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菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日[2] - )は、東京都東大和市出身のプロ野球選手(内野手)[2]。右投右打。広島東洋カープ所属。
愛称は「キク」。2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。
守備の名手として知られ、二塁手としていずれもNPB記録であるシーズン535補殺、シーズン守備率10割(無失策)、569連続守備機会無失策[3]を記録し、10年連続でゴールデングラブ賞を受賞した[4]。打撃面では2022年にセ・リーグ史上初となる100本塁打&300犠打を達成した[5]。
東大和市立第三中学校時代は地元の東大和リトルシニアでプレーし[6]、中学まで東大和市で暮らした後に、シニアの監督の勧めで長野県塩尻市にある武蔵工業大学第二高等学校へ進学[7]。当時から球際に強かったため、高校時代のポジションは強い打球をさばく機会の多い三塁手だったが、春夏ともに全国大会へ出場できなかった[7]。
高校卒業後に、東海地区大学野球連盟岐阜学生リーグに所属する中京学院大学へ進学[2]。1年時の春からリーグ戦に出場すると、ベストナインに5回選ばれるなど、リーグ屈指の遊撃手として活躍した。2年時に三冠王にも輝く一方で、チームが9回の時点でリードを保っている局面では、投手として登板していた。
2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2巡目指名を受け、契約金7000万円、年俸1000万円(金額は推定)で契約を合意し、入団[8]。なお、指名の直後には、自身と同じ内野手出身で当時の一軍監督・野村謙二郎が現役時代に着用していた背番号「7」を希望していたが[9]、背番号は「33」となり、2015年に変更を打診された際も番号を変更せず「絶対変えません」と生涯33を着用すると語っている[10]。
2012年は、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、俊足巧打が首脳陣に評価されたことから、6月30日の対横浜DeNAベイスターズ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)5回裏に代打で一軍デビュー。7月に東出輝裕が怪我で戦線を離脱すると、以降は二塁手として出場し、東出の穴を埋める活躍を見せた。
2013年は、一軍公式戦の開幕から二塁手のレギュラーに定着。5月12日の対中日ドラゴンズ戦(マツダスタジアム)で6回一死満塁の打席で三瀬幸司から[注釈 1][12]、7月28日の対東京ヤクルトスワローズ戦(マツダスタジアム)では5回一死満塁の打席で赤川克紀からそれぞれ満塁本塁打を放った[13]。シーズン通算では141試合の出場で打率.247、11本塁打を記録した。その一方で、セントラル・リーグ1位の50犠打を記録したことで、2001年に東出が達成したチームのシーズン記録(49犠打)も上回った。守備面では、二塁手としてリーグ最多の18失策を喫したが、9月26日の対中日戦(ナゴヤドーム)でシーズン497個目の補殺を記録。この時点で日本野球機構の一軍公式戦における二塁手としての最多補殺記録を達成する[14]と、レギュラーシーズンが終了するまでに記録を528補殺まで伸ばした。オフの11月に台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[15]。
2014年は、二塁手として一軍公式戦全144試合に出場。5月11日の対中日戦(マツダスタジアム)で8回二死満塁の打席で朝倉健太から満塁本塁打[16]、6月に開催された18試合全てで安打を打つなど打撃面でも飛躍を遂げ、リーグトップの39二塁打、2年連続の11本塁打を打ったほか、打率.325、188安打(いずれもリーグ2位)という成績を収めた。シーズン188安打は嶋重宣が2004年に記録した球団記録の189安打にあと1本まで迫る、球団歴代2位の好記録であった。また、20試合連続安打を1シーズンに2度記録した[注釈 2]。NPBの一軍公式戦でこの記録を達成したのは平井正明(1950年)・イチロー(1994年)に次いで3人目。また、前年に自身で達成した二塁手としてのシーズン補殺数の日本記録を535にまで更新した。オフの11月に開催された日米野球の日本代表に選出された。この強化試合では日本代表の正二塁手として打率.381を記録(詳細後述)。
