ドワイト・グッデンDwight Gooden
メッツ時代
基本情報 国籍
アメリカ合衆国 出身地
フロリダ州 タンパ 生年月日
(1964-11-16 ) 1964年 11月16日 (59歳) 身長 体重
6' 3" =約190.5 cm 210 lb =約95.3 kg 選手情報 投球・打席
右投右打 ポジション
投手 プロ入り
1982年 MLBドラフト1巡目(全体5位) 初出場
1984年4月7日 最終出場
2000年9月29日 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ドワイト・ユージーン・グッデン (Dwight Eugene Gooden , 1964年 11月16日 - )は、MLB の元選手。ポジションは投手 。アメリカ合衆国 フロリダ州 タンパ 出身。ニックネームは「Dr.K 」,「Doc 」。
経歴
プロ入り - マイナーリーグ
1982年のMLBドラフト でニューヨーク・メッツ から1巡目(全体5位)に指名を受け入団。1983年 はA級リンチバーグ で19勝4敗・防御率2.50・300奪三振を記録し、最多勝・最多奪三振・最優秀防御率の三冠を達成。奪三振率は14.14という途轍もない数字だった。当時のメッツ監督デービー・ジョンソン はその奪三振率の高さに注目し、異例のA級から3階級特進でメジャーに昇格させた。
ニューヨーク・メッツ
1984年 4月7日 のヒューストン・アストロズ 戦で19歳4ヶ月の若さでメジャーデビューし、5回1失点で初勝利を挙げた。5月11日 のロサンゼルス・ドジャース 戦で4安打11奪三振でメジャー初完投・初完封。前半戦を8勝5敗・防御率2.84で折り返し、オールスターゲーム に史上最年少で選出され、5回表に3者連続奪三振を記録。後半戦は更に調子を上げ、9月7日 は1安打11奪三振、9月12日 は5安打16奪三振無四球で連続完封、9月17日 は敗れたものの2試合連続で16奪三振をマークした。最終的に17勝9敗・防御率2.60・276奪三振を記録し、最多奪三振 のタイトルを獲得。1955年 にハーブ・スコア がマークした245奪三振の新人記録を29年ぶりに更新した。ルーキー・オブ・ザ・イヤー を受賞し、前年のダリル・ストロベリー に続いてメッツの選手が受賞した。サイ・ヤング賞 の投票でもリック・サトクリフ に次ぐ2位に入った。
1985年 は更に勢いを増し、シーズンを通じて防御率1点台を維持。8月20日 のサンフランシスコ・ジャイアンツ 戦で自己最多に並ぶ16奪三振で完封勝利。9月は4勝0敗・防御率0.34を記録した。最終的に24勝4敗・防御率1.53・268奪三振の成績で最多勝 ・最多奪三振・最優秀防御率 の投手三冠を史上最年少で達成。またリーグ1位の16完投、ジョン・テューダー に次ぐリーグ2位の8完封をマークし、サイ・ヤング賞の投票では満票を獲得し、史上最年少で受賞した。防御率は1920年 以降ではボブ・ギブソン が1968年 に記録した1.12に次ぐ歴代2位の記録である。グッデンは20勝以上を挙げた12人目の黒人投手となり、マスコミはまだ20歳の彼に対し将来の殿堂 入りまでも噂するようになっていた。また、この年記録したrWAR は12.2で、投手単年の値としては1901年 以降、1912年 と1913年 のウォルター・ジョンソン 、1901年 のサイ・ヤング に次ぐ数値である。
1986年 はオールスターゲーム に3年連続で選出され、リーグの先発投手を務めたが、3回2失点で敗戦投手となった。シーズンでは17勝6敗・防御率2.84・200奪三振を記録。チームは108勝54敗の圧倒的な強さで13年ぶりの地区優勝を果たす。アストロズとのリーグチャンピオンシップシリーズ では、第1戦でマイク・スコット 、第5戦でノーラン・ライアン と投げ合い、自身に勝利は付かなかったものの好投し、チームも4勝2敗でシリーズを制しリーグ制覇。ボストン・レッドソックス とのワールドシリーズ では、第2戦でロジャー・クレメンス と投げ合ったが5回6失点、第5戦も5回途中4失点で共に敗戦投手となる。チームは王手をかけられて迎えた第6戦で奇跡の逆転サヨナラ勝ちを収め、第7戦も勝利し17年ぶりのワールドチャンピオンの栄冠を手にした。しかしグッデンは優勝パレードに姿を見せず、球団は「寝坊したため」と発表したが、後年コカイン でどんちゃん騒ぎをしていたことが明らかになった。
ドラッグ問題と怪我
それまでもドラッグ 使用の噂はあったが、確定したのは1987年 のスプリングトレーニング 中にコカインの陽性反応が出た時だった。彼は4月1日 から6月5日 まで出場停止を防ぐためにリハビリセンターに入り、復帰した時点でシーズンは3分の1が過ぎていたが、15勝7敗・防御率3.21を記録する。1988年 は18勝9敗・防御率3.19の成績で、チームの2年ぶりの地区優勝に貢献。ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズ 第1戦で、同年59イニング連続無失点のメジャー記録を達成したオーレル・ハーシュハイザー と対決。7回を4安打10奪三振2失点に抑えたが、リードされたまま降板。勝てば王手をかける第4戦も8回まで2失点だったが、9回にマイク・ソーシア に痛恨の同点2ランを打たれ、延長12回の末敗れた。結局第7戦でハーシュハイザーに完封負けを喫し、3勝4敗で敗退。1989年 は肩の故障に悩まされて17試合の登板に留まり、9勝4敗・防御率2.89と自身最低の成績に終わり、連続15勝以上も5年でストップした。
