 (71.2)
|
15.5 (59.9)
|
9.0 (48.2)
|
19.6 (67.3)
|
日平均気温 °C (°F)
|
1.9 (35.4)
|
2.8 (37)
|
6.3 (43.3)
|
11.9 (53.4)
|
17.1 (62.8)
|
21.2 (70.2)
|
25.1 (77.2)
|
25.9 (78.6)
|
21.6 (70.9)
|
15.1 (59.2)
|
9.0 (48.2)
|
3.9 (39)
|
13.5 (56.3)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
−1.4 (29.5)
|
−1.3 (29.7)
|
0.9 (33.6)
|
5.2 (41.4)
|
10.7 (51.3)
|
16.4 (61.5)
|
21.0 (69.8)
|
21.6 (70.9)
|
17.3 (63.1)
|
10.6 (51.1)
|
4.7 (40.5)
|
0.5 (32.9)
|
8.8 (47.8)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−10.8 (12.6)
|
−12.5 (9.5)
|
−7.5 (18.5)
|
−3.6 (25.5)
|
0.2 (32.4)
|
7.2 (45)
|
10.7 (51.3)
|
13.2 (55.8)
|
5.7 (42.3)
|
0.5 (32.9)
|
−2.3 (27.9)
|
−10.2 (13.6)
|
−12.5 (9.5)
|
降水量 mm (inch)
|
74.2 (2.921)
|
73.0 (2.874)
|
103.5 (4.075)
|
104.4 (4.11)
|
135.8 (5.346)
|
186.1 (7.327)
|
245.5 (9.665)
|
141.9 (5.587)
|
162.5 (6.398)
|
94.3 (3.713)
|
68.8 (2.709)
|
83.9 (3.303)
|
1,467 (57.756)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
|
13.0
|
11.4
|
11.9
|
9.6
|
9.6
|
11.9
|
12.2
|
9.8
|
9.6
|
7.5
|
8.7
|
12.7
|
128.1
|
平均月間日照時間
|
85.7
|
105.7
|
149.0
|
177.6
|
198.9
|
146.7
|
158.8
|
187.6
|
140.6
|
134.4
|
105.5
|
82.0
|
1,675.1
|
出典:気象庁
|
人口
|
三次市と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
三次市の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 三次市 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
三次市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
65,561人
|
|
1975年(昭和50年)
|
64,190人
|
|
1980年(昭和55年)
|
63,582人
|
|
1985年(昭和60年)
|
64,089人
|
|
1990年(平成2年)
|
63,596人
|
|
1995年(平成7年)
|
62,910人
|
|
2000年(平成12年)
|
61,635人
|
|
2005年(平成17年)
|
59,314人
|
|
2010年(平成22年)
|
56,605人
|
|
2015年(平成27年)
