中井 貴惠(なかい きえ、1957年〈昭和32年〉11月27日 - )は、日本の女優、エッセイスト。東京都出身[1]。田園調布雙葉中学校・高等学校、早稲田大学第一文学部 → 日本文学科卒業[要出典]。芸名「貴恵」の名付け親は木下惠介。
来歴・人物
戦後のスターで 〝松竹三羽烏〟と言われた俳優・佐田啓二の長女として生まれた。しかし1964年、小学生になって初めての夏休みに父である佐田が交通事故で他界し、その事故直前に蓼科高原の別荘に家族で過ごしたのが父との最後の思い出となった[2]。当時まだ6歳だったこともあり生前父の仕事についてあまり良く知らなかったが父の死後、生前出演した映画を何本も見ることで俳優としての父を知った[2]。
早稲田大学第一文学部在学中に女優デビューすることになり、一部から二部へ転部し日本文学科卒業。弟に俳優の中井貴一がいる。貴一は、仕事では姉の喜惠と共演したくないという姿勢であり、同じドラマに出演した際には一度も共演するシーンがなかった。
1977年、市川崑監督の映画『女王蜂』(東宝)でデビューする[1]。トップクレジットでこそないもののタイトルが指し示すヒロイン役であり、本人によると「この映画は死んだ父に今の私ができるたった一つのプレゼント」との思いで撮影に臨んでいたという[2]。多数の大スターに囲まれながら一押しの大型新人として宣伝の中心に据えられる破格の待遇を受け、数々の新人賞を受賞した。
1982年には『あゝ野麦峠 新緑篇』(東宝)、『制覇』(東映)で第6回日本アカデミー賞助演女優賞にノミネート。以後、映画やテレビドラマ・CMに出演し、1983年には映画『人生劇場』(東映)にてヌードを披露した。
1987年の結婚を機に女優業を休業。夫は土木建設コンサルタント技術者(当時パシフィックコンサルタンツ株式会社勤務)。その後、夫の勤務地であるアメリカのニューハンプシャー州、帰国後は札幌に居住していたが、現在は東京在住。2女の母。
近年は、絵本朗読を行う「大人と子供のための読みきかせの会」の活動を続けている。なお、「大人と子供のための読みきかせの会」は本名の「中沢貴恵子」併記で活動している。
2008年、父佐田啓二が常連だった小津映画を音楽家とのコラボレーションで朗読公演にした『音語り』をはじめる[3]。「晩春」をはじめ、「秋日和」「東京物語」「お早よう」「秋刀魚の味」「麥秋」の全6作品のシリーズを「小津安二郎記念蓼科高原映画祭」[4]等各地で演じている。
主な出演作品
映画
テレビドラマ
- 1980年
- 1981年
- 1982年
- 1983年
- 1984年
- 1985年
- NHK総合 銀河テレビ小説「やつらの戦い2」 - 早苗役
- NHK総合 「破獄」 - マキ子役
- フジテレビ「間違いだらけの夫選び」
- テレビ朝日「見込み違い夫婦」
- 1986年
- 1987年
- フジテレビ「同級生は13歳」
- TBS 「新人類スチュワーデス二人旅」 - 影木裕美役
ラジオドラマ
バラエティ・情報番組・アニメ
CM
書籍
絵本
エピソード
- 1963年5歳の喜惠は、父である佐田と親しくしていた小津安二郎が12月12日に亡くなる約1ヶ月前の11月14日、病床の小津を見舞い、一緒に「スーダラ節」「幸福を売る男」を歌っている[6]。
- 27歳で夭折した夏目雅子とは、共演こそ少なかったが、プライベートでは親交が深かった(2010年3月放送の『もう一度会いたい素顔の夏目雅子 〜親友・中井貴惠が時を訪ね行く… 〜』(BS朝日)ではナビゲーターを務めている)。
脚注
外部リンク
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|