丸佳浩
丸 佳浩 読売ジャイアンツ #8
基本情報 国籍
日本 出身地
千葉県 勝浦市 生年月日
(1989-04-11 ) 1989年 4月11日 (35歳) 身長 体重
177 cm 94 kg 選手情報 投球・打席
右投左打 ポジション
外野手 プロ入り
2007年 高校生ドラフト3巡目 初出場
2010年9月12日 年俸
3億2000万円(2025年)[ 1] ※2024年から2年契約(年俸変動制) 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会 代表チーム
日本 プレミア12
2019年
丸 佳浩 (まる よしひろ、1989年 4月11日 - )は、千葉県 勝浦市 出身のプロ野球選手 (外野手 )。右投左打。読売ジャイアンツ 所属。
経歴
プロ入り前
小学3年からソフトボール を始める。勝浦市立勝浦中学校時代は軟式野球 で投手 と遊撃手 を兼任した。子供の頃は巨人ファン(父親が長嶋茂雄 のファンでもあった)であり、東京ドームで見た川相昌弘 の本塁打が印象に残ったという。
高校は千葉経済大学附属高等学校 に進学。2年時の夏に千葉大会を優勝。第88回夏の甲子園 では、1回戦で八重山商工 (沖縄)と対戦し、「3番・右翼手 」で出場。延長戦で敗れたが、相手エースの大嶺祐太 から安打 を記録している。
その後は肩と精神面の強さを買われて投手に転向し、エースとしてチームを牽引。2年時の秋は県大会決勝は唐川侑己 擁する成田 に敗れたが、その後の関東大会を制し、同校初のセンバツ出場を果たした。明治神宮大会 ではベスト4まで勝ち上がった。
3年時の第79回センバツ では1回戦で中京 (岐阜)に勝利するも、2回戦で藤村大介 擁する熊本工 に延長戦の末敗れた。夏は県大会5回戦で敗退。高校通算49本塁打。
2007年度高校生ドラフト で広島東洋カープ から3巡目指名を受け、契約金4000万円、年俸500万円(推定)で仮契約。背番号 は「63 」。
広島時代
広島時代 (2011年8月25日 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 )
2008年 は春にノロウイルス や巻き爪 、秋には左肘痛など故障に悩まされた。6月からは打撃でアピールしてファームの上位打線や中軸を任されるようになり、6月のウエスタン・リーグ 月間MVPを受賞。高卒ルーキーのウエスタン・リーグ月間MVP受賞は初めてのことである。8月にはフレッシュオールスターゲーム にも出場した。
2010年 にはウエスタン・リーグ104試合中92試合に出場。打率 .277(311打数 86安打 、チーム首位打者でリーグ7位)、4本塁打 、30打点 、21盗塁 という好成績を残した。9月11日には初の一軍昇格を果たすと、9月21日の東京ヤクルトスワローズ 戦でプロ初安打と初打点を記録した[ 2] 。
2011年 は4月19日の横浜ベイスターズ 戦で大家友和 からプロ初本塁打を打ち[ 3] 、4月21日の横浜戦では本塁打を含む4安打、3打点と活躍した[ 4] 。以降131試合に出場し、主に中堅手 や右翼手 として起用され、一軍に定着する飛躍のシーズンとなった。
2012年 は3月19日に中学1年生から交際してきた同級生と結婚することを発表[ 5] 。同年は前半の不調もあり、最後は前年よりも打率を上げたが、出場試合数は106試合、本塁打数は前年の9本から4本に減少した。
2013年 は開幕戦は「2番・中堅手」で先発出場すると、シーズンを通してほぼ全ての試合で先発出場を果たす。序盤は打率4割台を記録し、俊足と長打を融合させた打撃スタイルを確立。最終的にチーム三冠となる打率.273、14本塁打、58打点を記録した。また、29盗塁を記録しセ・リーグ盗塁王 を獲得し、初のゴールデングラブ賞 も獲得した。オフの11月には台湾 で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[ 6] 。また、カープの主力打者に成長してその活躍が認められ、背番号を「63」から緒方孝市 の引退以来空き番となっていた「9」に変更することを発表[ 7] 。
