ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ガルフストリーム・パークでのハランデール公演にて(2006年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
ジャンル
活動期間 1979年 -
レーベル
公式サイト Official Huey Lewis and the News Website
メンバー
旧メンバー

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(Huey Lewis & The News)は、アメリカ合衆国ロックバンドである。

1980年代に数々のヒットにより高い人気を博したアメリカン・ロックの代表的存在であり、特に、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌で世界的なブレイクを果たしている。

骨太のロックンロールを基盤に、ヒューイのハスキーボイスと爽やかなハーモニーを特徴とするキャッチーなサウンドは、1980年代アメリカのポジティブなイメージをそのまま音楽で表した存在と評される。

歴史

創設者ヒューイ・ルイス(1990年代前後の頃)

ヒューイ・ルイス(Huey Lewis)は1950年7月5日にニューヨークで生まれる。母親がヒッピー思想家であり、白人ながら黒人居住区に住んでいたことで、自然とR&Bなどの黒人音楽に親しむようになった。コーネル大学工学部に入学するがすぐ退学。ほどなくしてサンフランシスコへ引っ越した。

コーネル大学時代にバンドを結成し音楽活動を始め、1972年にショーン・ホッパーとともにカントリーロック・バンドのクローバーに加入する(クローバーの前身、タイニー・ヒアリング・エイド・カンパニーは1966年結成。翌1967年にクローバーと改める)。1976年、クローバーはパブロック界の大御所ニック・ロウの誘いを受けて渡英、エルヴィス・コステロのファーストアルバムのバックを務めることとなる。ヒューイの加入後、1977年にサードアルバムをリリース、その後4枚目のアルバムも発表したが解散。なお、サードアルバムのジャケット表記では、ヒューイは「HUEY LOUIS」という綴りになっていた。

この時期ヒューイをはじめとするクローバーの面々はアイルランドダブリン出身でイギリスでも高い人気を得ていたシン・リジィの前座として起用され、その縁でリジィのアルバム『ライヴ・アンド・デンジャラス』にヒューイがブルースハープ奏者として参加している。ヒューイはリジィのリーダーであったフィル・ライノットから多くのことを学び、自らの糧とする。後述するようにヒューイは多くの才能の発掘・人気向上に力を貸すことになるが、その姿勢は駆け出しのU2ブームタウン・ラッツなどに力を貸したライノットの姿勢に重なるところがある。

クローバー解散後ヒューイはサンフランシスコに戻ってアメリカン・エキスプレスというバンドを結成するが、これも失敗に終わっている。

その後、ヒューイ・ルイスは、1979年に失業中のミュージシャン達を集め、サンフランシスコにかつて存在した、「アンクル・チャーリーズ」という酒場で、後にニュースのメンバーとなる、ジョニー・コーラクリス・ヘイズ、マリオ・シポリナ、ビル・ギブソン、ショーン・ホッパー(ヒューイと共にクローバーで活動していた)らとバー・バンドとして活動を開始。そんな中、後にマネージャーとなる、ビル・ブラウンが彼らの才能を見出して、彼の力でめでたくクリサリス・レコード社との契約を結んだ。

下積みを経て1980年、ヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エキスプレスを結成、これがヒューイ・ルイス&ザ・ニュースと名を変えてデビューする運びとなった。1980年にリリースされたファースト・アルバム『ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース』は、商業的失敗に終わったが、1982年にセカンドアルバム『ベイエリアの風』からシングルカットされた「ビリーヴ・イン・ラヴ」[4]がヒットしたことで、ようやくヒューイは日の目を見る。

1983年には『スポーツ』を発表。「アイ・ウォント・ア・ニュー・ドラッグ」、「ハート・オブ・ロックンロール」、「いつも夢見て(If This Is It)」などのヒットを放ち、アルバムは800万枚以上を売り上げ、バンドは一躍スターの仲間入りを果たした。また「アイ・ウォント〜」が半年後にレイ・パーカーJr.の「ゴーストバスターズ」に盗用され、裁判沙汰になるというオマケもついてきた。

