道上龍
道上 龍 (みちがみ りょう、1973年 3月1日 - )は、日本 のレーシングドライバー 。奈良県 天理市 出身。
プロフィール
実家がカート ショップを営み、ショップ創業者である父はフォーミュラカー レースへの参戦経験もある。レースに近しい家庭環境で、幼少時よりカートレースに参戦し、1986年(13歳)西地域ナショナルASクラスチャンピオン、1987年(14歳)西地域ナショナルA2クラスチャンピオン、1989年(16歳)全日本A2クラス参戦[ 1] と優秀なレーシングセンスを周囲に示すとともに結果も残した。実弟も海外でのカート経験がある。
1991年にフォーミュラ・ミラージュ で4輪レースにデビューする。1993年からF4 鈴鹿 ・TIシリーズ に参戦しチャンピオンを獲得すると、同年10月のF1日本グランプリ サポートレース「F3スーパーカップ」でフナキレーシングのボウマン・BC2に乗る機会を得て、非選手権ではあるがF3レースを体験する[ 2] 。
1994年、ナウ・モータースポーツ に加入して全日本F3選手権 にステップアップ。開幕戦・鈴鹿でポールポジション からF3初優勝を達成し、道上の名前を一躍有名にした。その後は、N1耐久シリーズ(現 スーパー耐久シリーズ )や全日本ツーリングカー選手権 (JTCC)等に活躍の場を拡げた。特に1996年には、ホンダ のツーリングカー開発のためのテストドライバーを務めることになり、一気に才能が開花し、ホンダ陣営の中心ドライバーとして育って行くことになった。
1998年からは、国内最高峰カテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン や全日本GT選手権 (JGTC)に参戦の舞台を移し、2000年に全日本GT選手権のGT500クラスでシーズン未勝利ながらシリーズ・チャンピオンを獲得し[ 3] 、名実ともにホンダのエースドライバーとなった。
順調にキャリアを重ねていた矢先の2002年、フォーミュラ・ニッポン第2戦(富士 )で大クラッシュし、腰椎を骨折するなどの大怪我を負った。しかし必死のリハビリの結果、驚異的な速さで回復。JGTCにはシーズン後半から復帰し、優勝している。またこの時のクラッシュによりHANS の有効性を身を持って体験したことから、日本のモータースポーツ界におけるHANSの普及にも積極的に取り組み、道上の呼びかけで多くのドライバーがHANSを装着するようになった。
2005年は、SUPER GT ・GT500クラスに専念しTAKATA童夢NSX のドライバーとして小暮卓史 とコンビを組むが未勝利に終わった。翌2006年は、第2戦(岡山 )で優勝するなどNSX 使いの本領を発揮しシリーズ3位と健闘した。またこの年は、フォーミュラ・ニッポンへの復帰を果たすもノーポイントに終わっている。2007年は、SUPER GTに引き続きTAKATA童夢NSXで参戦し、シーズン序盤にトラブルやアクシデントに見回れ成績が振るわず、第7戦(もてぎ )で優勝したもののシリーズ4位に終わっている。2008年は、ライバルの台頭もありシーズン序盤は波に乗れずにいたが、第5戦(菅生 )で優勝しシリーズランキングトップに躍り出るも、その後ハンディウェイトに苦しみ、結局シリーズ6位に終わった。2009年は、開幕戦(岡山)で2位、第5戦(菅生)で3位で表彰台に上がるも、それ以上の結果が出せず、前年同様のシリーズ6位に終わった。
開幕戦でGT参戦通算100戦目を迎えた2010年は、心機一転ナカジマレーシング に移籍して、ダンロップタイヤの開発も担った。
なお、ホンダではマシン開発を行うなどエース的存在だが、フォーミュラ・ニッポンでは未勝利である。しかし、伊藤大輔 や小暮の台頭により(伊藤は2008年にトヨタ陣営に移籍)、存在感が薄れている。また、2004年及び2005年には、以前からの念願であったル・マン24時間レース への参戦を果たしている。
2014年はSUPER GTのシートを失い、TEAM 無限 のエグゼクティブアドバイザー兼第3ドライバーとしてチームに帯同していたが、7月に新たに自らのチーム「DRAGO CORSE (ドラゴコルセ)」を設立。ホンダの協力を得て、伊沢拓也 をドライバーとしてスーパーフォーミュラ に参戦することになった[ 4] 。
また、ニコニコ生放送 の番組『脇阪寿一の言いたい放題』の企画でグランツーリスモ6 をプレイした際に、脇阪寿一 や本山哲 らがドライブするコンセプトカー に非力なトゥデイ で果敢に勝負を仕掛けたことから“トゥデイ道上”の異名を得た。ニュルブルクリンクでホーンを鳴らしながらトゥデイで攻める姿は“龍”そのものであった。
2016年、世界ツーリングカー選手権 (WTCC)第9戦日本ラウンドでホンダからスポット参戦。3年ぶりのレース復帰となる。2017年は「Honda Racing Team J.A.S.」よりWTCCにフル参戦する[ 5] 。日本人のWTCCフル参戦は2011年の谷口行規 以来。
2018年からは、SUPER GT GT300クラスにModulo KENWOOD NSX GT3のドライバーとして参戦している。
レース戦績
1986年 - カートナショナルASクラス(シリーズチャンピオン)
1987年 - カートナショナルA2クラス(シリーズチャンピオン)
