従来のフォーク・ソング愛好者、とくに反体制志向のプロテストソングを好むファンなどには、この変化は「フォークに対する裏切り」と解釈された。なかでも1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはバック・バンドと共に数曲演奏したが、トーキングブルースなどの弾き語りを要求するファンから強い非難を受けた。ディランはやむなく舞台を降りた後、アコースティック・ギターを持って再登場し、観客に「お前らなんて信じない」(I don't believe in you, you're a liar!)と言い放ち、過去の音楽との決別を示唆するかのごとく「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」を涙ながらに歌いあげた[85]、という逸話が有名である(しかし、これはあくまでサイ&バーバラ・リバコブの伝記に記述された、ややドラマティックな脚色がもたらした風説である。非難はひどい音響とあまりに短い演奏だったことに対するものであり、実際には歓声もあがっていたという証言もある[86]。また、バンドで用意した曲だけでは時間が余ったため、アコースティック・ギターで数曲を披露したに過ぎないという証言も存在する)。
1971年発表の『グレーテスト・ヒッツ第2集』にはディラン自身が出した条件としてレオン・ラッセル、デラニー&ボニー&フレンズとのセッションから2曲、ハッピー・トラウムとのセッションから3曲、そして未発表初期音源としてタウンホールでのライブから「明日は遠く ("Tomorrow Is A Long Time") 」を一切の手を加えない状態で収録。ベスト盤にボーナス・トラックを加える先例となる。また、同年末には久々のプロテストソングである「ジョージ・ジャクソン」を発表。A面にはレオン・ラッセルとのセッションからのビッグ・バンド・バージョン、B面にはアコースティック・バージョンを収録。当時のアメリカの放送局では、歌詞に問題がある場合はそのシングルのB面を放送するのが慣例であったが、このシングルはB面の方が歌詞がより鮮明に聴こえ、逆に効果があった。
翌1975年には、『ブロンド・オン・ブロンド』のサウンドと『ナッシュヴィル・スカイライン』の透明感を併せ持つコロムビア復帰作『血の轍』を発表。内省的で沈鬱な内容にもかかわらず、これも1位を獲得。ディランは当時、マリー・トラヴァース(ピーター・ポール&マリー)のラジオ番組で「なぜ、このような暗いアルバムが好かれているのか理由がわからない」と述べている。この作品は、当初ニューヨークで録音されてプレス盤も出回ったが、ディラン本人が発売を制止し、ミネアポリスで半数を取り直した。録音にはミック・ジャガーが立ち会った。ジャガーはオルガンも弾いたそうだが、採用されたかは不明。ニューヨークでの音源からは「リリー、ローズマリーとハートのジャック ("Lily, Rosemary and the Jack of Hearts") 」だけが公開されなかった。
1978年には映画『レナルド&クララ ("Renaldo and Clara")』が公開されるが、内容が難解すぎると不評を買い、興行的には失敗。はじめは4時間弱だったが、後に2時間の短縮版が編集され再度公開。だが結局評価は変わらずじまいであった。封切りに先立ち『4 Songs From "Renaldo & Clara"』というEPが業界内に配布された。サウンドトラック盤からの抜粋であるが、オリジナル盤は公式発表されていない。
1978年、12年ぶりにワールド・ツアーを開始した。2月から3月にかけては初の来日公演を行ない、東京公演の模様が『武道館』に収録、発売された。1971年のレオン・ラッセル・セッション以来の女性コーラス、ホーンセクションを含むビッグバンド編成である(ディランは1987年のツアーまで女性コーラスを導入していた)。また、ツアー中には、ツアーメンバーとともに『ストリート・リーガル』を制作。日本滞在時に作曲したという「イズ・ユア・ラヴ・イン・ヴェイン ("Is Your Love in Vain?") 」も収録されており、イギリスなどでヒットとなった。
なお、来日記念盤として日本限定で発売された『傑作』には、アルバム未収録の「親指トムのブルースのように ("Just Like Tom Thumb's Blues", Live at Liverpool) 」「スペイン語は愛の言葉 "Spanish Is The Loving Tongue" (Piano Solo Version) 」「 ジョージ・ジャクソン (Big Band Version) 」「リタ・メイ」などが収録された。後にオーストラリアとニュージーランドでCD化されたが、入手困難となっている。
1979年発表の『スロー・トレイン・カミング』はディラン流のゴスペルで占められていた。このアルバムはマッスルショウルズの専属スタジオミュージシャン達の手により制作された[104]、ディラン初の“プロフェッショナル”なアルバムである。このアルバムは旧来のファン離れを招いた[注釈 35]ものの、売れに売れてグラミー賞も獲得した。本作収録曲の「ガッタ・サーヴ・サムバディ(Single Edit.)」はディラン最後のトップ40シングルである。シングルB面の "Trouble in Mind" はアルバム未収録。また、未発表の "Ain't No Man Righteous, No Not One" もレゲエ・グループのJah Mallaにカバーされるなど、この時期の曲は比較的人気が高くトリビュート・アルバムも作られている。
1980年代
キリスト教三部作の終了
前述の『スロー・トレイン・カミング』と1980年発表の『セイヴド』、1981年発表の『ショット・オブ・ラブ』は「ゴスペル三部作」と呼ばれる。この時期のコンサートでは、当初これらの作品群に含まれる楽曲しか演奏しなかったため、不評を買い動員にも伸び悩んだ。その結果を考慮して、後期のツアーでは初期のヒット曲も織り交ぜた折衷版として妥協の姿勢も見せた。ディランはこの当時のサウンドにはかなり誇りを持っていたようで、ライブアルバムの発表を望んだが、コロムビアに拒否された。『ショット・オブ・ラブ』のアルバム未収録曲としては "Let It Be Me" 、「デッド・マン、デッド・マン ("Dead Man, Dead Man", Live Version) 」がある。後者は1989年「ポリティカル・ワールド ("Political World") 」のカップリングで発表された後、『Live 1961-2000』に再録。1981年にはそれまでの代表曲、未発表曲を網羅したコンピレーションアルバム『バイオグラフ』の企画が持ち上がる。発売には4年を要したため、1982年以降の曲は収録されていない。
