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2011年の相撲(2011ねんのすもう)では、2011年(平成23年)の相撲について述べる。
2010年-2011年-2012年
できごと
1月
2月
3月
- 3日 - 【大相撲】野球賭博問題に関連して、警視庁が現役力士16人、現役親方1人を含む計27人を書類送検した[13]。
- 5日 - 【大相撲】日本相撲協会が新弟子検査を行ったが、受検者数は3月場所前の検査としては過去最少の36人にとどまった[14]。
- 9日 - 【大相撲】日本相撲協会が、八百長問題の再発防止を目的とした特別委員会「大相撲新生委員会」を設置し、この日に初会合が行われた[15]。
- 11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。
- 17日
- 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、日本赤十字社を通じて震災被災地へ5000万円を寄付することを決定した[16]。
- 【大相撲】野球賭博問題に関連して、東京地方検察庁はこの日までに、現役力士4人を含む計9人を賭博罪で略式起訴した[17]。
- 25日 - 【大相撲】日本相撲協会が、東日本大震災への募金活動を開始した[18]。
- 30日 - 【大相撲】日本相撲協会は、東日本大震災からの避難者が集まる東京武道館で4月6日に炊き出しを実施すると発表した[19]。
4月
- 1日 - 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開いて八百長問題に関与した関係者に対する処分を決定し、力士19人に対する引退勧告処分をはじめとして計40人の協会員を処分した[注 2][20]。
- 4日 - 【大相撲】日本相撲協会は、東日本大震災の避難場所となっている旭市立飯岡小学校で4月11日に、味の素スタジアムで4月15日に、炊き出しを実施すると発表した[21]。
- 5日 - 【大相撲】日本相撲協会は、八百長問題で引退勧告を受けた力士19人全員の引退届を受理したと発表した。停職処分となった竹縄親方(元幕内・春日錦)の退職届も受理されたが、退職勧告を受けた谷川親方(元小結・海鵬)は退職届の提出を拒否した。[22]。
- 6日
- 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、八百長問題の影響により5月場所の通常開催を断念し、無料で一般公開する『技量審査場所』とすることを決定した。外部表彰を自粛し優勝パレードは中止とするが、成績等は公式記録として扱うことになる。また、退職勧告処分に従わず退職届の提出を拒否した谷川親方(元小結・海鵬)については解雇処分とすることを決定した[23]。
- 千田川親方(元幕内・燁司)が、年寄「竹縄」に名跡変更した[24]。
- 8日 - 【大相撲】日本相撲協会が、4月9日以降に行う東日本大震災の被災地の慰問と炊き出しの日程を発表した[25]。
- 11日 - 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、八百長問題に関与したとして、幕内蒼国来と十両星風を引退勧告処分とすることを決定した[26]。2人の師匠である荒汐親方(元小結・大豊)と尾車親方(元大関・琴風)は監督責任で1階級降格処分とした。
- 14日 - 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、八百長問題で引退勧告処分とした幕内蒼国来と十両星風が勧告に応じなかったとして、両力士を解雇処分にすることを決定した[27]。
- 20日 - 【大相撲】日本放送協会(NHK)は、5月技量審査場所について中継を行わないと発表した[28]。
- 26日
- 【大相撲】横綱白鵬が会長を務める力士会の会合において、東日本大震災で被災した子供たちを長期的に支援する方策として、十両以上の関取(定員70人)が毎月1万円を今後10年に亘って寄付する計画を白鵬が提案し了承された[29]。
- 【大相撲】稲川親方(元幕内・金開山)が、年寄「千田川」に名跡変更した[30]。
