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この項目では、用語としての連絡線について説明しています。
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連絡線(れんらくせん)とは、電力系統や鉄道路線において他の線に接続するために設けられるもの。
電力系統
電力供給では送電系統の連繋系統として各送電系統を連絡するために設置される線を連絡線(tie line)という[1]。連絡線において伝送される電力を連絡線負荷(tie line load)という[1]。
連絡線の自動制御方式は電力系統の自動制御の方法により異なる。
- 定周波数制御(flat frequency control)
- 系統内に周波数調整用発電所を設けて連絡線負荷と無関係に周波数のみを自動制御する方式[1]。連繋系統の連絡線負荷の制御を実施する必要のある場合には別に手動あるいは自動装置によって制御しなければならない[1]。
- 定連絡線負荷制御(flat tie-line load control)
- 比較的容量の小さい系統で採用される連絡線負荷のみを自動制御する方式[1]。
- 周波数偏倚連絡線負荷制御(tie-line load bias control)
- 定連絡線負荷制御に周波数偏倚(周波数変化量)を加えて自動制御する方式[1]。
- 局部負荷制御(local load control)
- 系統の局部に特殊な負荷と電源が共存している場合にその負荷変化に応じて局部電源の発電力を制御する方式[1]。
鉄道線路
鉄道においては他の路線同士を接続するための線路に対する名称である。遠回りすることなく路線同士を結ぶためのものは短絡線(たんらくせん)とも呼ばれる。
駅構内の渡り線のような小規模なものから、デルタ線の一辺となっているもの、独立した路線となっているものまで、形態や規模はさまざまである。しかし連絡線自体が主要な路線に位置づけされることは少ない。
また、連絡線として建設されたが、その後の運行系統の変化などによって連絡線とは呼ばれなくなるケースもある。南海電気鉄道の岸里玉出駅における南海本線と高野線の間の線路(当初は「東連絡線」という通称があった)はその典型である。
なお、接続先の路線が軌間や電気方式、保安方式の違いなどにより直通できない場合でも連絡線と呼ばれることがある。上飯田連絡線や三岐鉄道の近鉄連絡線、阪急電鉄が計画している阪急新大阪連絡線や西梅田・十三連絡線、なにわ筋連絡線[2]などが該当する。
日本の連絡線
※JR路線同士を結ぶ線路でデルタ線を形成しているものは「デルタ線」の項を参照。
現存する連絡線
自社線同士の連絡線
- 札幌市交通局
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東北本線松島駅 - 仙石線高城町駅 (仙石線・東北本線接続線)
- 東北本線仙台駅方面と仙石線石巻駅方面を結ぶ直通快速列車(仙石東北ライン)が使用。東北本線の無名枝線として営業キロ(0.3 km)が設定されている。東北本線(盛岡方面)との分岐点は松島駅の塩釜駅方(松島駅構内の扱い)にあり、営業(線路名称)上は松島駅を分岐駅としている。ただし、松島駅には当線の乗降設備はないため、松島駅で当線経由の列車に乗降することはできない。
- 東京地下鉄(東京メトロ)
- 東京都交通局
- 名古屋鉄道
- 名古屋市交通局
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 近畿日本鉄道
- 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
- 森之宮検車場全重部門の廃止(車庫のみ引き続き存続)に併せて緑木検車場へ検車機能を統合し、中央線以外に千日前線・谷町線の各車両も中央線を介して緑木検車場まで引き込んでいる。なお、それまで御堂筋線・四つ橋線と中央線など、線路が直接繋がっていなかった路線同士の車両の転属回送は、トレーラーを使用して深夜に陸送を行っていた。
- 阪急電鉄
- 阪神電気鉄道
他社線との連絡線
- JR東日本と東武鉄道
- JR東日本と西武鉄道
- 西武鉄道と秩父鉄道
- JR東日本と東京臨海高速鉄道
- 相模鉄道とJR東日本
- 京浜急行電鉄とJR東日本
- 京急逗子線六浦駅 - 横須賀線逗子駅間
- 総合車両製作所横浜事業所(旧東急車輛製造)が京浜急行電鉄(京急)の金沢八景駅に隣接して立地する都合上、京急逗子線の金沢八景 - 神武寺駅間の上り線は、JRなどへの新製車両の納入や、改造車両などの入出場で使用。横浜事業所からJR逗子駅までの搬出入(回送)線を併設しており、1435mm(標準軌)と1067mm(狭軌)の三線軌条区間となっている。
- 小田急電鉄とJR東海
- JR東海と伊豆箱根鉄道
- 南海電気鉄道とJR西日本
構想および計画中の連絡線
- JR東日本
廃止された連絡線