1985年には大ヒット映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌「パワー・オブ・ラヴ」が全米1位の大ヒットを記録する。ヒューイも映画に脇役(オーディションの審査員)としてカメオ出演。主人公マーティが「パワー・オブ・ラヴ」のイントロ部分の演奏途中で「分かった、もういい、止めろ、うるさ過ぎる、次のグループの番だ」という台詞を言う。同年にヒューイはUSAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」に参加、ブリッジ部分でリード・ボーカルを務めた(プリンスの代役)。翌1986年のアルバム「FORE!」からは「ジェイコブズ・ラダー」と「スタック・ウィズ・ユー」の2曲が全米シングルチャートのナンバー1に輝き、バンドの人気は絶頂を極める。

苦労人で義理堅いヒューイは、サンフランシスコ出身のベテラン・ファンク・バンドのタワー・オブ・パワーのホーンセクションを起用し、その復活に力を貸した(1991年のアルバム『ハード・アット・プレイ』には彼らのホーンセクションは登場しない)。またニック・ロウの「アイ・ニュー・ザ・ブライド」をプロデュースしてアメリカでヒットさせている。1986年にデビュー曲「ザ・ウェイ・イット・イズ」の全米1位ヒットを放ったブルース・ホーンズビー&ザ・レインジは、ヒューイが見つけ出した才能の一人だった。

1988年の『スモール・ワールド』以降はバンドの方向性を巡ってレコード会社と衝突することも多く、移籍を繰り返した。1994年には、エレクトラ・レコードからオールディーズのカヴァー・アルバム『バック・トゥ・ザ・ルーツ〜グレート・アメリカン・ソングス・トリビュート』(原題:Four Chords & Several Years Ago)を発表した[5]。メジャー・レーベル以外からアルバムをリリースすることもあったが、現在も活動を続けている。

そんなヒューイ・ルイス&ザ・ニュースにも脱退者が出てくる。1995年にはベーシストのマリオ・シポリナが脱退し、2代目のジョン・ピアースが引き継いだ。2001年には、1980年からギタリストを勤めてきたクリス・ヘイズが脱退し、ギターは2代目のステフ・バーンズが担当することになった。

2006年8月には元ベーシストのマリオ・シポリナが強盗と覚醒剤所持の疑いで逮捕されたが、裁判は終わった模様である(シポリナはメンバー脱退の1年後の1996年にも覚醒剤所持で逮捕されたが、不起訴処分だった)。

2007年8月21日には、復活報告を兼ねて、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのライブにゲスト出演した。

2008年1月28日シカゴと共同で、4月に来日公演を東京・名古屋等で行うことが発表された。

2008年4月16日、公演のために来日していたヒューイが、Zepp大阪でのフー・ファイターズのステージに、1曲ハーモニカで飛び入り参加。

USAラスベガス公演(2009年)

2009年4月13日、サックス奏者ロン・スターリングスが、3年間、闘病していた多発性骨髄腫により死去。

2010年7月7日、ジョニー・バモントがバリトン&テナーサックス担当として、正式メンバーに。バリトンサックス兼任だったロブ・サダスは、テナーサックス専門に。

2018年4月13日、ヒューイが内耳障害であるメニエール病の治療のため2018年に行われる予定だったツアーの全面キャンセルの発表とともに、チケットを購入したファンへ謝罪した。[6]

メンバー

※2019年11月時点

現ラインナップ

サポート

  • マーヴィン・マクファーデン (Marvin McFadden) - トランペット (1994年 - )
  • ロブ・サダス (Rob Sudduth) - テナーサックス (1994年 - )
  • ジョニー・バモント (Johnnie Bamont) - アルトサックス (2009年 - )

旧メンバー

  • マリオ・シポリナ (Mario Cipollina) - ベース (1979年 - 1995年)
  • クリス・ヘイズ (Chris Hayes) - リードギター (1979年 - 2001年)
  • ロン・スターリングス (Ron Stallings) - テナーサックス (1994 - 2009年) - ♰RIP.2009