2015年は、シーズン開幕前の3月に開催された「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された[17]。第1戦(3月10日)に「2番・二塁手」として先発出場した[18]ほか、翌11日の第2戦にも途中から出場した[19]。シーズンでは2年連続で一軍公式戦全試合に出場。5月22日の対ヤクルト戦(マツダスタジアム)で1-1の同点で迎えた延長10回二死無走者の打席で徳山武陽から自身初のサヨナラ本塁打を放った[20]が、打撃面では、打率.254、8本塁打、32打点で、2013年のレギュラー定着後最低の成績に終わった。なお、11月開催の第1回WBSCプレミア12の日本代表には候補には選出された[21]が、最終発表で外れた[22]。
2016年は、シーズン開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表に選出された[23]。シーズンでは一軍公式戦の開幕後は、12試合連続安打を記録するほど打撃面で好調だった。しかし、4月8日に体調不良から高熱を発すると、当日の対阪神タイガース戦(甲子園)へのベンチ入りを見合わせた。この措置によって、2013年6月27日の対巨人戦(マツダ)から続いていた一軍公式戦への出場が378試合目で途切れた[24][25]。その後も7月2日の守備で左肩を打撲[26]、9月8日の守備ではファウルフライを追ってフェンスに激突し、右膝を打撲[27]するなどアクシデントにも見舞われたが、141試合に出場し、自身初の打撃タイトルである最多安打を獲得した。同一シーズンで安打数と犠打数のリーグ1位を記録するのはNPB史上初である。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[28]。
2017年は、シーズン開幕前の3月に開催された第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。同大会では日本が敗退する準決勝まで大会の全試合に出場した。二次ラウンドのオランダ戦ではザンダー・ボガーツの打球を好捕しオランダ代表のベンチにいたアンドレルトン・シモンズが思わず拍手するシーンもあった(後述)。準決戦のアメリカ合衆国戦では自身の失策がきっかけで先制点を許したが、6回にネイト・ジョーンズから一時同点となるソロ本塁打を打った。
シーズンではWBCからの疲労とチーム方針で定期的に先発を外される試合もあり、特に夏場以降調子をやや崩し、前年と比べ、打率を落としたがチーム最多の犠打数(30)と好守でチームの連覇に貢献した。11月17日には自身初のベストナインを受賞した。
2018年は、シーズン通して打率は上がらず、下位打線に打順を下げられた試合もあった。規定打席に到達した打者の中では打率最下位である。4月15日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では5回二死に野上亮磨から、7回二死に上原浩治からそれぞれ本塁打を放ち、自身初の2打席連続本塁打を放った[29]。8月9日の対中日戦(マツダスタジアム)では2-2の同点で迎えた延長11回一死一・二塁の打席でジョエリー・ロドリゲスから[30]、9月4日の対阪神戦(マツダスタジアム)では4-4の同点で迎えた延長12回二死三塁の打席でラファエル・ドリスからそれぞれサヨナラ安打[31]とシーズンでは2度のサヨナラ打を放つなど、3年連続リーグ優勝に貢献した。クライマックスシリーズファイナルステージ出場時は打率.200ながらも第2戦に1-1の同点で迎えた8回二死一・二塁の打席で畠世周から決勝3点本塁打を放ち[32]、ファイナルステージMVPを獲得した[33]。
2019年は、菊池保則がトレードで加入したため、報道上の表記が「菊池涼」に変更されたが、スコアボード上の表記は自身の意向で「菊池」のままとなった。138試合の出場で打率.261、13本塁打、48打点、14盗塁、28犠打だった。オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。また、ベストナインを受賞した。そして、11月8日にポスティングによるメジャー挑戦が発表された[34]。MLBの複数球団と交渉を行なったものの話がまとまらず、12月27日に広島に残留することを表明し、推定年俸3億円プラス出来高の4年契約を結んだ[35]。
2020年は、開幕こそ19打席連続無安打と不振に陥ったが、20打席目に中前打を打つとその日は本塁打を含む猛打賞を記録し[36]、最終的には打率.271、10本塁打と、5年連続で2桁本塁打を記録した。守備面では二塁手として史上初となるシーズン守備率10割(無失策)を達成し、セ・リーグ記録となる守備機会連続無失策503を記録した[37]。オフには西武ライオンズの辻発彦の7年連続を超えて、二塁手部門ではNPB史上初となる8年連続でゴールデングラブ賞を受賞した[38]。