2014年 は1年を通して好不調の波が少なく、全144試合に出場して打率.310、166安打、19本塁打を記録し自己最高の成績を残した。また、26盗塁を記録し、ブラッド・エルドレッド の離脱時には4番も務めるなどの活躍で、初のベストナイン と2年連続のゴールデングラブ賞を獲得。リーグトップの100四球、リーグ2位の出塁率.419を記録した。オフの10月9日に日米野球 の日本代表 に選出された[ 8] 。背番号は「9 」。
2015年 はシーズン開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された[ 9] 。3月10日の第1戦に途中出場した[ 10] 。3月11日の第2戦には「7番・左翼手」で先発出場した[ 11] 。
シーズンでは全試合出場を果たした2015年シーズンは、本塁打や打点の数は前年と横ばいであったものの、月間打率が1割の月も3割の月も両方あるなど好不調の波が大きく、打率.249と3年ぶりの2割4分台を記録した。特に打撃フォームが年間通して安定しておらず、セ・リーグワーストの143三振を記録した。その一方で、四球の数はセ・リーグトップとなる94四球 を記録した。10月7日に行われた中日ドラゴンズ とのシーズン最終試合(マツダスタジアム)の1回裏の第1打席で、この試合で現役引退となる山本昌 投手の現役最後の対戦打者となった(結果は二ゴロ)[ 12] 。また7月16日に第1回WBSCプレミア12 の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表され[ 13] 、9月10日に第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された[ 14] が、10月9日に発表された最終ロースター28名には選出されず、代表入りはならなかった。
2016年 はシーズン開幕前の2月20日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表に追加登録される[ 15] 。オフに大幅なフォーム改造を試み、開幕から前年に比べ好成績を残す。4月30日の中日戦(マツダスタジアム)ではともに自己最多タイの1試合2本塁打(3ラン2発)、6打点を記録[ 16] 。7月16日のオールスターゲーム第2戦(横浜スタジアム)の3回に自身オールスター第1号のソロ本塁打を打った[ 17] 。優勝マジック2として迎えた9月8日の中日戦(マツダスタジアム)では1回裏に自己最多タイのシーズン第19号先制本塁打を左翼席に打つも、2位巨人が勝利したため本拠地での優勝はならなかった[ 18] 。9月10日の巨人戦(東京ドーム)でも「3番・中堅手」として先発出場し、この試合に勝利した広島が7度目のリーグ優勝を決めた。9月17日の中日戦(マツダスタジアム)の8回裏に自己最多となるシーズン第20号本塁打を打った[ 19] 。チームは25年ぶりに日本シリーズ に出場し、北海道日本ハムファイターズ と対戦。自身は第6戦(マツダスタジアム)の5回にソロ本塁打を打つも[ 20] 、2連勝のあとに4連敗を喫し、2勝4敗で32年ぶりの日本シリーズ優勝を逃した。最終的に3年連続全試合出場を果たし、打率.291、162安打、20本塁打、90打点を記録。チーム25年ぶりのセ・リーグ優勝に大きく貢献し、2年ぶり2度目のベストナイン、4年連続4度目のゴールデングラブ賞を受賞した。
2017年11月25日、セ・リーグ優勝パレードにて
2017年 は6月16日の福岡ソフトバンクホークス との交流戦で1回裏、4回裏、6回裏に全て逆方向への3打席連続本塁打を放った[ 21] [ 注 1] 。7月6日の巨人戦(マツダスタジアム)の3回裏に中堅へ同点ソロ本塁打を打ち、プロ入り通算100号本塁打を達成[ 22] 。セ・パ交流戦では全18試合に出場し、そのうち17試合で安打を記録する活躍を見せ優秀選手賞に選出。さらに打率.411でセ・リーグでは3年ぶり、球団史上初の交流戦首位打者となった[ 23] 。6月は21試合で打率.402、6本塁打、22打点という好成績でプロ入り初の月間MVP を受賞した[ 24] 。全143試合に出場、打率.308、23本塁打、92打点を記録し、不動の「3番・中堅手」としてチームのセ・リーグ2連覇に貢献した。他にも 最多安打 のタイトルとなる171安打、109得点、13盗塁、出塁率.398、長打率.505、OPS.903という好成績を残し、2年連続3度目のベストナインと5年連続5度目のゴールデングラブ賞を受賞。さらに、286票中196票の1位投票を得てセ・リーグの最優秀選手 に初選出された[ 25] 。広島の選手が最優秀選手賞を受賞するのは8度目(7人目)[ 26] 。