|
53,615人
|
|
2020年(令和2年)
|
50,681人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
- 旧8町村の人口推移(国勢調査)[6]
現・三次市域
旧三次市エリア
旧町村エリア
高度経済成長期以来、三次市域の人口は横ばい~減少傾向にあった。ただし、旧三次市の人口はほぼ横ばいで、減少分のほとんどは旧町村エリアで生じていた[6]。
- 1965年(昭和40年)の人口比[6]
1965年(昭和40年)国勢調査 8市町村合計:71708人
旧三次市:37871人 (52.8%) 旧町村エリア:33837人 (47.2%)
|
- 合併前の人口比[6]
2000年(平成12年)国勢調査 8市町村合計:61635人
旧三次市:39503人 (64.0%) 旧町村エリア:22132人 (36.0%)
|
|
- 2015年(平成27年)の人口比[6]
2015年(平成27年)4月住民基本台帳 三次市:54905人
旧三次市エリア:36989人 (67.3%) 旧町村エリア:17916人 (32.7%)
|
三次市域における旧三次市エリアの人口集積率は長く増加傾向にある。2014年(平成26年)の調査でも、住民が旧町村エリアから旧三次市エリアに移動する傾向があるとされている[6]。
2014年(平成26年)時点で、三次市と他市町村との人口移動は、6割強が広島県内での移動である。そのうち、県庁所在地である広島市に対して転入数・転出数、そして転出超過が最も多い。また、県内の他市町村全体に対しては216人の転出超過となっている。広島以外の都道府県に対しては、島根県との転入数・転出数、そして転入超過が最も多い。また全体で見れば三次市は広島県以外の都道府県に対して116の転出超過となっている[6]。
隣接自治体
- 広島県
- 島根県
人間史
古代
- 弥生時代
- 飛鳥時代
- 吉備国の一部で、7世紀後半に同国が分割されると備後国に属した。
中世
- 室町時代
近世
- 安土桃山時代
- 江戸時代
近代
- 明治
- 大正
- 昭和
近現代
- 昭和
現代
- 平成
沿革
- 三次市(初代) (1954年(昭和29年)~2004年(平成16年))
- 三次市(2代) (2004年(平成16年)~)
行政区域の変遷
旧 郡
|
明治以前
|
明治初年 - 明治22年
|
明治22年 4月1日 町村制施行
|
明治22年 - 大正15年
|
昭和元年 - 昭和25年
|
昭和26年 - 昭和30年
|
昭和31年 - 昭和64年
|
平成元年 - 現在
|
現在
|
三 次 郡
|
櫃田村
|
櫃田村
|
君田村
|
君田村
|
君田村
|
君田村
|
君田村
|
平成16年4月1日 三次市
|
三次市
|
茂田村
|
茂田村
|
泉吉田村
|
泉吉田村
|
西入君村
|
西入君村
|
東入君村
|
東入君村
|
藤兼村
|
藤兼村
|
石原村
|
石原村
|
大畠村
|
大畠村
|
作木村
|
作木村
|
作木村
|
作木村
|
作木村
|
光守村
|
光守村
|
岡三淵村
|
岡三淵村
|
西野村
|
西野村
|
大津村
|
大津村
|
伊賀和志村
|
伊賀和志村
|
森山西村
|
森山西村
|
森山中村
|
森山中村
|
森山東村
|
森山東村
|
香淀村
|
香淀村
|
門田村
|
門田村
|
大山村
|
大山村
|
上作木村
|
上作木村
|
下作木村
|
下作木村
|
上布野村
|
上布野村
|
布野村
|
布野村
|
布野村
|
布野村
|
布野村
|
下布野村
|
下布野村
|
戸河内村
|
戸河内村
|
横谷村
|
横谷村
|
羽出庭村
|
羽出庭村
|
板木村
|
板木村
|
板木村
|
板木村
|
三和町
|
昭和30年3月31日 三和町
|
大力谷村
|