- 29日 - 【大相撲】横綱審議委員会による稽古総見が国技館において一般無料公開で行われたが、入場者数は2000年に一般公開が始まって以来史上最少となる1708人にとどまった[31]。
5月
- 4日 - 【大相撲】元小結普天王が現役を引退し、年寄「稲川」を襲名した[32]。
- 6日 - 【大相撲】日本相撲協会が5月技量審査場所の順席を発表した。解雇処分となった幕内蒼国来と十両星風の位置は空位とされた[33]。
- 14日 - 【大相撲】元関脇北勝力が現役を引退し、年寄「谷川」を襲名した[34]。
- 19日 - 【大相撲】5月技量審査場所12日目のこの日に、大関魁皇の幕内通算出場回数が、高見山の記録を抜いて史上最多となる1431回に到達した[35]。
- 20日 - 【大相撲】現役最年長力士の栃天晃が現役を引退した[36]。
- 22日 - 【大相撲】5月技量審査場所はこの日に千秋楽を迎えて、幕内は横綱白鵬が13勝2敗で、2004年11月場所から2005年11月場所の朝青龍に並んで歴代1位となる7連覇を達成した[37]。
- 25日 - 【大相撲】日本相撲協会が7月場所の番付編成会議を行い、幕内と十両で2人ずつ定員を削減したが1947年5月場所の12人を超えて史上最多となる13人の十両昇進が決定した。このうち2人は5月技量審査場所で負け越しており、戦後初となる負け越し力士の十両昇進となった[38]。
6月
- 2日 - 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、八百長問題の再発防止策が機能したことなどを理由に、7月場所を通常開催することを決定した。NHKによる中継も再開される[39]。
- 4日 - 【大相撲】日本相撲協会が、岩手県上閉伊郡大槌町を皮切りに、東日本大震災の被災3県(岩手・宮城・福島)の10か所の巡回慰問を始めた(6月8日まで)[40][41]。
- 7日 - 超党派の国会議員による「大相撲の早期正常化と更なる発展を求める議員連盟」(会長竹本直一)が発足[42]。
- 17日
- 【大相撲】高島部屋が、所属力士0人になったため閉鎖された。師匠の高島親方(元関脇・高望山)ら関係者は春日山部屋に転属した[43]。
- 【大相撲】八百長問題に関与したとして日本相撲協会を解雇された元幕内蒼国来が、日本相撲協会に対して幕内力士としての地位確認等を求める訴訟を東京地方裁判所に提訴した[44]。
- 27日 - 【大相撲】日本相撲協会が7月場所の番付を発表し、八百長問題の影響で複数の負け越し力士の番付が上昇したため、毎場所編成するようになった1933年以降では初めて幕内、十両からの陥落者がともに1人もいなかった[45]。
7月
- 1日 - 【大相撲】八百長問題に関与したとして日本相撲協会を解雇された元十両星風が、日本相撲協会に対して力士としての地位確認等を求める訴訟を東京地方裁判所に提訴した[46]。
- 13日 - 【大相撲】大関魁皇がこの日の豊ノ島戦に勝利し、千代の富士の持つ通算勝利数記録の1045勝に並んだ[47]。
- 14日 - 【大相撲】大関魁皇がこの日の旭天鵬戦に勝利し、通算勝利数が単独最多の1046勝になった[48]。
- 15日 - 【大相撲】浅香山親方(元幕内・起利錦)が、年寄「雷」に名跡変更した[49]。
- 20日 - 【大相撲】1047勝で歴代最多勝利数記録を持つ大関魁皇が現役を引退し、年寄「浅香山」を襲名した[50]。
- 23日 - 【大相撲】7月場所14日目のこの日に、大関日馬富士の12場所ぶり2度目の幕内最高優勝が決定した。これにより、史上最多タイとなる7連覇中だった横綱白鵬の連続優勝記録が止まった[51]。
8月
- 29日 - 【大相撲】日本相撲協会が9月場所の番付を発表し、大関以上の地位は1993年1月場所以来史上2度目となる日本人力士不在になった[52]。
9月
10月
11月
大相撲
本場所
一月場所(初場所)
両国国技館(東京都)を会場に、初日の1月9日(日)から、千秋楽の1月23日(日)まで15日間開催された。番付発表は2010年(平成22年)12月21日(火)。
三月場所(春場所、大阪場所)(中止)
大阪府立体育会館(大阪市)を会場に、初日の3月13日(日)から千秋楽の3月27日(日)まで15日間開催される予定であったが、2011年2月に発覚した大相撲八百長問題を受けて戦後初めて中止になった。
