岩子島(いわしじま)は、広島県尾道市に属す島である。
本州尾道市から南の尾道水道を隔てた位置にある島[1]。東側が御幸瀬戸を隔てて向島になり、 向島大橋で結ばれている[1]。向島はしまなみ海道と結ばれているため、この島は本州と陸続きになる[1]。地理的・文化的にも向島と一体化している存在である[2]。
面積2.46km2(2015年現在[3])。周囲約8km [4]。気候は瀬戸内海式気候。
人口約660人、高齢化率44.9%(2012年現在[5])。島域すべて〒722-0072広島県尾道市向島町岩子島。
この島では遺跡・古墳・古城跡といった埋蔵文化財は発見されていない[6]。
島の南西部にある岩子島厳島神社には、太古の昔市岐島姫命が滞在した伝説が残る。ただ話自体は後世の創作であるとしている[7]。
この島の北西部、尾道水道の西端にある2つの無人島は現在は三原市に属しており、それぞれ「大鯨島」と「小鯨島」、纏めて「鯨島」とも呼ばれる。これらの島のことは、応安4年(1371年)今川貞世(了俊)が九州探題として下向していた時の紀行文『道ゆきぶり』や、康応元年(1389年)足利義満厳島詣の際の紀行文『鹿苑院殿厳島詣記』に登場する[8]。
其海中に木ぶかき小島二ならびたり、是なんくぢら島といふなり、年ごとのしはすに、くぢらといふうを多くよりきつヽ、又のとしのむ月に又かへり侍るとなん、是はこヽにいます神の誓にてかく侍ると、海人どもの申也・・・ — 今川了俊、道ゆきぶり[9]
つまり、中世には岩子島付近までクジラが回遊していたことを意味する[10]。一方で、岩子島の名称はイワシの回遊に由来しているともされている[11]。後述の岩子島厳島神社管絃祭の際には、御座船が岩子島と鯨島を巡る[10]。なお、スナメリは近年でも回遊する姿が時折見られる。
江戸時代、この地は広島藩領となる。
島の産業の中心は農業。
特に国内トップの生産量を誇るワケギの産地として著名である。大正時代から一大産地となったものの、太平洋戦争中には統制野菜(麦やサツマイモなど)が生産されたため、一時期廃れた。1949年(昭和24年)野菜の統制撤廃後からワケギ栽培が復活し、農業技術の革新により1970年代には広島ワケギの名声を確立した。島の農家の4割がワケギ農家である[1][14]。
また広島県内トップの生産量を誇るトマトの産地でもある[4]。
ここでは国・県・市が指定している文化財を列挙する[2]。
向島大橋、尾道大橋で結ばれているため陸続きである。フェリー航路・渡船は存在していない。公共交通機関としてはおのみちバスの路線がある。
向島大橋は、北側に車道橋としてのランガ―橋と、南側に歩道橋としてのトラス橋が並走して架けられ、どちらも鮮やかな赤の塗装が施されている。尾道と向島を結ぶ橋が尾道大橋であることなどの前例から、岩子島大橋ではなく向島大橋と命名された。全長は 約140 m 、海面からの高さは 14 m で、1968年(昭和43年)に日本初の海を渡る農道の橋(渡海農道橋)として開通し、1990年(平成2年)にトラス橋が併設された[12]。
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