1988年 - カートナショナルA2クラス(シリーズ2位)
1990年 - 全日本カート選手権A2クラス(シリーズ11位)
1990年 - 全日本カート選手権FAクラス
1991年 - フォーミュラ・ミラージュ(#99 RYO-VD90)
1992年
フォーミュラ・ミラージュ(#99 NPSM ミラージュ)
シビック西日本・東日本シリーズ(#20 レーシングスパルコシビック/シビック EG6)
SWC鈴鹿1000km・シビックレース(#80 TOKICO CIVIC/シビック EG6)(決勝7位)
第9回SUGO 500km耐久レース(#80 TOKICO CIVIC/シビック EG6)(決勝23位)
1993年
F4選手権・鈴鹿/TIシリーズ(#27 トレンタ クワトロ936/WEST936 SR18)(シリーズチャンピオン・8勝)
FUJI TELEVISON 日本グランプリ F3 SUPER CUP(#27 狭山観光フナキレーシング/ボウマンBC-2Y MF204)(予選10位・決勝13位)
N1耐久シリーズ(#80 SPARCO CIVIC/シビック EG6)
インターナショナル鈴鹿1000km レース(#80 SPARCO CIVIC/シビック EG6)(総合16位)
鈴鹿300km&FJトーナメント・シビックレース(#20 SPARCO CIVIC/シビック EG6)(優勝)
ミリオンカードカップレース ラウンド1鈴鹿・シビックレース(#19 SPARCO CIVIC/シビック EG6)(決勝11位)
1994年
全日本F3選手権(NOW MOTOR SPORTS #33 TOM'sダラーラF394/ダラーラ F394 3S-G)(シリーズ5位・1勝)
F3マカオGP (NOW MOTOR SPORTS #28/ダラーラF394 3S-G)(決勝DNF)
N1耐久シリーズ(#74 SPARCO CIVIC/シビック EG6)
インターナショナル鈴鹿500kmレース(#74 SPARCO CIVIC/シビック EG6)(総合10位)
第1回NICOS CUP 十勝24時間レース(#73 SPARCO CIVIC/シビック EG6)(総合17位)
JAFトロフィー インターナショナル ポッカ1000km耐久レース(#75 ADVANサムライシビック/シビック EG6)(総合24位)
第11回SUGO 300km耐久レース(#74 ADVANトラストシビック/シビック EG6)(総合32位)
1995年
全日本F3選手権(NOW MOTOR SPORTS #33 ダイイチF395 TOM'S/ダラーラF395 3S-G)(シリーズ4位)
F3マカオGP(決勝20位)
全日本GT選手権・GT1クラス<Rd.4以降>(チーム国光 #99 KANEKO PORSCHE/911 964A M64)(シリーズ25位)
第2回NICOS CUP 十勝24時間レース(#73 Castrol CIVIC/シビック EG6)(総合13位)
ソーラーカーレース鈴鹿95'(#94 PIYO Chan 1gcu)(決勝2位)
SUGO爆走500km N1耐久レース(#16 カストロール無限インテグラR/インテグラタイプR DC2)(総合7位)
1996年
N1耐久シリーズ(#73 カストロール アスティRS/ミラージュRS CJ4A)
全日本ツーリングカー選手権 <Rd.13&14 スポット参戦>(無限ホンダ #33 Castrol無限ACCORD/アコード CD6)
第3回NICOS CUP 十勝24時間レース(#73 カストロール アスティRS/ミラージュRS CJ4A)(総合22位)
POKKAインターナショナル1000km耐久レース(チーム国光 #100 RAYBRIG NSX/NSX NA1 RX-306E5)(決勝DNF)
COSMO OIL SOLAR CAR RACE SUZUKA96'(#83 RT'PIYO PIYO')(決勝7位)
1997年
全日本ツーリングカー選手権(MOONCRAFT #14 ジャックスMC アコード/アコード CD6)(シリーズ5位)
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.10 スポット参戦>(SUPER AGURI RACING TEAM #56 FUNAI SUPERAGURI/レイナード 97D MF308)(決勝DNF)
1998年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(MOONCRAFT #14 JACCS MOONCRAFT/レイナード 96D MF308)(シリーズ9位)
全日本GT選手権・GT500クラス(Castrol無限 #16 Castrol無限NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ4位・2勝)
98' FIA Grand Touring Chanpionsip Round6 SUZUKA 1000km(Team Kunimitsu Moon Craft #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(決勝DNF)