2018年 は4月28日の阪神戦(マツダスタジアム)の5回表に中前への打球を飛び込んで好捕した際に右足を地面で強打。広島市内の病院で右ハムストリング筋挫傷と診断され、開幕から25試合で打率.312、5本塁打、16打点、さらにリーグトップの出塁率.530と絶好調の中で登録抹消された。故障による登録抹消はプロ11年目にして初であり、また2013年5月20日のロッテ戦から続く連続出場は700試合で、2015年6月9日の西武戦から続いていた連続先発出場は397試合で途切れた[ 27] 。5月25日に一軍に再登録され、翌26日の中日戦(マツダスタジアム)で9回裏に代打で出場し復帰[ 28] 。6月8日の東北楽天ゴールデンイーグルス 戦では「3番・中堅手」として先発出場して史上492人目の1000試合出場を達成、3回裏には本塁打を打ち記録に花を添えた[ 29] 。6月30日のDeNA戦で4回表に中前安打を打ち史上293人目の通算1000安打を達成、球団では22人目で5番目の年少記録となった[ 30] 。最終的に、打率.306、39本塁打、97打点を記録[ 注 2] 。本塁打王は逃したものの、1974年の王貞治 以来44年ぶりとなる史上2人目のシーズン130四球(歴代4位)を記録するなどの活躍で、自身初の最高出塁率 のタイトルを獲得し、セ・リーグ3連覇に貢献した。3年連続4度目のベストナイン、6年連続6度目のゴールデングラブ賞を受賞。さらに、294票中241票の1位投票を得てセ・リーグの最優秀選手に2年連続で選出された[ 32] 。オフの11月7日に国内FA 権の行使を表明[ 33] 。読売ジャイアンツ と千葉ロッテマリーンズ が獲得に名乗りを上げる一方、広島球団もFA権を行使したうえでの残留を認め慰留した。11月29日に読売ジャイアンツへの移籍を表明[ 34] 。12月11日、NPBから公示される[ 35] 。
巨人時代
2018年12月11日、読売ジャイアンツとの契約締結後に同年から監督に復帰した原辰徳 の同席のもと入団会見が行われた[ 36] 。契約期間は5年で、単年4億5000万円、契約金や出来高などを含む年俸総額は推定25億5000万円[ 37] 。背番号は「8 」[ 37] 。交渉時には「8」と「24」が提示されていたが、原が現役時代に背負っていた背番号を選んだ[ 37] 。
2019年 は開幕から「3番・中堅手」を任される。3月29日、古巣・広島との開幕戦で大瀬良大地 に4打席連続三振を喫するスタートとなったが、同31日の開幕第3戦で移籍後初安打となる適時二塁打を記録した。4月2日の阪神戦(東京ドーム)で馬場皐輔 から移籍後初となる本塁打を打ち、4月5日のDeNA戦で史上171人目の通算150本塁打を達成した。4月17日の広島戦で古巣相手に移籍後初めて本塁打を打ち、史上34人目となる全12球団からの本塁打 を達成した[ 38] 。最終的には全試合出場を達成し、打率.292、27本塁打、89打点を記録。チームとして5年ぶりのセ・リーグ優勝に大きく貢献し、個人ではセ・リーグ4連覇となった。また4年連続5度目のベストナイン、7年連続7度目のゴールデングラブ賞を受賞。
オフには秋山翔吾 の負傷離脱に伴い、第2回WBSCプレミア12 の日本代表 に追加召集された。日本代表は大会初優勝を果たし、丸自身も初めて国際大会での優勝を経験した。12月3日、5年契約の1年目を終え、現状維持の推定年俸4億5000万円で契約を更改した[ 39] 。