大力谷村
|
上板木村
|
上板木村
|
下板木村
|
下板木村
|
福田村
|
福田村
|
世 羅 郡
|
敷名村
|
敷名村
|
津名村 (一部)
|
津名村
|
津名村
|
津名村
|
上野山村
|
明治15年 上壱村
|
上田村
|
明治29年11月7日 改称 上山村
|
上山村
|
上山村
|
壱歩村
|
飯田村
|
一部
|
飯田村
|
広定村
|
広定村
|
広定村
|
広定村
|
広定村
|
広定村
|
広定村
|
昭和33年10月10日 甲奴町
|
甲 奴 郡
|
西野村
|
西野村
|
西野村
|
明治28年10月1日 甲奴村
|
甲奴村
|
甲奴村
|
昭和30年3月31日 甲奴町
|
梶田村
|
梶田村
|
梶田村
|
福田村
|
福田村
|
福田村
|
本郷村
|
本郷村
|
本郷村
|
有田村
|
有田村
|
有田村
|
大正元年11月1日 上川村
|
上川村
|
上川村
|
安田村
|
一部
|
安田村
|
安田村
|
一部
|
昭和30年3月31日 双三郡吉舎町に編入
|
吉舎町
|
知和村
|
知和村
|
知和村
|
太郎丸村
|
一部
|
太郎丸村
|
太郎丸村
|
一部
|
昭和30年3月31日 甲奴町
|
昭和33年10月10日 甲奴町
|
抜湯村
|
抜湯村
|
抜湯村
|
三 谿 郡
|
敷地村
|
敷地村
|
吉舎村
|
大正6年10月1日 町制 吉舎町
|
吉舎町
|
昭和28年2月11日 吉舎町
|
吉舎町
|
矢野地村
|
矢野地村
|
三玉村
|
三玉村
|
海田原村
|
海田原村
|
矢井村
|
矢井村
|
吉舎村
|
吉舎村
|
安田村
|
安田村
|
丸田村
|
丸田村
|
八幡村
|
八幡村
|
八幡村
|
檜村
|
檜村
|
吉舎川之内村
|
吉舎川之内村
|
辻村
|
辻村
|
雲通村
|
雲通村
|
清綱村
|
清綱村
|
三若村
|
三若村
|
川西村
|
川西村
|
川西村
|
川西村
|
昭和33年2月11日 三次市に編入
|
有原村
|
有原村
|
上田村
|
上田村
|
石原村
|
石原村
|
海渡村
|
海渡村
|
三 次 郡
|
上川立村
|
上川立村
|
川地村
|
川地村
|
川地村
|
川地村
|
昭和31年9月30日 三次市に編入
|
下川立村
|
下川立村
|
上志和地村
|
上志和地村
|
下志和地村
|
下志和地村
|
高 田 郡
|
秋町村
|
秋町村
|
甲立村 (一部)
|
大正15年1月1日 町制 甲立町
|
昭和25年9月1日 川地村に編入
|
粟屋村
|
粟屋村
|
粟屋村
|
粟屋村
|
昭和25年4月1日 所属変更 双三郡粟屋村
|
昭和29年3月31日 三次市
|
三次市
|
三次市
|
三 次 郡
|
小文村
|
小文村
|
河内村
|
河内村
|
河内村
|
西河内村
|
西河内村
|
穴笠村
|
穴笠村
|
東河内村
|
東河内村
|
山家村
|
一部[注釈 2]を除く
|
山家村
|
一部[注釈 2]
|
昭和23年12月1日 三次町に編入
|
日下村
|
日下村
|
三原村
|
三原村
|
上里村
|
明治11年 上里村
|
明治19年 改称 三次町
|
三次町
|
三次町
|
三次町
|
三次町
|
一部[注釈 6]
|
一部[注釈 7]
|
明治11年 十日市町
|
原村
|
大正6年5月1日 町制改称 十日市町
|
昭和12年3月1日 十日市町
|
原村
|
南畠敷村
|
南畠敷村
|
八次村
|
八次村
|
畠敷村
|
畠敷村
|
四拾貫村
|
四拾貫村
|
後山村
|
後山村
|
東酒屋村
|
東酒屋村
|
酒河村
|
酒河村
|
酒河村
|
西酒屋村
|
西酒屋村
|
青河村
|
青河村
|
三 谿 郡
|
高杉村
|
高杉村
|
神杉村
|
神杉村
|
神杉村
|
江田川之内村
|
江田川之内村
|