1999年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(MOONCRAFT #14 SPEEDMASTER MOONCRAFT/ローラ B99-51 MF308)(シリーズ10位)
全日本GT選手権・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #16 Castrol無限NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ9位)
鈴鹿1000km・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #16 Castrol無限NSX/NSX NA2 C32B)(総合優勝)
2000年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(#68 DoCoMo DANDELION/レイナード 2KL MF308)
全日本GT選手権・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #16 Castrol無限NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズチャンピオン)
第29回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #16 Castrol無限NSX/NSX NA2 C32B)(決勝DNF)
2001年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1欠場>(MOONCRAFT #14 MOONCRAFT レイナード99L MF308)(シリーズ6位)
全日本GT選手権・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #1 ロックタイト無限NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ3位・1勝)
第8回十勝24時間レース(#16 BEAMS INTEGRA/インテグラタイプR DC5)(総合4位・クラス優勝 )
2001鈴鹿クラブマンレースRound3・Endurance Stage・フォーミュラ・ドリームレース(MOONCRAFT #20 MOONCRAFT FD/FD99 MF224)(決勝DNF)
第30回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #1 ロックタイト無限NSX/NSX NA2 C32B)(決勝2位)
マツダ ロードスターフェスタ イン 筑波(#5 ロードスター)(決勝2位)
2002年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.2~4を欠場>(Team 5ZIGEN #6 5ZIGEN/レイナード01L MF308)(シリーズ6位)
全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1~4を欠場>(無限×童夢プロジェクト #16 無限NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ18位・1勝)
第31回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(無限×童夢プロジェクト #16 Castrol無限NSX/NSX NA2 C32B)(決勝2位)
スーパー耐久・グループNプラス<Rd.6~8に参戦>(Team 5ZIGEN #5 5ZIGEN INTEGRA/インテグラタイプR DC5)
2003年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team 5ZIGEN #5 5ZIGEN/ローラB351 MF308)(シリーズ9位)
全日本GT選手権・GT500クラス(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ7位・1勝)
スーパー耐久・グループNプラス(Team 5ZIGEN #5 5ZIGEN INTEGRA/インテグラタイプR DC5)(シリーズ4位・1勝)
第10回十勝24時間レース(Team 5ZIGEN #5 5ZIGEN INTEGRA/インテグラタイプR DC5)(総合10位・クラス優勝 )
第32回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(童夢レーシングチーム #18 Regain童夢NSX/NSX NA2 C32B)(総合優勝)
2004年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(KONDO RACING #3 Yellow Hat KONDO/ローラB351 MF308)(シリーズ10位)
全日本GT選手権・GT500クラス(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C30A)(シリーズ14位)
第33回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C30A)(総合優勝)