なお、2日前には東北地方太平洋沖地震(以下、東日本大震災という)が発生しているが、本場所の中止は約1ヶ月前の2月6日に決定しており、東日本大震災の発生に直接起因するものではない。
五月技量審査場所
両国国技館(東京都)を会場に初の技量審査場所として、初日の5月8日(日)から千秋楽の5月22日(日)まで15日間開催された。番付に相当する順席は、3月場所の番付発表予定日だった2月28日(月)に発表されていたが[12]、5月6日(金)に改めて発表された[33]。
七月場所(名古屋場所)
愛知県体育館(名古屋市)を会場に、初日の7月10日(日)から千秋楽の7月24日(日)まで15日間開催された。番付発表は6月27日(月)[45]。
九月場所(秋場所)
両国国技館(東京都)を会場に、初日の9月11日(日)から千秋楽の9月25日(日)まで15日間開催された。番付発表は8月29日(月)。[52]
タイトル |
人物(所属部屋 出身地) - 成績
|
幕内最高優勝 |
白鵬翔(宮城野部屋 モンゴル・ウランバートル出身) - 13勝2敗(2場所ぶり20回目)
|
三賞 |
殊勲賞 |
琴奨菊和弘(佐渡ヶ嶽部屋 福岡県柳川市出身)- 12勝3敗(2場所連続3回目) 稀勢の里寛(鳴戸部屋 茨城県牛久市出身) - 12勝3敗(3場所ぶり5回目)
|
敢闘賞 |
臥牙丸勝(北の湖部屋 ジョージア・トビリシ出身) - 11勝4敗(初受賞)
|
技能賞 |
琴奨菊和弘(佐渡ヶ嶽部屋 福岡県柳川市出身) - 12勝3敗(3場所ぶり4回目)
|
十両優勝 |
妙義龍泰成(境川部屋 兵庫県高砂市出身) - 13勝2敗
|
幕下優勝 |
旭日松広太(大島部屋 千葉県野田市出身) - 7戦全勝
|
三段目優勝 |
唐津海誠二(玉ノ井部屋 佐賀県唐津市出身) - 7戦全勝
|
序二段優勝 |
渡辺太志(貴乃花部屋 山梨県山梨市出身) - 7戦全勝 ※優勝決定戦勝利
|
序ノ口優勝 |
若山聡(阿武松部屋 千葉県勝浦市出身) - 7戦全勝
|
十一月場所(九州場所)
福岡国際センター(福岡市)を会場に、初日の11月13日(日)から千秋楽の11月27日(日)まで15日間開催された。番付発表は10月31日(月)[64]。
タイトル |
人物(所属部屋 出身地) - 成績
|
幕内最高優勝 |
白鵬翔(宮城野部屋 モンゴル・ウランバートル出身) - 14勝1敗(2場所連続21回目)
|
三賞 |
殊勲賞 |
該当者なし
|
敢闘賞 |
若荒雄匡也 (阿武松部屋 千葉県 船橋市出身) - 12勝3敗(初受賞) 碧山亘右 (田子ノ浦部屋 ブルガリア・ヤンボル出身) - 11勝4敗(初受賞)
|
技能賞 |
稀勢の里寛(鳴戸部屋 茨城県牛久市出身) - 10勝5敗(初受賞)
|
十両優勝 |
勢翔太(伊勢ノ海部屋 大阪府交野市出身) - 12勝3敗
|
幕下優勝 |
千昇秀貴(式秀部屋 モンゴル・ウランバートル出身) - 6戦1敗 ※優勝決定戦勝利
|
三段目優勝 |
佐久間山貴之(北の湖部屋 東京都北区出身) - 7戦全勝
|
序二段優勝 |
若山聡(阿武松部屋 千葉県勝浦市出身) - 7戦全勝
|
序ノ口優勝 |
蘇堅太(阿武松部屋 鹿児島県大島郡瀬戸内町出身) - 7戦全勝
|
地方巡業
- 2月に発覚した八百長事件の影響を受け、巡業はすべて中止された。
- 東日本大震災の被災者慰問が夏に行われた。
新弟子検査合格者
- 四股名が太字の者は現役力士。最高位は引退力士のみ記載。3月場所の新弟子検査に合格した力士の初土俵は5月技量審査場所。
場所 |
人数 |
主な合格者 |
四股名 |
最高位 |
最終場所 |
備考
|
1月場所 |
9人[65] |
ガントルガ・ガンエルデネ |
照ノ富士春雄 |
(現役) |
興行ビザ取得待ちのため初土俵は5月技量審査場所
|
3月場所(中止) |
36人[66] |
川畑明生 |
明生力 |
(現役) |
|
齋藤亨将 |
白鷹山亨将 |
(現役) |
|
長谷山正典 |
栃丸正典 |
(現役) |
第2検査合格
|
明月院秀政 |
千代大龍秀政 |
小結 |
2022年11月場所 |
幕下15枚目格付出
|
久保田樹 |
力真樹 |
十両10枚目 |
2017年9月場所 |
|
5月技量審査場所 |
7人[67] |
