六口島(むぐちじま)は岡山県倉敷市下津井にある島。
下津井港の南西沖約2kmの海上にある有人島[1][2]。高梁川河口の東南に方向にあたり、北側には濃地諸島、北西には網代諸島・水島群島、西方向には笠岡諸島、そして南側には塩飽諸島が隣接するようにある。島の周囲は約5.9km、海抜は約140mで面積は1.09km2である[1][2]。地形は急峻で、山林の多くは国有林である[1]。松が生い茂っているのが特徴的である。2015年4月時点の人口は8名[3]。島名は、島に6つの谷があることにちなむ[1]。この谷は、東側が一番谷であり、西に向かって番号が増え六番谷迄名前がついている[2]。
島内からサヌカイトを用いた石器や縄文土器が出土しており、古くから人が居住していたことが分かっている[2]。江戸時代初期には花崗岩の採石場が設置されており、関ヶ原の戦い後に行われた大坂城の修築の際には、本島の花崗岩も用いられた[2]。
1646年(正保3年)に、岡山藩領となった[2]。その後、同藩の馬飼い場となり、その在番者の3戸があるのみであった。その後、明治までに2戸に減少したが、その後は5戸まで増加した。1905年(明治38年)に、筆海小学校[注釈 1]の六口島分教場が設置されたが、僅か13年後の1918年(大正7年)には休校となった[4]。
戦後に入植者が増加し、耕地が開発された。最盛期の1960年(昭和35年)の人口は46人を数えたが、時代が下るにつれて人口は逓減している[2]。1954年(昭和29年)に児島市立下津井小学校[注釈 2]の六口島分校が設置された[2]。加えて、1957年(昭和32年)に児島市立下津井中学校[注釈 3]の六口島分校が設置された[5]。これらの小中学校の分校も昭和40年代に相次いで休校となり、復活することなく廃校となった[注釈 4][注釈 5][4][5]。島では、観光ホテルやキャンプ場・海水浴場などが建設され、観光が主要産業となった。人口は一桁となってしまったものの、2016年(平成28年)の来島者は年間約2,000人を記録している[2]。なお、水道は井戸水を使用している[2]。
西岸に「象岩」と呼ばれる象の形をした奇岩があり、国の天然記念物に指定されている[1]。1933年(昭和8年)には、歌人として著名な与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が来島しており、それぞれが短歌を詠んでいる[2]。
島への定期船はないため、下津井港などからチャーター便を利用する必要がある[2]。なお、夏季海水浴シーズンには下津井港から船便が運航される[6]。
非実効支配下の島は除く。※印は民間人の定住者が居ない島嶼。太字は特定有人国境離島地域に指定されている島嶼。 △印は架橋などにより本土・沖縄本島と陸続となったが、引続き離島振興法などに指定されている島嶼。 ◇印は本土・沖縄本島と橋で繋がらない有人島と架橋されている島嶼。☆印は一般利用可能な定期航路・航空路等を有しない未架橋の島嶼。 +印は過去に離島振興法などに指定されていた島嶼あるいは法令上で無人指定離島として扱われる島嶼。 関連項目:日本の島の一覧 - 日本の離島架橋 - 離島振興法 - 小笠原諸島振興開発特別措置法 - 奄美群島振興開発特別措置法 - 沖縄振興特別措置法 - 離島航路整備法 - 有人国境離島特別措置法 - しま山100選
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