2021年は、開幕から好調を維持し、開幕戦から16試合連続安打を打つなど30試合で45安打。リーグトップの打率.352のほか、5本塁打、12打点を記録。3、4月度のセ・リーグ打者部門の「大樹生命月間MVP賞」を受賞し、自身3度目の受賞となった[39]。5月17日に、新型コロナウイルスの陽性判定を受けたことが球団から発表され[40]、5月18日に「感染拡大防止特例2021」に基づき登録抹消された[41]。その後、6月1日にファームで実戦復帰し6月2日の日本ハム戦から一軍復帰[42]。8月の阪神タイガース戦(京セラドーム)で自打球が左足に直撃し、腫れが引かない状態で1か月以上プレイし続け、後に受診したところ骨折していたことが判明したとシーズン後に明かしている[43]。同年も9年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した[44][45]。
2022年は5月3日に初めてベンチ入りメンバーから外れたこともあったが[46]、シーズン前半では打率トップに立つなど、打撃面で大きく数字を伸ばした。8月16日に新型コロナに感染したが、同月26日に復帰した。この年のオフ、両リーグ最多を更新する10年連続10回目のゴールデングラブ賞を受賞し「本当にうれしい。まさか10回も取れるとは思っていなかった」と語った。10年連続の受賞は1981年まで外野手で受賞した広島の山本浩二に並びリーグトップである[47]。
2023年は4月27日の対中日戦で通算132人目となる1500安打を達成した。5月12日の対巨人戦(東京ドーム)では延長10回二死満塁の打席でヨアン・ロペスから満塁本塁打を放った[48]。7月15日の対DeNA戦(横浜スタジアム)ではプロ入り12年目で初めて4番打者として先発出場した[49]。8月23日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では濵口遥大から安打を放ち、11年連続のシーズン100安打に到達。球団では山本浩二の17年連続、衣笠祥雄、高橋慶彦の12年連続に次ぎ、史上4人目の記録となった[50]。9月5日の対DeNA戦(マツダスタジアム)で一塁にヘッドスライディングした際に左手親指を負傷し、5試合連続で先発を外れたあと同月11日に出場選手登録を抹消された[51](同月23日に一軍復帰[52])。最終的に5本塁打・27打点はいずれも規定打席に達したシーズンでは自己最少に留まり、プロ入り2年目から10年連続で受賞中だったゴールデングラブ賞も逃す形となった(この年の二塁手部門は中野拓夢が受賞)。オフの12月6日に5000万円減で新たに2年契約となる推定年俸2億5000万円プラス出来高払いで契約を更改した[53]。
2024年は8月14日の対DeNA戦(マツダスタジアム)で7回二死に山﨑康晃から通算300二塁打、2点を追う9回一死一・二塁の打席で森原康平から逆転サヨナラ3点本塁打を放った[54]。このサヨナラ打は後に9月13日に8月度の「月間スカパーサヨナラ賞」に選出された[55]。8月29日の対中日ドラゴンズ戦(バンデリンドーム)ではNPBで5人目、広島の選手では初となる通算350犠打を達成[56]、9月25日の対ヤクルト戦(マツダスタジアム)では2回二死一塁の打席で高橋奎二から安打を放ち、衣笠祥雄、高橋慶彦に並ぶ球団歴代2位タイとなる12年連続シーズン100安打を記録した[57]。
小柄な体を最大限に活かした守備が最大の売りでありながら、思い切りの良いスイングで長打力も兼ね備える選手である[58]。あまり右打者には有利ではないマツダスタジアムを本拠地としながらも、シーズン2桁本塁打を8回記録している。広角に打てる器用さもあると評価されたこともある[59]。
大学時代には公式戦83試合で10本塁打を記録したが、プロ入り後は長打狙いの打撃よりも、50m走5秒9の俊足を生かしたアベレージヒッターを目指している[60]。セーフティーバントを得意とする一方、予想外の場面で本塁打を打つ意外性もあり、かつて広島で指揮を執った野村謙二郎からは「菊池はよく分からん」と評されている[61]。
打順に関しては2016年から2017年にかけて田中広輔、菊池、丸佳浩がそれぞれ1番、2番、3番を務める「タナ・キク・マル」のトリオで知られていたことがあり、セ・リーグ3連覇を牽引した[62]。ただし、2018年シーズンでは自身が2番を外れることもあった[63]。