佐久間貴之 |
常幸龍貴之 |
小結 |
2022年9月場所[68] |
|
笹山喜悌 |
大成道喜悌 |
十両12枚目 |
2024年9月場所 |
|
7月場所 |
2人[69] |
エルデンビィールグ・エンクマンライ |
玉正鳳萬平 |
(現役) |
興行ビザ取得待ちのため初土俵は9月場所
|
9月場所 |
3人[70] |
|
11月場所 |
3人[71] |
大波港 |
若元春港 |
(現役) |
|
引退
場所 |
人数 |
主な引退力士 |
最高位 |
初土俵 |
備考
|
1月場所 |
18人[72] |
土佐ノ海敏生 |
関脇 |
1994年3月場所(幕下最下位格付出) |
年寄「立川」襲名
|
春日錦孝嘉 |
前頭5枚目 |
1991年3月場所 |
年寄「竹縄」襲名
|
増健亘志 |
十両6枚目 |
1996年1月場所(幕下最下位格付出) |
引退時の四股名は柳川
|
5月技量審査場所 |
58人[73] |
北勝力英樹 |
関脇 |
1993年3月場所 |
年寄「谷川」襲名
|
普天王水 |
小結 |
2003年1月場所(幕下15枚目格付出) |
年寄「稲川」襲名
|
霜鳳典雄 |
小結 |
2000年5月場所(幕下最下位格付出) |
|
白馬毅 |
小結 |
2000年1月場所 |
|
德瀬川正直 |
前頭筆頭 |
2003年7月場所 |
|
春日王克昌 |
前頭3枚目 |
1998年11月場所 |
|
豊桜俊昭 |
前頭5枚目 |
1989年3月場所 |
|
十文字友和 |
前頭6枚目 |
1992年11月場所 |
|
千代白鵬大樹 |
前頭6枚目 |
1999年3月場所 |
|
猛虎浪栄 |
前頭6枚目 |
2001年3月場所 |
|
琴春日桂吾 |
前頭7枚目 |
1993年3月場所 |
|
将司昂親 |
前頭8枚目 |
2003年1月場所 |
|
山本山龍太 |
前頭9枚目 |
2007年1月場所 |
|
光龍忠晴 |
前頭11枚目 |
2000年11月場所 |
|
安壮富士清也 |
前頭13枚目 |
1994年1月場所 |
|
清瀬海孝行 |
前頭13枚目 |
2007年1月場所(幕下10枚目格付出) |
|
境澤賢一 |
前頭15枚目 |
2006年3月場所 |
|
旭南海廣光 |
前頭16枚目 |
1993年3月場所 |
|
大翔大豪志 |
十両筆頭 |
1998年3月場所 |
引退時の四股名は大翔山
|
保志光信一 |
十両筆頭 |
2000年11月場所 |
|
若天狼啓介 |
十両2枚目 |
1993年3月場所 |
|
霧の若太郎 |
十両4枚目 |
1999年3月場所 |
|
白乃波寿洋 |
十両4枚目 |
2004年3月場所 |
|
栃天晃正嵩 |
十両4枚目 |
1982年3月場所 |
|
7月場所 |
14人[74] |
魁皇博之 |
大関 |
1988年3月場所 |
年寄「浅香山」襲名
|
9月場所 |
12人[75] |
|
11月場所 |
11人[76] |
玉乃島新 |
関脇 |
1998年3月場所(幕下最下位格付出) |
年寄「西岩」襲名
|
大翔湖友樹 |
十両10枚目 |
2007年3月場所(幕下15枚目格付出) |
|
その他
- 年寄名跡の管理に関して、日本相撲協会の公益法人制度改革対策委員会が『今後は日本相撲協会の管理の下で、名跡の襲名・移動などを行う』ことを決議[77]。
アマチュア相撲
死去
その他
- 5月1日、TBS系列「クイズ☆タレント名鑑」番組内企画として、元力士を含む各界の猛者による相撲トーナメント「USC〜史上最大ガチ相撲トーナメント〜」が開催された。同企画は評判を呼び、第2回が9月、第3回が翌年3月に開催された。
脚注
注釈
- ^ 1946年6月場所の中止理由は、当時の両国国技館が第二次世界大戦による戦災による破損で改修工事が遅れたことが原因。
- ^ 八百長問題に関与した者のうち、力士19人と親方1人は引退(退職)勧告、力士2人と親方1人は2年間の出場停止処分とした。23人の師匠のうち、理事の北の湖親方(元横綱・北の湖)、九重親方(元横綱・千代の富士)、陸奥親方(元大関・霧島)は理事を辞任、14人の親方は降格処分、3人の親方は3年間の昇格停止処分となった。放駒理事長(元大関・魁傑)ら協会幹部は給与の一部を自主返納することになった。
出典
外部リンク