マーク・ボラン (Marc Bolan 、1947年 9月30日 - 1977年 9月16日 )は、イングランド 出身のロック ミュージシャン 、シンガーソングライター 。本名マーク・フェルド (Mark Feld )。
ロックバンド 「T・レックス 」 のボーカリスト 兼ギタリスト 。1970年代 に流行した音楽ジャンル「グラムロック 」の代表的アーティストとして活躍した。2020年 、同バンド名義で「ロックの殿堂 」入り[ 1] 。
生涯
1947年 にロンドン のストーク・ニューウィントン・コモン(en , 現在のハックニー区 )で双子の姉弟として生まれる。父親はロシア/ポーランド系のユダヤ人(アシュケナジム )だった[ 2] 。
1965年 、『ボブ・ディラン (Bob Dylan)』を短縮した『ボラン(Bolan)』を名字にしてソロ・デビュー。1967年 にジョンズ・チルドレン にギタリストとして加入するも、3か月で脱退。その後、スティーブ・ペレグリン・トゥック (英語版 ) (パーカッション)とアコースティック・デュオ『ティラノザウルス・レックス 』を結成。
1970年 、パートナーをミッキー・フィン (英語版 ) に替えてエレクトリック路線に変更し、バンドを『T・レックス 』に改名してからヒット曲を連発。1970年代 のグラム・ロック ・ムーヴメントの第一人者として活動する。
盟友ミッキー・フィン 代表曲には「ゲット・イット・オン」「メタル・グゥルー 」「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」「イージー・アクション 」「20センチュリー・ボーイ 」「ザ・グルーバー」「トラック・オン」「ライト・オブ・ラブ」などがある。
1977年 、グラナダ・テレビジョン に起用されて、TV番組『Marc 』の司会を務めた。同番組は合計6回分が収録され、当時のイギリスの人気アーティストを数多くゲストに迎えた。最終回はグラム・ロック・ムーヴメントのもう一人の第一人者だったデヴィッド・ボウイ を迎え、最後に二人一緒に演奏してボウイが歌い出そうとするところで終わった。
『Marc』第4回の放映から2日後に当たる同年9月16日 、ロンドン郊外のバーンズ で自動車事故 によって世を去った。自動車 は愛人 のグロリア・ジョーンズ [ 注釈 1] が運転し、ボランは助手席に乗車していた[ 3] 。彼の死の状況については様々な説が流布したが、2015年 9月17日付の英国紙ガーディアン は「ボランは即死だった」("Marc Bolan was killed instantly.")[ 4] と記述して流説を明確に否定した。事故は車が大破するほど大きく、ジョーンズも顎を骨折して顔面にかなりの負傷を負った。
1981年10月、ボランが1966年に弾き語りをした音源にバックの演奏がオーバー・ダビングされたアルバム『 You Scare Me to Death (霊魂の叫び) 』が、元マネージャーのサイモン・ネイピア=ベル のプロデュースによってチェリー・レッド・レコード から発表された。
その他
オカルト に凝っていた時期がある。彼は30歳まで生きられないことを予見し怖れていた[ 5] [ 6] 。彼が亡くなったのは、奇しくも30歳の誕生日 の2週間前だった[ 7] 。
ジョーンズとの間に一人息子のロラン・ボランを授かった。ジョーンズは愛人だったので、彼の遺産は彼女とロランには何も残されなかった[ 注釈 2] が、ボランの友人だったボウイがロランを援助していくと表明していた。ロランはミュージシャンとして活動している。
日本のロックバンド・筋肉少女帯 の楽曲「電波Boogie」(アルバム『サーカス団パノラマ島へ帰る 』収録)の歌詞に、伝聞形ではあるがボランが登場している。
脚注
注釈
^ ボランの妻 はジューン・チャイルド。
^ 妻のチャイルドが相続した。
出典
参考文献など
外部リンク