1990年 は19勝7敗・防御率3.83・223奪三振を記録して復活を果たし、奪三振はチームメイトのデビッド・コーン の233に次ぐリーグ2位だった。1991年 は13勝7敗・防御率3.60をマークするが、8月22日 の登板を最後に故障で戦線離脱。同年2人のチームメイトとレイプ の疑いで起訴されるが、報道はされなかった。1992年 は防御率3.67ながら、援護に恵まれず10勝13敗。自身初の負け越しで、敗戦数が二桁に達したのも初めてであった。1993年 も防御率3.45ながら12勝15敗、9月は故障により登板なしに終わる。チームは103敗を喫し新球団フロリダ・マーリンズ よりも下の地区最下位に沈んだ。同年シーズン中、スポーツ・イラストレイテッド 誌はグッデンの特集記事を執筆し、題は「From Phenom to Phantom(怪物から幻へ)」であった。1994年 は開幕投手 を務め勝利投手となるが、シカゴ・カブス の1番打者タフィ・ローズ に初回から3打席連続本塁打を浴びるなど7失点を喫した。その後不振でマイナーに降格する。3勝4敗・防御率6.31の段階で、コカインの陽性反応が出て60日間の出場停止処分を受ける。その期間中再び陽性反応が出たため、翌1995年 も全試合出場停止となった。2度目の処分を受けた翌日、妻モニカはグッデンが寝室で弾のこもった銃を頭に向けている姿を発見している。10月24日 にフリーエージェント となった。
ニューヨーク・ヤンキース
処分が明けた1996年 2月20日 にニューヨーク・ヤンキース と契約。元チームメイトで、同じく才能に恵まれながらドラッグ問題で成績を下降させたストロベリーと再びチームメイトになった。ブランクの影響から4月は0勝3敗・防御率8.38と不調で解雇されかけるが、5月14日 のシアトル・マリナーズ 戦でノーヒットノーラン を達成。11勝7敗・防御率5.01で3年ぶりの二桁勝利を挙げた。チームは15年ぶりの地区優勝を果たしたが、ポストシーズンのロースターには登録されなかった。1997年 は9勝を挙げてチームのワイルドカード 獲得に貢献。クリーブランド・インディアンス とのディビジョンシリーズ 第4戦で先発し、再びハーシュハイザーと対決。6回途中を1失点に抑えたが、リリーフが打たれてサヨナラ負け。結局2勝3敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、12月8日 にインディアンスと契約した。
以後
1998年 は終盤に5連勝して8勝6敗・防御率3.76を記録し、チームの地区優勝に貢献。ディビジョンシリーズ 、リーグチャンピオンシップシリーズ ではそれぞれ1試合ずつ先発したが、いずれも不本意な結果に終わった。1999年 は3勝4敗・防御率6.26に終わり、オフにフリーエージェントとなった。2000年 1月6日 にアストロズと契約したが、1試合の先発登板のみで解雇され、4月13日 にタンパベイ・デビルレイズ に移籍。しかし結果を残せずまたも解雇、6月11日 に古巣ヤンキースとマイナー契約を結んだ。7月にメジャー昇格したが、先発登板は5試合のみで、ロングリリーフもしくは敗戦処理という役割だった。チームは地区優勝し、ポストシーズンのロースター入りを果たし2試合に登板したが、共に敗戦処理だった。古巣メッツとのワールドシリーズ では登板機会がなかった。2001年 、ヤンキースの招待選手としてスプリングトレーニングに参加するが解雇され、引退。引退後はヤンキースにフロント入りし、2004年 には甥であるゲイリー・シェフィールド とチームとの交渉の仲介人を務めた。
グッデンのメッツ在籍時の背番号「16 」。 ニューヨーク・メッツの永久欠番 に2024年 指定。
2023年 、古巣メッツはグッデンの在籍時の背番号『16 』を永久欠番 に指定することを発表。翌2024年 4月16日 に永久欠番表彰式が執り行われた。
数々のトラブル
2002年 2月20日 には故郷タンパで飲酒運転で逮捕され、同時に免停中であった事が発覚した。2003年 1月にも再び免停中の運転で再逮捕されている。
2005年 3月12日 に、再び故郷タンパでガールフレンドが彼の頭に向かって電話を投げたのに腹を立て、殴打した疑いで逮捕される。しかし、情状酌量で2日後に釈放。 同年8月23日 には運転中に警察官に呼び止められた後、運転免許証を渡し逃走。警官は報告書の中で彼の目は充血しており、滑舌も回っておらずアルコール臭かったと言述。3日後、グッデンは警察署に出頭した。