廻神村
|
廻神村
|
大田幸村
|
大田幸村
|
田幸村
|
田幸村
|
田幸村
|
小田幸村
|
小田幸村
|
志幸村
|
志幸村
|
木乗村
|
木乗村
|
糸井村
|
糸井村
|
川西村
|
明治24年6月10日 田幸村に編入
|
和知村
|
和知村
|
和田村
|
和田村
|
和田村
|
向江田村
|
一部[注釈 3]を除く
|
向江田村
|
一部[注釈 3]
|
昭和29年11月3日 三良坂町に編入
|
三良坂町
|
皆瀬村
|
皆瀬村
|
三良坂村
|
三良坂村
|
三良坂村
|
大正10年6月1日 町制 三良坂町
|
昭和7年1月1日 三良坂町
|
三良坂町
|
長田村
|
長田村
|
田利村
|
田利村
|
岡田村
|
岡田村
|
灰塚村
|
灰塚村
|
萩原村
|
萩原村
|
棗原村
|
棗原村
|
大谷村
|
大谷村
|
仁賀村
|
仁賀村
|
光清村
|
光清村
|
行政
市長
- 歴代市長
三次市(初代) (1954年(昭和29年)~2004年(平成16年))
代
|
氏名
|
就任日
|
退任日
|
備考
|
初代
|
三浦正
|
1954年(昭和29年)5月5日
|
1959年(昭和34年)12月5日
|
在任中に死去
|
2代
|
船越弘
|
1960年(昭和35年)1月23日
|
1967年(昭和42年)9月7日
|
在任中に死去
|
3代
|
紙屋義孝
|
1967年(昭和42年)10月27日
|
1975年(昭和50年)6月12日
|
在任中に死去
|
4代
|
平川昌三
|
1975年(昭和50年)7月30日
|
1982年(昭和57年)11月25日
|
病気療養のため辞職
|
5代
|
田辺昇三
|
1982年(昭和57年)12月19日
|
1986年(昭和61年)12月18日
|
|
6代
|
福岡義登
|
1986年(昭和61年)12月19日
|
2001年(平成13年)3月25日
|
元衆議院議員、在任中に死去
|
7代
|
吉岡広小路
|
2001年(平成13年)5月13日
|
2004年(平成16年)3月31日
|
元三次市議会議員、元広島県議会議員
|
三次市(2代) (2004年(平成16年)~)
- 副市長:細美 健(任期:令和5年7月15日 - 、任期4年[19])前・三次市役所総務部長[19]
- 教育長:迫田隆範[20](令和3年5月1日 - )
役所
県政機関
議会
三次市議会
出先機関
国家機関
法務省
- 検察庁
裁判所
施設
警察
- 警察署
- 旧甲奴町が府中警察署管轄、その他の旧市町村が三次警察署管轄であったが、2004年(平成16年)4月1日の市町村合併時に旧甲奴町の区域が移管されたため、三次市全域が三次警察署管轄である。
- 交番
- 三次町交番(三次市三次町)
- 三良坂交番(三次市三良坂町三良坂)
- 八次交番(三次市四拾貫町)
- 駐在所
- 粟屋警察官駐在所(三次市粟屋町)
- 川地警察官駐在所(三次市下川立町)
- 川西警察官駐在所(三次市三若町)
- 吉舎警察官駐在所(三次市吉舎町三玉)
- 君田警察官駐在所(三次市君田町東入君)
- 甲奴警察官駐在所(三次市甲奴町小童)
- 作木警察官駐在所(三次市作木町下作木)
- 塩町警察官駐在所(三次市塩町)
- 布野警察官駐在所(三次市布野町上布野)
- 三和警察官駐在所(三次市三和町上板木丙)
- 八幡警察官駐在所(三次市吉舎町吉舎川之内)
消防
- 本部
- 消防署
- 出張所
- 作木(三次市作木町下作木1068番地1)
- 吉舎(三次市吉舎町敷地795番地)
- 三和(三次市三和町上板木45番地1)
- 甲奴(三次市甲奴町西野591番地1)
医療・福祉
- 主な病院
郵便局
- 主な郵便局
文化施設
- 主な博物館
- 主な美術館
運動施設
対外関係
姉妹都市・提携都市
国内
- その他
