津和地島(つわじじま)は、愛媛県松山市に属する島。忽那諸島(くつなしょとう)の一部で、有人島の内では最も北西にあり、山口県、広島県に近い島である。
東西に島が連なる忽那諸島の一島。東の怒和島との間には津和地瀬戸が広がるが、怒和島の元怒和の集落とは目と鼻の先である。北は広島湾に面する。南は伊予灘に面し二子瀬戸をはさみ沖合に二神島とそれらの属島群が、さらに沖合には由利島が浮かぶ。西に情島・諸島(山口県周防大島諸島)との間は諸島水道で隔てられ、山口県との県境をなす。属島として北に小児島(ここじま)、流児島(ながれこじま)、西に竹ノ子島を擁する(いずれも無人島)。
最も高い山でも163mと険しい山はない。
島には平地は乏しく、海岸に沿って集落が形成され、人家が密集している。背後の山の頂上付近にまで果樹園が展開されている。
島根県津和野からの移住者が多かったからとする説があるが不詳。[1]
花崗岩質。
時期不詳ながら、島に人が住み着いたのは北岸の氏神鼻と呼ばれる付近であり、八幡神社もおかれていた。やがて、北西方向の季節風を避けるため、現在の集落のある島の南東岸に移り住むようになったという。[2]
1889年(明治22年)、町村制施行により周囲の島々とともに風早郡(1897年より温泉郡)神和村[注釈 1]に属していたが1959年(昭和34年)に合併により中島町となり、2005年(平成17年)に松山市に編入された。
平地は乏しく、島の南東岸にの竜ヶ口鼻と常燈鼻の間に形成された湾に集落が形成され、人家が密集している。集落としては一か所。港付近の古い民家では間口は狭いものの奥行きが長い造りの建物が多い。小学校は集落から南西方向にやや離れた海岸沿いに位置する(休校中)。
非実効支配下の島は除く。※印は民間人の定住者が居ない島嶼。太字は特定有人国境離島地域に指定されている島嶼。 △印は架橋などにより本土・沖縄本島と陸続となったが、引続き離島振興法などに指定されている島嶼。 ◇印は本土・沖縄本島と橋で繋がらない有人島と架橋されている島嶼。☆印は一般利用可能な定期航路・航空路等を有しない未架橋の島嶼。 +印は過去に離島振興法などに指定されていた島嶼あるいは法令上で無人指定離島として扱われる島嶼。 関連項目:日本の島の一覧 - 日本の離島架橋 - 離島振興法 - 小笠原諸島振興開発特別措置法 - 奄美群島振興開発特別措置法 - 沖縄振興特別措置法 - 離島航路整備法 - 有人国境離島特別措置法 - しま山100選