※両方の路線が接続地点において現存するものに限定して記載する。事業者名は撤去時点の名称。
- 小田急電鉄と京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)
- 小田急小田原線世田谷代田駅 - 京王井の頭線新代田駅間(代田連絡線)
- 戦時中、1945年5月の空襲で井の頭線永福町車庫が被災した後、他路線からの借入車や新車の搬入、被災車両の搬出、借入車の返却を行うため、強制収用した土地に建設された[9]。建設当時は、両線がいずれも東京急行電鉄(いわゆる大東急。1948年6月に小田急電鉄・京王帝都電鉄が分離発足)だったため実現した。京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が承継した後、地主からの返還請求により1952年に使用を停止し、翌年撤去された[9]。その跡地は世田谷代田駅にわずかに残っていたが、小田急線の複々線化事業の進捗により完全に消滅した[9]。
- 日本国有鉄道と京浜急行電鉄
- 東海道本線蒲田駅 - 京急穴守線(現在の空港線)京急蒲田駅間(蒲蒲連絡線)
- 太平洋戦争後の1945年9月、羽田飛行場を接収した米軍への物資輸送用として建設。建設時点では穴守線は東京急行電鉄(いわゆる大東急)に所属していた(1948年6月に京浜急行電鉄として再分離)。京急穴守線は上り線を1067mmに改軌の上、国鉄の運行による貨物輸送が1952年11月まで実施されていた。現在は線路は撤去され、跡地は道路等に転用されている[10]。なお2014年現在、大田区が東急多摩川線矢口渡駅 - 京急空港線大鳥居駅間に新線を敷設する蒲蒲線(仮称)の計画を検討中であるが、上述の蒲蒲連絡線とは無関係である。
- 日本国有鉄道と小田急電鉄
- 南武線宿河原駅 - 小田急小田原線向ヶ丘遊園駅(当時は稲田登戸駅)間(登戸連絡線、南武連絡線)
- 南武線が国有化される前の1937年に設置された[9]。当時は連絡線を通じた貨物輸送(砂利運搬)[9]や、電車の貸し借りが行われていた。また、戦争中には東海道本線が戦争で被災した場合の迂回路に想定されたこともある。主な輸送対象だった河川の砂利採取が禁止されたことで1967年3月に廃止[9]。跡地も区画整理されほぼ現存しない。ただし、南武線宿河原駅 - 登戸駅間の線路際西側に小田急電鉄の用地が僅かながら現存する。
- 日本国有鉄道と東京急行電鉄(現在の東急電鉄)
- 菊名駅構内(横浜線と東急東横線)
- 甲種輸送などを行うため、東横線渋谷方面と横浜線八王子方面の線路の間に連絡線(いわゆる授受線)が存在した。後にその役割を長津田駅に譲っている。1966年9月に撤去され、痕跡は残っていない。
- JR西日本と富山地方鉄道
- 日本国有鉄道
- 名古屋鉄道
- 名古屋鉄道と近畿日本鉄道
- 名古屋鉄道とJR東海
- 名鉄犬山線新鵜沼駅 - 高山本線鵜沼駅間(鵜沼連絡線)
- 名鉄と高山本線方面との貨車受け渡しのために建設されたもので、戦前から存在した。当初設置されたものは新鵜沼駅から右カーブし、国鉄鵜沼駅東側でスイッチバックして岐阜方に向かって鵜沼駅構内に進入する線路であった。1932年には(高山本線内は蒸気機関車に牽引させる形で)この線路を経由した直通旅客列車が運行されている。高山駅方面に向かうために、列車は国社連絡線の突き当たりと鵜沼駅で2回方向を転じていた。戦後は「北アルプス」(当初は準急「たかやま」)の運行にも使用された。1972年には、高山本線高山方からこの連絡線に接続する短絡線(渡り線)が設置され、「北アルプス」の方向転換は解消された。しかし、同列車が2001年に廃止されたため、分岐器が撤去されて線路が切断された。線路自体はJR鵜沼駅脇に名鉄の電留線があったため、名鉄新鵜沼駅の引き上げ線として残っていたが、2008年までに使用されなくなり、線路は2011年初頭までに完全に撤去され、跡地は道路に転用された[11]。
- 京阪電気鉄道と近畿日本鉄道
- 阪神電気鉄道と京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)
- JR西日本
- 九州旅客鉄道(JR九州)
- 日本国有鉄道と福岡市交通局
日本国外の連絡線
- ニューヨーク市地下鉄
ニューヨーク市地下鉄には、異なる路線間をつなぐ"Connection"と呼ばれる線路があり、「連絡線」と訳される。詳細はニューヨーク市地下鉄の路線の一覧を参照。
- バンコク・スカイトレイン
バンコク都内を中心に走るバンコク・スカイトレイン(BTS)のターミナル駅であるサイアム駅には、スクムウィット線とシーロム線をつなぐ連絡線が設けられている。シーロム線内には車両基地がないため、普段はシーロム線で使用する車両(車両はスクムウィット線と共通運用)の出入庫に使用している。ほかにも、この2路線はそれぞれ独立して運行されており通常時はこのサイアム駅で乗り換えとなるが、輸送障害の発生などでダイヤが乱れた際には、突発的にこの連絡線を介して相互に乗り入れを行うこともある[12]。
脚注
関連項目