- 過去に全国京都会議に加盟していたが脱退した。観光都市として「備後の小京都」と称される。
海外
- 姉妹都市
経済
第一次産業
農業
ピオーネの栽培が盛んである(三次ピオーネ)。
大量の規格外ピオーネの活用のためにワインが生産されており、1994年(平成6年)には広島三次ワイナリーが開業した。
それ以来観光客が増え続けており、広島県内陸部を代表する観光都市となっている[4]。
漁業
- 鮎漁、鵜飼、鯉漁など、内水面での漁業を生業としている者が、かつては少数ながらも存在していた。現在は観光などを除き、衰退している。
第二次産業
工業
- マツダ三次事業所(ガソリンエンジン製造)
- マツダ三次自動車試験場(開発中の新型車のテスト走行や新型車の試乗イベントなどを行っている)
- ミヨシ電子広島事業所
- シナジーテクニカ本社工場
- カープソース本社工場
- 中四国丸大食品本社工場
第三次産業
商業
- 主な商業施設
- サングリーン
- CCプラザ(現:フレスポ三次プラザ)(2022年(令和4年)3月末で一時閉店し、協同組合三次ショッピングセンターと大和ハウス工業グループの大和リースが共同で建替工事に着手し、2023年(令和5年)11月16に『フレスポ三次プラザ』として開店)
情報・生活
マスメディア
放送局
- テレビ・ラジオ局
- ケーブルテレビ
ライフライン
電力
- 発電所
上下水道
- 上水道
教育
専修学校
- 県立
高等学校
- 県立
中学校
- 三次市立
- 三次中学校(三次町)
- 十日市中学校(十日市中)
- 塩町中学校(大田幸町)
- 川地中学校(下川立町)
- 八次中学校(畠敷町)
- 甲奴中学校(甲奴町梶田)
- 君田中学校(君田町東入君)
- 布野中学校(布野町上布野)
- 作木中学校(作木町下作木)
- 吉舎中学校(吉舎町吉舎)
- 三良坂中学校(三良坂町三良坂)
- 三和中学校(三和町上板木)
小学校
- 市立
- 粟屋小学校(粟屋町)
- 河内小学校(小文町)
- 三次小学校(三次町)
- 酒河小学校(西酒屋町)
- 十日市小学校(十日市中)
- 神杉小学校(高杉町)
- 青河小学校(青河町)
- 川西小学校(三若町)
- 川地小学校(下川立町)
- 田幸小学校(大田幸町)
- 八次小学校(畠敷町)
- 和田小学校(向江田町)
- 甲奴小学校(甲奴町梶田)
- 小童小学校(甲奴町小童) - 2025年3月末で閉校し、甲奴小学校と統合。
- 君田小学校(君田町東入君)
- 布野小学校(布野町上布野)
- 作木小学校(作木町下作木)
- 吉舎小学校(吉舎町三玉)
- 安田小学校(吉舎町安田)
- 八幡小学校(吉舎町丸田)
- みらさか小学校(三良坂町三良坂)
- 三和小学校(三和町敷名)
特別支援学校
- 県立
自動車学校
職業能力開発校
- 県立
廃校
- 過去に存在した小学校・中学校
以下の各校は、三次市発足後に閉校となった小学校と中学校(いずれも三次市立)である。分校も含む。
- 粟屋西小学校
- 粟屋小学校北分校
- 河内小学校穴笠分校
- 河内小学校山家分校
- 三次西小学校
- 志和地小学校
- 上田小学校
- 川西小学校有原分校
- 川西中学校
- 八幡小学校徳市分校
- 三良坂小学校
- 灰塚小学校
- 仁賀小学校
- -他、数校
この他、三次市発足後に閉校となった三和町・吉舎町・三良坂町・甲奴町・作木村・布野村・君田村(いずれも、合併前の自治体名)の小学校と中学校は、以下の各校である(分校も含む)。
三和町立
- 上板木小学校
- 下板木小学校
- 板木小学校
- 上山小学校
- 敷名小学校
- 板木中学校
- 三和東中学校
作木村立
- 作木第一小学校
- 作木第二小学校
- 作木第三小学校
- 作木第一小学校大山分校
- 作木第二小学校光守分校
- 作木第三小学校岡三淵分校
- 作木第三小学校伊賀和志分校