在籍タイムライン

日本公演

12月3・9・10・11日 日本武道館、4・5日 大阪フェスティバルホール、6日 名古屋市公会堂、8日 NHKホール
7月19日 大阪スタヂアム、21・22日 後楽園球場(ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジを前座に従えての公演)
12月31日 東京ドーム(ブライアン・アダムスらと共催)
1月1日 東京ドーム(ブライアン・アダムスらと共催)、3日 横浜アリーナ、5・6日 大阪城ホール、7日 名古屋レインボーホール
4月5日 神奈川県民ホール、6日 大阪城ホール、9日 センチュリーホール、10・11日 代々木オリンピックプール
11月20日 大宮ソニックシティ
4月14日 広島厚生年金会館、15日 大阪厚生年金会館、17日 中京大学文化市民会館(名古屋市)、19・20日 東京国際フォーラム、22日 パシフィコ横浜
10月7日、8日 渋谷公会堂、10日 メルパルクホール大阪
11月20日、21日 Bunkamuraオーチャードホール、24日 グランキューブ大阪

ディスコグラフィ

アルバム

シングル

1980年

  • "Some of My Lies Are True (Sooner or Later)"
  • "Now Here's You"

1982年

  • "Do You Believe in Love" (US POP #7)
  • "Hope You Love Me Like You Say You Do" (US POP #36)
  • "Workin' for a Livin'" (US POP #41)

1983年

  • "Heart and Soul" (US POP #8)

1984年

  • "I Want a New Drug" (US POP #6)
  • "The Heart of Rock & Roll" (US POP #6)
  • "If This Is It" (US POP #6)
  • "Walking on a Thin Line" (US POP #18)

1985年

  • "The Power of Love" (US POP #1)

1986年

  • "Stuck with You" (US POP #1)
  • "Hip to Be Square" (US POP #3)

1987年

  • "Jacob's Ladder" (US POP #1)
  • "I Know What I Like" (US POP #9)
  • "Doing It All for My Baby" (US POP #6)

1988年

  • "Perfect World" (US POP #3)
  • "Small World, Part 1" (US POP #25)

1989年

  • "Give Me the Keys (And I'll Drive You Crazy)" (US POP #47)
  • "World to Me"
  • "Walking with the Kid"

1991年

  • "Couple Days Off" (US POP #11)
  • "It Hit Me Like a Hammer" (US POP #21)
  • "Build Me Up"
  • "He Don't Know"

1994年

  • "Some Kind of Wonderful" (US POP #44)
  • "But It's Alright" (US POP #54)

1995年

  • "Little Bitty Pretty One"

1996年

  • "100 Years from Now"

2001年

  • "Let Her Go and Start Over"
  • "I'm Not in Love Yet"

脚注

  1. ^ a b Erlewine, Stephen Thomas. “Huey Lewis & the News | Biography & History”. AllMusic. All Media Network. 2021年6月18日閲覧。
  2. ^ a b Harrington, Richard (July 9, 1982). “Huey Lewis: Bearing Down”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/1982/07/09/huey-lewis-bearing-down/58ad8f9f-0fe8-4a55-b8ab-56492cf9fb5e/ 2024年8月26日閲覧。 
  3. ^ a b Tratner, Michael (February 25, 2021). Love and Money: A Literary History of Desires. Oxfordshire: Taylor & Francis. ISBN 9781000339819. "The chapter reads as a review evaluating the qualities in Huey Lewis' albums— some are New Wave... some bring out his quintessential bluesiness— and these shifts in musical style of this bands are as much 'events' in the novel as anything happening in the lives of the characters." 
  4. ^ 元々はAC/DCの大ヒット作『バック・イン・ブラック』をプロデュースしたことで知られる、ロバート・ジョン・マット・ラングが1979年に自身がヴォーカルをとって発表したシングル曲「ウィ・ボース・ビリーブ・イン・ラブ」がオリジナルである。
  5. ^ Picks and Pans Review: Four Chords and Several Years Ago”. People. Meredith Corporation (1994年5月23日). 2019年3月6日閲覧。
  6. ^ ヒューイ・ルイスの聴覚障害のため、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが2018年の全ツアー中止を発表”. uDiscoverMusicJP (2018年4月16日). 2018年4月16日閲覧。

外部リンク

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!