ソニー・ミュージックとクリスチャン・トゥディ(2016/10月)が伝えたところによれば、ディランは83年の「インフィデル」からユダヤ教に回帰している[105]。確かにダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーをプロデューサーに迎えて製作した『インフィデル』(1983)はキリスト教色は薄れている。ディランが21世紀に入ってからも福音派を信仰しているという誤りは、アル・カシャというキリスト教者による希望的憶測に過ぎなかった。ノップラーは制作途中で自身のワールドツアーに出てしまい[106]、残されたテープをディラン自身がミックスしたこのアルバムにはノップラーも含め、選曲、アレンジなどに不満の声が集まった[注釈 36]。このアルバムからのシングル「スウィートハート ("Sweetheart Like You") 」はビルボード55位だった。
ディランは、次なるチャリティー・コンサート「ファーム・エイド」でトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズに伴奏を依頼する。このステージを縁として、翌1986年から1987年の共演ツアーが実現し、後に大きな話題となるトラヴェリング・ウィルベリーズ結成にもつながってゆく。ハートブレイカーズとの公式音源はビデオ "Hard To Handle" に収録。また "Bob Dylan with The Heartbreakers" 名義で「バンド・オブ・ザ・ハンド」が発表された。助力を仰いだ理由としては、1980年代は売上も下降気味で、ディラン単独では大きなアリーナやスタジアムでの公演が難しく、サンタナやグレイトフル・デッドなどとパッケージを組むしかなくなっていた当時の窮状が挙げられる。しかし、『リアル・ライヴ』(1984年)、『ディラン&ザ・デッド』(1989年)の2枚のライブアルバムは最低の評価を受けた。ディランとジェリー・ガルシアは何年にも渡って、お互いに敬意を払っており、デッドのメンバーもディランの作品を聴いていることを秘密にはしなかった[107]。ディランの手法[注釈 37]は指示を出さず、キーやリズムの指定もしないというもので、即興演奏を得意とするザ・デッドには合っていた。
ディランは、トム・ペティを通じて知己を得たユーリズミックスのデイヴ・ステュワートに「エモーショナリィ・ユアーズ ("Emotionally Yours") 」 "When The Night Comes Falling From The Sky" のミュージック・ビデオ制作を依頼する。ディランは数年後にジョン・メレンキャンプにも依頼しているが、ミュージシャンに映像制作を依頼する理由は不明である。
また、1987年に公開された出演映画『ハーツ・オブ・ファイヤー(Hearts Of Fire)』も不評を買うなど、この時期のディランの活動はことごとく不調であった。なお、『ハーツ・オブ・ファイヤー』のサウンドトラックにはディランの曲が3曲収録されたが、廃盤となっている。他に、ディズニーの企画盤では "This Old Man" が、ウディ・ガスリーの追悼アルバムには "Pretty Boy Floyd" が収録された。
1989年には、ボノの進言で招聘したダニエル・ラノワの助力による『オー・マーシー』を発表。ディランの持つ南部音楽志向を存分に引き出したが、売上は全盛期には遠く及ばなかった。2005年に発売された自伝には当時のレコーディングのことが詳細に記述されている。収録曲「モスト・オブ・ザ・タイム "Most of the Time" 」のミュージック・ビデオには別テイクが使われており、その音源はプロモーションCDにのみ収録された。
同年には、それまでの過去の音源からの未発表曲を網羅した『ブートレッグ・シリーズ第1〜3集』を発表した。「アイ・シャル・ビー・リリースト」「ブラインド・ウィーリー・マクテル ("Blind Willie McTell") 」「夢のつづき ("Series Of Dreams") 」などの曲で再評価の兆しになった。
1992年10月16日にはレコードデビュー30周年を祝って、マディソン・スクエア・ガーデンで記念公演が開催され、多くのアーティストがディランの代表曲を歌った。ディランは当時、過去の人扱いにも似たこの「ボブ・フェスト(ニール・ヤングによる命名)」をよく思わず、舞台上でも時折不機嫌な表情を見せていた。また、出演者が勢ぞろいして歌った「マイ・バック・ページ」はCDでディランのボーカルが差し替えられていたりと、編集の形跡がみられる。 "Song to Woody" はPAの不備によりアルバム収録はならなかったが、アコースティック・ギター一本でリードギターを弾く「イッツ・オールライト・マ ("It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)") 」は満場の観客を捉えるに充分であった。
1994年、2月に8年ぶりに日本公演を行なう。4月には奈良市東大寺境内で行なわれたユネスコ主催の音楽祭『THE GREAT MUSIC EXPERIENCE '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』のため再訪日。東京ニューフィルハーモニック管弦楽団と共に3曲(鐘をならせ("Ring Them Bells")、アイ・シャル・ビー・リリースド("I Shall Be Released")、激しい雨が降る("A Hard Rain's A-Gonna Fall"))を披露した。そのうちの1曲「はげしい雨が降る」のシンフォニックバージョンがヨーロッパ、オセアニアなどでシングルCD「ディグニティ」のカップリング曲として収録されている(国によっては「悲しきベイブ (Renaldo & Clara Version)」に差し替えられている)。