- 作木第一中学校
- 作木第二中学校
- 作木第三中学校
布野村立
君田村立
- 君田上小学校
- 君田上小学校茂田分校
- 君田中学校櫃田分校
交通
鉄道
中心となる駅:三次駅
鉄道路線
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 芸備線:(←庄原市・備後落合方面) - 下和知駅 - 塩町駅 - 神杉駅 - 八次駅 - 三次駅 - 西三次駅 - 志和地駅 - 上川立駅 - (安芸高田市・広島方面→)
- ■福塩線:(←府中市・福山方面) - 甲奴駅 - 梶田駅 - 備後安田駅 - 吉舎駅 - 三良坂駅 - 塩町駅
また、2018年(平成30年)3月31日までは三江線が存在した。
- ■三江線:(←島根県邑南町・江津方面) - 伊賀和志駅 - (島根県邑南町) - 香淀駅 - (安芸高田市) - 長谷駅 - 粟屋駅 - 尾関山駅 - 三次駅
バス
高速バス
JRバス以外の高速バス路線は長らく三次駅の北側にある三次バスセンターに発着しており、三次駅前には原則乗り入れず、三次駅前をターミナルとしていた路線バスと乗り継ぐ場合には移動を強いられていたが、三次駅前が整備され、三次駅前に高速バスが乗り入れることとなった。逆に従来の三次バスセンターだった停留所は三次(たび館)と名称が変更され、備北交通・広島電鉄の東城発着を除く広島線か、市内循環バス「くるるん」、阪急バス運行の大阪線以外は停車しなくなった。
以下の路線は運休している。
- きんさいライナー(福山線):昼行・2往復。三次駅前・三次ワイナリー・塩町・三良坂に停車。中国バスが運行。三次駅前 - 福山駅前間は所要時間1時間50分。2020年(令和2年)5月1日以降運休中。
- 大阪線:昼行・4往復。中国バス便は三次車庫・三次駅前・和知BSに、阪急バスは三次(たび館)・三次駅前・和知BSに停車。阪急バス・中国バスが運行し、中国バスは新大阪駅まで、阪急バスは梅田まで運行。大阪までの所要時間は4時間30分~5時間程度。2020年(令和2年)10月1日から再運休。
かつて(1988年(昭和63年)12月21日 - 1997年(平成9年)12月15日の間)は、広島-鳥取線のメリーバードも三次インターに停車していた。また、2009年(平成21年)6月30日までは三次駅前に東京行きのニューブリーズ号が、その後、2015年(平成27年)9月10日まではいわみエクスプレスが停車していた。この他、2013年(平成25年)3月31日までは三次バスセンターにグランドアロー号が、三次駅にみこと号が停車していた。さらに、2014年(平成26年)7月18日までは、メリーバード号(米子線)も三次インターに停車していた。また、2013年(平成25年)9月1日 - 2015年(平成27年)9月30日の間は中国バス・おのみちバスが運行していたクロスウェイエクスプレスも三次東(上四十貫)に停車していた。また、2020年(令和2年)9月30日までは、三次からの広島空港行き連絡バスも三良坂・吉舎を経由して運行されていた。
路線バス
- 路線バスは、備北交通が多くの路線を運行しているほか、中国バスが三次から国道184号を経由して、吉舎・世羅方面へと運行する路線を運行している。かつては、芸陽バスも市内へと乗り入れ、三次から三和町敷名や世羅町(旧・世羅西町)小国まで運行する便や、東広島市西条からも豊栄を経て三和町敷名まで運行する便があったが(ただし、末期にはバスの接続で三次と西条を乗り継ぐことができるのは三次発の敷名経由での一本しかなくなっていた)、2009年(平成21年)3月31日をもって廃止された。なお、三次から敷名線の全線と、三次から小国線のうち三次市内の区間は備北交通に引き継がれている。本数は、2018年(平成30年)9月現在の平日ダイヤのもの。