ル・マン24時間レース・LMP1クラス(ADVAN KONDO RACING #9 童夢・無限/童夢S101)
2005年
SUPER GT・GT500クラス(Team Honda Racing #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ10位)
第34回インターナショナルPokka1000km・GT500クラス(Team Honda Racing #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(総合2位)
ル・マン24時間レース・LMP1クラス(Jim Gainer童夢/童夢S101-Hb)(総合7位)
2006年
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team 5ZIGEN #5 TEAM RECKLESS 5ZIGEN/FN06 HF386E)
SUPER GT・GT500クラス(Team Honda Racing #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ3位・1勝)
2007年 - SUPER GT・GT500クラス(DOME RACING TEAM #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ4位・1勝)
2008年 - SUPER GT・GT500クラス(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ6位・1勝)
2009年 - SUPER GT・GT500クラス(TEAM YOSHIKI & 童夢 PROJECT #18 ROCK ST☆R 童夢 NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ6位)
2010年 - SUPER GT・GT500クラス(NAKAJIMA RACING #32 EPSON HSV-010/HSV-010 HR10EG )(シリーズ14位)
2011年 - SUPER GT・GT500クラス(NAKAJIMA RACING #32 EPSON HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ12位)
2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NAKAJIMA RACING #32 EPSON HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ14位)
2013年 - SUPER GT・GT500クラス(NAKAJIMA RACING #32 EPSON HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ15位)
2014年 - SUPER GT・GT300クラス<Rd.17,18に参戦>(TEAM 無限 #0 MUGEN CR-Z GT/CR-Z ZF2 J35A)
2016年 - 世界ツーリングカー選手権<Rd.6に参戦>(Honda Racing Team JAS #34)
2017年 - 世界ツーリングカー選手権(Honda Racing Team JAS #34)(シリーズ14位)
2018年 - SUPER GT・GT300クラス(Modulo Drago CORSE #34 Modulo KENWOOD NSX GT3/NSX NC1 JNC)(シリーズ14位)
2019年 - SUPER GT・GT300クラス(Modulo Drago CORSE #34 Modulo KENWOOD NSX GT3/NSX NC1 JNC)(シリーズ17位)
2020年 - SUPER GT・GT300クラス(Modulo Drago CORSE #34 Modulo KENWOOD NSX GT3/NSX NC1 JNC)(シリーズ21位)
2021年 - SUPER GT・GT300クラス(Yogibo Drago CORSE #34 Yogibo NSX GT3/NSX NC1 JNC)(シリーズ23位)
主な記録
全日本GT選手権/SUPER GT(GT500クラス)
ドライバーズチャンピオン・1回(2000年)
優勝 8回
全日本フォーミュラ3選手権
全日本GT選手権/SUPER GT
全日本ツーリングカー選手権
フォーミュラ・ニッポン
世界ツーリングカー選手権
ル・マン24時間レース
エピソード
脇阪寿一 とは同学年・同郷で、父親同士の仲が良く、本人同士も幼いころから親交があった。道上が脇阪をカートに誘い、レースの世界へ導いたという。
SUPER GTのテストで仙台に向かうために新幹線に乗り込んだが、指定された座席に野村沙知代 が座席を勘違いして座っていたという。しかも、なかなか移動してもらえなかったらしい。
カート時代は、西の道上、東の本山哲 、中部の高木虎之介 で新星トリオと言われていた。
脚注
外部リンク
全日本GT選手権
SUPER GT
1 94 - 95年まではGT1クラス。
2 94 - 95年まではGT2クラス。