2006年 3月には保護観察の身分でありながらコカイン使用状態で監察官との面会に訪れたことから再逮捕。グッデンは社会との隔離状態がコカインから脱却するきっかけになるかもしれないと考え、保護観察期間の延長より刑務所に服役する道を選ぶ。 同年4月17日 から服役。5月31日 に刑務所からのインタビューで「俺はここに戻ってこない…ここに戻ってくるくらいなら銃で撃たれた方がまし…もし俺がこの教訓から学べなかったら、一生学べないだろう」と述べ、7ヶ月間の服役を終え11月6日 に釈放。
2010年 3月23日 、子供を乗せた車を運転中に他の車と衝突し、逮捕。警察の調べによってドラッグの服用が確認された。
2019年 6月7日 に再びコカインの所持により逮捕された。2020年11月12日、1年の保護観察処分を受けた。
選手としての特徴
最速100mph (約161km/h )のホップする速球 に加え、一級品のドロップカーブ を武器にしたパワーピッチャー 。
そのピッチングスタイルから、NBA の名選手ジュリアス・アービング の愛称“ドクターJ”と、三振の略称である“K”に因んで“ドクターK”という愛称で親しまれ、後に“ドック”と省略された。カーブにも“チャーリーおじさん”という通常のカーブの愛称に因んで“チャールズ卿”という愛称がつけられた。また、現在球場で三振を奪った数の分だけ“K”と書かれたプラカードを掲げるシーンが見られるが、それが初めて行われたのはグッデンがホームのシェイ・スタジアム で登板した試合である。
詳細情報
年度別投手成績
年 度
球 団
登 板
先 発
完 投
完 封
無 四 球
勝 利
敗 戦
セ 丨 ブ
ホ 丨 ル ド
勝 率
打 者
投 球 回
被 安 打
被 本 塁 打
与 四 球
敬 遠
与 死 球
奪 三 振
暴 投
ボ 丨 ク
失 点
自 責 点
防 御 率
W H I P
1984
NYM
31
31
7
3
3
17
9
0
--
.654
879
218.0
161
7
73
2
2
276
3
7
72
63
2.60
1.07
1985
35
35
16
8
1
24
4
0
--
.857
1065
276.2
198
13
69
4
2
268
6
2
51
47
1.53
0.97
1986
33
33
12
2
1
17
6
0
--
.739
1020
250.0
197
17
80
3
4
200
4
4
92
79
2.84
1.11
1987
25
25
7
3
1
15
7
0
--
.682
730
179.2
161
11
53
2
2
148
1
1
68
64
3.21
1.20
1988
34
34
10
3
3
18
9
0
--
.667
1024
248.1
242
8
57
4
6
175
5
5
98
88
3.19
1.20
1989
19
17
0
0
0
9
4
1
--
.692
497
118.1
93
9
47
2
2
101
7
5
42
38
2.89
1.18
1990
34
34
2
1
0
19
7
0
--
.731
983
232.2
229
10
70
3
7
223
6
3
106
99
3.83
1.29
1991
27
27
3
1
1
13
7
0
--
.650
789
190.0
185
12
56
2
3
150
5
2
80
76
3.60
1.27
1992
31
31
3
0
0
10
13
0
--
.435
863
206.0
197
11
70
7
3
145
3
1
93
84
3.67
1.30
1993
29
29
7
2
1
12
15
0
--
.444
866
208.2
188
16
61
1
9
149
5
2
89
80
3.45
1.19
1994
7
7
0
0
0
3
4
0
--
.429
181
41.1
46
9
15
1
1
40
2
0
32
29
6.31
1.48
1996
NYY
29
29
1
1
0
11
7
0
--
.611
756
170.2
169
19
88
4
9
126
9
1
101
95
5.01
1.51
1997
20
19
0
0
0
9
5
0
--
.643
472
106.1
116
14
53
1
7
66
8
0
61
58
4.91
1.59
1998
CLE
23
23
0
0
0
8
6
0
--
.571
580
134.0
135
13
51
0
9
83
3
0
59
56
3.76
1.39
1999
26
22
0
0
0
3
4
0
0
.429
532
115.0
127
18
67
3
9
88
4
0
90
80
6.26
1.69
2000
HOU
1
1
0
0
0
0
0
0
0
----
20
4.0
6
1
3
0
0
1
2
0
4
4
9.00
2.25
TB
8
8
0
0
0
2
3
0
0
.400
173
36.2
47
14
20
0
3
23
2
0
32
27
6.63
1.83
NYY
18
5
0
0
0
4
2
2
2
.667
274
64.1
66
8
21
3
0
31
1
0
28
24
3.36
1.35
'00計
27
14
0
0