備北交通[23] が以下の路線を運行している。
- 三城線(庄原・西城方面):三次-庄原間は平日日中は30分ヘッドで運行。西城方面へは直通便1往復を利用または庄原(庄原バスセンター・ジョイフルなど)で乗り継ぎ
- 下高野線(口和町大月・高野町新市方面):松江自動車道経由で運転。平日4往復、土日祝2往復。口和IC-高野IC間で松江自動車道を経由。
- 三次工業団地 - 三次中央病院 - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - 横路橋 - 君田 - モーモー物産館・口和診療所 - 道の駅たかの - 新市車庫(庄原市高野町)
- 宮内線(三次-君田-口和町大月-口和町宮内方面):平日1往復。
- 三次中央病院 - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - 横路橋 - 君田 - モーモー物産館・口和診療所 - 下宮内(庄原市口和町)
- 湯木線(口和町湯木方面):三次駅方面直通便は1日2往復。平日は横路橋乗継便も3往復運行。県道186号を経由して運行。
- (三次工業団地 - 三次中央病院 - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - )横路橋 - 永田 - 湯木車庫(庄原市口和町)
- 敷名線(志和地経由):平日4往復、土曜2往復、休日は運休
- 三次駅 - 三次中央病院 - 志和地駅前 - 紺屋川 - 三和支所
- 敷名線(廻神経由・塩町経由):1日7往復(うち4往復が中央病院・廻神・国道375号経由、3往復が塩町・糸井・国道375号経由)。土曜日は塩町経由が運休となり、中央病院経由の2往復を運行。休日は運休。
- 廻神経由:三次駅前 - 三次中央病院 - 廻神 - 糸井 - 川西郷の駅 - 有原・敷名・三和支所 / 上田小跡
- 塩町経由:三次駅前 - 塩町駅 - 糸井 - 川西郷の駅 - 有原 - 敷名・三和支所 / 有原・上田小跡
- 赤名線(布野・飯南町方面):1日4往復。国道54号経由で運行。かつては、中国JRバスが運行していた出雲直通のバスが短縮されて備北交通に受け継がれたもの。
- 三次中央病院 - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - ゆめランド布野 - 便坂 - 赤名
- 作木線(作木・邑南町都賀方面):1日5往復。国道54号・布野・作木経由で運行。2往復は道の駅グリーンロード大和(道の駅GR大和)まで運行し、他は作木町伊賀和志止まり。伊賀和志行き2往復は土日祝運休。
- (三次工業団地 - )三次中央病院 - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - ゆめランド布野 - 便坂 - 作木支所前 - 川の駅常清 - 口羽町 - 伊賀和志 - 道の駅GR大和(美郷町)
- くるるんバス(みよし市街地循環バス):1日8本運行。土日祝の4本は三次ワイナリー経由。
- 三次駅前 - (塩迫・八次駅前経由 / 三次ワイナリー経由 土日祝の4本) - 三次医療センター - 三次市民ホール(きりり) - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - 三次駅前
- 畠敷線(三次市畠敷町方面):平日6往復、土日祝4往復運行。
- 三次工業団地 - 三次中央病院 - 三次インター - 三次駅前 - 三次もののけミュージアム - 上四十貫・みよし公園
- 三城線(吉田):平日5往復、土曜3往復、休日は運休
- 三次中央病院 - 三次駅前 - 甲立駅前 - 吉田出張所 - 吉田医院 - 吉田出張所(安芸高田市)
中国バス[24]、君田交通、十番交通も路線バスを運行している。