夏には「ウッドストック1994 ("Woodstock '94") 」にも出演。公式アルバムには、ディランの「追憶のハイウェイ61 ("Highway 61 Revisited") 」だけが収録された。年末にはMTVの公開番組『MTVアンプラグド』に出演。1960年代の曲を中心とした選曲で、評判となる(ディランは当初古いフォーク・ソングを演奏することに決めていたが、ソニーが反対した[111])。翌年『MTVアンプラグド』(1995年)のCD・ビデオが発売された。同時期、自身が設立したレーベルから、ジミー・ロジャースのトリビュートアルバムを発表。 "My Blue Eyed Jane" はエミルー・ハリス、ダニエル・ラノワとの久々の共演であった。
2006年3月からは、ラジオ番組『Theme Time Radio Hour』で、初めてDJを務めている(アメリカの衛星ラジオ局、MX・サテライト・ラジオの「ディープ・アルバム・ロック・チャンネル」にて放送)。5月、故郷のダルースで、ディランに関する地を巡る全長1.8マイルの道路に標識が設置され、「ボブ・ディラン・ウェイ」と命名された。毎年5月には、誕生日を祝うイベントも開催されている[124]。
^これはドラッグソング(もしくは放送倫理規定に抵触するおそれのある曲)の1位到達を避けるための意図的な順位操作と言われている。他の例としてはドノヴァンの「メロー・イエロー (Mellow Yellow)」、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの「ファイアー (Fire)」、ナポレオン14世の「狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ… (They're Coming To Take Me Away, Ha-Haaa!)」などがいずれも2位止まりである。
^1998年に発売された『ロイヤル・アルバート・ホール』は、実際にはマンチェスター、フリー・トレード・ホールの公演が収録されている。この公演は、会場の表記を間違えたブートレグが発売されて有名になっていたため、正規盤として発売された際にも、引用符を付けて "The "Royal Albert Hall" Concert のタイトルであえて名残を残したのである。なお、実際のロイヤル・アルバート・ホール公演の客席にはビートルズ、ローリング・ストーンズ、チャールズ3世(当時皇太子)がいたということから、当時の関心の高さがうかがえる。なお、会場側の機材の不備により、ミュージシャン側がPAシステムを持ち込むようになったのはこのツアーが初めてである。
^Williams (1962年)。"For six troubled months, Bob attended the University of Minnesota on a scholarship. But like so many of the restless, questioning students of his generation, the formal confines of college couldn't hold him."
^“Folk Singers: Let Us Now Praise Little Men” (英語). Time (1963年5月31日). 2009年11月7日閲覧。 “Something Unique. There is something faintly ridiculous about such a citybilly, yet Dylan is the newest hero of an art that has made a fetish out of authenticity.”
^ Male, Andrew (2007年11月26日). “Bob Dylan — Disc of the Day: Self Portrait” (英語). Mojo. 2009年11月16日閲覧。 “What is this shit! Greil Marcus said it first in his 1970 Rolling Stone review of Self Portrait”
^ “Bob Dylan: American Masters” (英語). PBS. 2009年11月6日閲覧。 “Thirteen/WNET New York and Sikelia Productions, in co-production with Vulcan Productions, BBC and NHK, will make its U.S. broadcast premiere on Thirteen/WNET’s award-winning AMERICAN MASTERS series Monday and Tuesday, September 26-27 at 9 p.m. (ET) on PBS”
^“The Pulitzer Prize Winners 2008: Special Citation” (英語). Pulitzer (2008年5月7日). 2010年3月29日閲覧。 “Awarded to Bob Dylan for his profound impact on popular music and American culture, marked by lyrical compositions of extraordinary poetic power.”
Scaduto, Anthony (1971). Bob Dylan: An Intimate Biography ((1st ed.) ed.). New York: Grosset & Dunlap, Bob Dylan. SIGNET ((paperback ed.) ed.). New York: The New American Library. (1973)
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