0
6
5
2
2
.545
447
101.0
113
23
44
3
3
55
5
0
64
55
4.71
1.55
MLB :16年
430
410
68
24
11
194
112
3
*2
.634
11705
2800.2
2564
210
954
42
78
2293
76
33
1198
1091
3.51
1.26
各年度の太字 はリーグ最高
「-」は記録なし
通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す
年度別打撃成績
年 度
球 団
試 合
打 席
打 数
得 点
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
塁 打
打 点
盗 塁
盗 塁 死
犠 打
犠 飛
四 球
敬 遠
死 球
三 振
併 殺 打
打 率
出 塁 率
長 打 率
O P S
1984
NYM
31
83
70
5
14
0
0
0
14
3
0
0
10
2
1
0
0
14
3
.200
.205
.200
.405
1985
35
107
93
11
21
2
0
1
26
9
0
0
9
0
5
0
0
15
1
.226
.265
.280
.545
1986
33
97
81
5
7
0
1
0
9
4
0
0
13
0
2
0
1
16
3
.086
.119
.111
.230
1987
25
71
64
4
14
0
0
0
14
4
0
0
5
1
1
0
0
9
1
.219
.227
.219
.446
1988
34
101
90
8
16
1
0
1
20
9
0
0
9
1
1
0
0
18
1
.178
.185
.222
.407
1989
19
44
40
1
8
3
0
0
11
1
0
0
3
1
0
0
0
7
1
.200
.195
.275
.470
1990
35
94
75
4
14
1
1
1
20
9
0
0
14
1
2
0
2
15
0
.187
.225
.267
.492
1991
27
71
63
7
15
3
0
1
21
6
1
1
8
0
0
0
0
9
1
.238
.238
.333
.571
1992
33
77
72
8
19
3
1
1
27
9
0
0
4
0
1
0
0
16
1
.264
.274
.375
.649
1993
30
76
70
5
14
2
2
2
26
9
0
0
6
0
0
0
0
11
1
.200
.200
.371
.571
1994
7
16
12
1
2
0
0
0
2
2
0
0
4
0
0
0
0
1
0
.167
.167
.167
.333
1996
NYY
29
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
----
----
----
----
1997
20
4
4
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
.000
.000
.000
.000
1998
CLE
23
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
.000
.000
.000
.000
1999
3
3
2
1
1
0
0
1
4
2
0
0
0
0
1
0
0
1
0
.500
.667
2.000
2.667
2000
HOU
1
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
.000
.000
.000
NYY
2
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
.000
.000
.000
.000
'00計
3
3
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
.000
.000
.000
.000
MLB :16年
387
849
741
60
145
15
5
8
194
67
1
1
85
6
14
0
3
135
13
.196
.212
.262
.474
獲得タイトル・表彰・記録
外部リンク
獲得タイトル・記録
1956年-1966年 1967年-1969年 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1966年まではアメリカンリーグ と合わせて1人だけ選出。このテンプレートではナショナルリーグ の選手のみを表記。
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球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 メッツ球団殿堂 ワールドシリーズ優勝(2回) ワールドシリーズ敗退(3回) リーグ優勝(5回) 傘下マイナーチーム
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