- 吉舎・甲山線(中国バス):平日4往復。甲山営業所から便によっては尾道方面・三原方面にも連絡。
- 川の駅三次線(君田交通[25])作木町方面
- 下津田線(十番交通) 吉舎町
生活交通
三次市民バス(三次市)などが運行されている[26]。
- 三次市民バス 君田町線(赤コース、緑コース、青コース)
- 三次市民バス 布野町線(月・金コース、水コース)
- 三次市民バス 作木町線(下地区、中地区、上地区)
- 三次市民バス 吉舎町線(医院巡回コース、Aコース、Bコース、Cコース、Dコース、Eコース、Fコース)
- 三次市民バス 三和町線(下板木コース、敷名コース、上山コース、板木コース)
- 三次市民バス 甲奴町線 予約制
- 三次市民バス 甲奴町線(甲奴-吉舎)予約制
- お太助バス 式敷三次線(安芸高田市[27] 芸北タクシー・甲立タクシー)
- (三次中央病院 - )三次駅前 - 式敷駅(安芸高田市高宮町)
- さくぎニコニコ便(NPO法人 元気むら さくぎ) 予約制新公共交通サービス 作木町
- ふれあいタクシー みらさか(三次広域商工会)予約型公共交通サービス 三良坂町
道路
高速道路
西日本高速道路(NEXCO西日本)。三次東JCT/ICで中国自動車道と尾道自動車道/松江自動車道が交わる。
国道
主要地方道
一般県道
(*印のある路線は2007年(平成19年)10月26日から管理権限が広島県から三次市へ移管)
道の駅
ナンバープレート
- ナンバープレート
- 旧甲奴町が「福山ナンバー」(中国運輸局広島運輸支局福山自動車検査登録事務所管轄)、その他の旧市町村が「広島ナンバー」(中国運輸局広島運輸支局管轄)であったが、2004年(平成16年)4月1日の市町村合併時に旧甲奴町区域が中国運輸局広島運輸支局に移管されたため、三次市全域が広島ナンバーである。
観光
名所・旧跡
観光スポット
- 公園・庭園
- 自然景勝地
- 博物館
- レジャー
- その他
-
住吉神社
-
三次市歴史民俗資料館
-
高谷山から見た朝霧
-
うだつ(いにしえの里三次)
文化・名物
祭事・催事
- 三次さくら祭(例年4月第1週の日曜日)
- 輪くぐり祭(三次町 太歳神社 十日市中 厳島神社)
- みよし市民納涼花火まつり(巴橋下流の馬洗川右岸で行われる)(例年は7月第3週の土曜日)
- いこいの森「ホタル祭」(吉舎)
- 小童の祇園まつり(甲奴)
- 祇園まつり(三良坂)
- 三次きんさい祭(三次町・十日市)(例年は7月第4週の土曜日)
- 管絃祭(十日市中 厳島神社)
- やまめ祭り(吉舎)
- 辻八幡の神殿入(吉舎)[28]
名産・特産
作品
- 三次市を舞台とした作品
小説
漫画・アニメ
出身関連著名人
出身著名人
- 政治・行政
- 文化・芸術
- 芸能・マスコミ
- スポーツ選手
- その他
脚注
注釈
- ^ ただし、翌日から三次~敷名線全線と三次~小国線のうち旧三次市内の上田町までの区間は備北交通に移管された。
- ^ a b c 字郷川
- ^ a b c 字中之尾・字横蔵の各一部
- ^ 合併に際して、主に志和地を中心とした三次市合併派と、主に川立を中心とした甲田町合併派の対立があり、最終的に対立のさなかで行われた村長選で三次合併派の村長が当選したことや、県の仲裁などを経て三次に合併
- ^ 合併の実施時期についてや、合併先(三次への合併か板木村→三和町への合併か)についてで一時村内が分裂した
- ^ 五日市町・内町。
- ^ 十日市町。
- ^ 三次もののけミュージアムを庄原・東城発着便は経由せず。
出典
関連項目
- 同音の自治体
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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