1964年1月3日、『ザ・ジャック・パー・プログラム』はBBCから提供されたビートルズの公演の映像を放送したが、結果的に3千万人もの視聴者を獲得した。ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンはこれにより子供たちの興味がかきたてられたと述べている[12]。放送から約2週間後の1964年の1月中旬に発売された「抱きしめたい」が突如チャートに出現して以降、ビートルズは同国の主要な音楽チャート40種類のほぼ全てで1位に到達し、アメリカでの長期にわたる最初の成功を果たした(「抱きしめたい」は『キャッシュボックス』誌1964年1月25日号(1月18日発売)で1位となった[14]。1964年2月1日にはBillboard Hot 100で1位になった[16])。1964年2月7日にCBSイブニングニュースは、その午後にアメリカ合衆国に到着したビートルズの映像を放送し、その中で特派員が「今回のブリティッシュ・インヴェイジョンはビートルマニアというコードネームで遂行です」と述べた[17]。2日後の2月9日の日曜日、ビートルズは『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。ニールセンの視聴率調査では、アメリカ合衆国の視聴者の45%が同番組を視聴した[9]。
ビートルズに寄せられた多くの反応のうち、社会現象に発展した「ビートルマニア」を肯定的に捉えたのはイギリスのガール・グループであるケアフリーズの"We Love You Beatles" (1964年4月11日に39位[19])や、"A Love Song to the Beatles"という副題がついているパティ・ケイクスの"I Understand Them"などがある[20]。大混乱に不満の意を示したのはアメリカのグループであるフォー・プレップスの"A Letter to the Beatles" (1964年4月4日に85位[21])や、アメリカのコメディアンであるアラン・シャーマンの"Pop Hates the Beatles"などがある[22]。
4月4日にビートルズはBillboard Hot 100シングルチャートの上位5位を独占したが[9][23]、その後同チャートで上位5位を独占したアーティストは、音楽販売が配信主体になった57年後の2021年のドレイクまで現れなかった[24]。ビートルズは『キャッシュボックス』のシングルチャートでも同週に上位5位を独占したが、1位と2位はホット100とは逆であった[25]。グループのチャートにおける圧倒的な成功は1970年に解散するまで続いた[9]。
ビートルズを越えて
ビートルズが初めてホット100に到達した1週間後、スプリングフィールズを経てソロ活動を開始したダスティ・スプリングフィールドがホット100に到達次のイギリスのミュージシャンとして登場し、「二人だけのデート」で12位を記録した[26]。スプリングフィールドはすぐに他にもヒットを数曲出し、AllMusicによると「当時最良のブルー・アイド・ソウル歌手[27]」となった。1965年になる頃にはブリティッシュ・インヴェイジョンの新たな波が押し寄せる。ホリーズやゾンビーズのようなポップ・ロックで活動するバンドがいた一方、より野心的でブルース志向のアプローチをとるバンドが出現したのである[28][29][30][31]。1965年5月8日、ホット100の上位10位は、2位についたアメリカのバンド、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「カウント・ミー・イン」以外、すべてイギリスの楽曲によって占められた[32]。その前の週の『キャッシュボックス』シングルチャートのトップ10についても、6位が"Count Me In"だった以外、ほぼイギリスのミュージシャンが独占した[33]。同年のBillboard Hot 100チャートで1位になった26曲のうちの半分は(1964年から持ち越されたビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も含めて)イギリスのミュージシャンであった。イギリスのアーティストが持ち込んだトレンドは1966年以降まで続くことになった[34]。一方でブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちは、本国の音楽チャートも独占していた[28]。
Danger Man (アメリカ放送時にはSecret Agentと改題された)や『おしゃれ(秘)探偵』のようなイギリスのテレビシリーズがアメリカでも放送され、『0011ナポレオン・ソロ』、パロディシリーズである『それ行けスマート』のようなアメリカ産のスパイものテレビ番組が生みだされるようになった。1966年までには、イギリスとアメリカで作られたスパイもののテレビシリーズが西部劇や地方を舞台にしたシットコムと並んでアメリカの視聴者に好まれるようになった[57]。アメリカ特有の音楽を扱うSing Along with MitchやHootenannyのようなテレビ番組はキャンセルされ、Shindig!やHullabalooのようなイギリスの新しいヒット曲を流すのにより適した形の番組にはやばやととってかわられ、こうした新しい番組の一部はイングランドで撮影された[58][59]。
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