2番打者としてバントや右打ちに優れたつなぎ役である一方、2016年には最多安打と最多犠打を同時に受賞する(史上初)など、自ら安打でチャンスを広げるチャンスメーカーになれる能力も持つ[64]。2022年にはセ・リーグ史上初となる100本塁打&300犠打を達成した[5]。特に犠打に関しては、2022年シーズン終了時で、シーズン最多犠打8回、6年連続シーズン最多犠打の日本プロ野球記録を樹立している。
誰もが認める守備の名手として評価を得た二塁手である。2021年に行われた歴代最強の守備陣を決定する「三井ゴールデン・グラブ レジェンズ」のファン投票でも二塁手部門で1位となり、現役選手の中で唯一選出された[65]。実際に、2013年から2022年にかけて、二塁手として史上最多となる10年連続でゴールデングラブ賞を受賞した[注釈 3]。受賞10度は二塁手記録であり、10年連続受賞は元広島の監督山本浩二と並んでセ・リーグ最多タイ[47]。
大学時代は遊撃手であり、12球団のスカウトからは「守りでプロの飯が食える」と評されていた[67]。広島入団後は当時の正二塁手であった東出輝裕の故障離脱をきっかけに二塁手にコンバートされた。宮本慎也からは「彼の守備範囲の広さはすごい。」と称賛されているが、野村謙二郎は「人が追いつけない打球に追いつき、エラーにされてしまう」と話している[68]。地肩が強く、大学生時で遠投117メートル[69]。
2014年の日米野球では、第1戦でベン・ゾブリストが打ったヒット性の当たりを好捕したことから、MLB公式サイトのトップページで「離れ業を見せた。すばらしい、すごい守備だ」と紹介された。第3戦では、2度にわたるファインプレーで、日本代表投手陣の継投によるノーヒットノーランをアシスト。第6戦では、ホセ・アルトゥーベが打ったショートバウンドの打球が高く跳ねたところで捕球すると、斜め後ろ方向へのグラブトスでアウトを奪った。このプレーについて、MLB公式サイトでは、「全てのグラブトスの理想像を披露した」という表現で再び賛辞を掲載した[70][71][72]。
2017年のWBCでは、3月12日2次ラウンドのオランダ戦の7回、ザンダー・ボガーツの二遊間への鋭い打球を逆シングルでダイビングキャッチすると、即座に体の反動を使って二塁カバーの坂本勇人にダイビングの状態でバックハンドのグラブトス。一塁走者を封殺したスーパープレーは、相手のオランダの選手が拍手をするほどで世界でも絶賛された。インターネットを通じて全世界で放映する「MLB.TV」の実況は「God Hand! in Second(日本の二塁には神の手がいる!)」と絶叫[73]。海外から「魔法使い」と称された。
2016[74]、2017年[75]と、DELTA社の野手の守備における貢献度を測る「1.02 Fielding Awards」のセカンド部門で2年連続で12球団トップに選出されたが、2017年はゴロの処理範囲による得点はマイナスに転じている[75]。二遊間の打球に強く一・二塁間の打球に弱い傾向があり、2017年は速い打球への弱さがはっきりと現れており、全体的なアウトを獲れた割合は低下している[75]。平均的な同ポジションの選手と比べどれだけの失点を防いだかを表すアルティメット・ゾーン・レーティングの守備範囲評価(RngR)では、2017年は平均以下に転落している[76]。2018年も3年連続で二塁手部門のアワードに選出されたが、ゴロ処理貢献は12球団平均レベルであり、加齢による肉体の衰えがあると推測されている。それに対し1位の座を維持できている理由としては、失策抑止(ErrR)、併殺完成(DPR)といった守備範囲以外の能力が優れていることが挙げられており、打球を確実に処理し併殺を多く奪うタイプに変貌していると評価されている[77]。
2016年、2017年、2018年に、規定の守備イニングに到達した二塁手の中で両リーグベストのUZR(2016年:17.3[78]、2017年:3.2[79]、2018年:9.8[80])を記録している。
2020年10月15日の対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)で二塁手のシーズン連続守備機会無失策をセ・リーグ新記録の434に更新した。またこの年、二塁手としては史上初となるシーズン守備率10割を達成し、連続守備機会無失策も503まで伸ばした[81]。2021年4月2日のDeNA戦で失策を記録し、二塁手としての連続守備機会無失策記録が569で止まった[3]。
2014年4月24日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、打者の丸佳浩が放った三塁フェンス際のファウルフライで、一塁から二塁へのタッチアップを成功させるほどの俊足[82]。