2020年 、開幕直前の5月に右足親指を負傷し一軍から離脱するも[ 40] 、6月2日に一軍に合流[ 41] 。6月19日の開幕戦に先発出場した[ 42] 。序盤不振に苦しむが徐々に調子を上げていき、岡本和真 が先発から外れた9月16日の対阪神戦では移籍後初の巨人軍第90代目4番打者として先発出場した[ 43] 。10月29日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で平良拳太郎 からソロ本塁打を打ち史上109人目となる通算200本塁打を達成した[ 44] 。10月30日にチームが優勝を決め、試合後に行われた優勝会見の中で監督の原から「開幕当初、丸が骨折していた」と明かされた[ 45] [ 46] 。最終的には2年連続で全試合出場を果たし、打率.284、27本塁打、77打点を記録[ 47] 。個人ではセ・リーグ5連覇となった[ 45] 。11月24日の日本シリーズ第3戦では、マット・ムーア 、リバン・モイネロ 、森唯斗 の継投で9回二死までノーヒットノーランに抑え込まれていたが、中前安打を打ち阻止した[ 48] 。5年連続6度目となるベストナインは受賞したものの[ 47] 、7年連続で受賞していたゴールデングラブ賞は投票4位となり受賞を逃した[ 49] 。オフに、5年契約の2年目を終え、現状維持の推定年俸4億5000万円で契約を更改した[ 50] 。
2021年 、4月3日に新型コロナウイルス陽性判定を受けたことが球団から発表され、4月4日に「感染拡大防止特例2021 」適用選手として出場選手登録を抹消[ 51] 。4月23日の広島戦で一軍に復帰した[ 52] 。しかし、シーズン開幕から40試合で打率.227、4本塁打、8打点と不調が続き、6月5日に移籍後初めて不調が原因で二軍降格[ 53] 。翌6日には、サプライズで二軍を視察した終身名誉監督の長嶋茂雄 から打撃指導を受けた[ 54] 。6月18日に一軍復帰すると[ 55] 、復帰後は調子を取り戻した[ 56] 。しかしチームはリーグ3連覇を逃して3位、東京ヤクルトスワローズ とのクライマックスシリーズファイナルステージ も2敗1分で敗退。いずれも広島時代から続いていたリーグ連覇は5年、日本シリーズ連続進出は3年で途切れた。
2022年 、中日との開幕戦に「6番・中堅手」で先発出場。2回裏に大野雄大 から同年のNPB第1号を記録[ 57] 。4月29日の対阪神戦で通算1500試合出場を達成した[ 58] 。この年は1年間安定した打棒を見せ143試合全てに出場し打率.272、27本塁打、65打点を記録した。
2023年 、この年から右翼手 にコンバート され、守備負担の軽減を図った。開幕から「3番・右翼手」で先発出場するが、開幕15試合終了時点で打率.154、1本塁打、3打点と不調であった[ 59] 。5月4日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で小澤怜史 からプロ入り16年目(通算253本目)にして初のサヨナラ本塁打 を放った[ 60] 。丸にとって巨人移籍5年目で初のサヨナラ打でもあり[ 60] 、「3ボール0ストライクからのサヨナラ本塁打」というセ・リーグでは1975年に長田幸雄 (当時大洋ホエールズ )が放って以来48年ぶりの珍記録となった[ 61] 。6月8日の対オリックス戦では延長10回に代打で登場し、決勝の満塁本塁打を放った。9月25日の対DeNA戦では史上18人目となる通算1000四球を達成した[ 62] 。しかしこの年は度々打撃不振に見舞われたほか故障離脱も多く、2012年以来11年ぶりに規定打席に到達できず、いずれもFA移籍以降最低となる打率.244、18本塁打、47打点と[ 63] 、2015年以来となる打率2割4分台・20本塁打未満に終わったが、11年連続となる2桁本塁打は達成した。守備では右翼手のほか、スタメンや途中出場で中堅手を守ることも多かった(最終的に右翼手として59試合、中堅手として38試合に先発出場[ 64] )。FA移籍時に結んだ5年契約が満了となり、12月22日に1億7000万円減となる推定年俸2億8000万円の2年契約(年俸変動制)を結んだ[ 63] 。
2024年 、序盤に27打席無安打を記録するなど苦しむが[ 65] 4月28日から1番打者に定着すると、オールスター前の前半戦を打率.309、8本塁打、28打点と活躍[ 66] 。監督選抜選手としてオールスターゲームに選出されると[ 67] 、第1戦で先発出場し、2回に山﨑福也 から2点本塁打を放つなど、4打数2安打2打点と活躍し敢闘選手賞を受賞した[ 68] [ 69] 。後半戦も1番を担うが徐々に調子を落とすも、シーズン通算で138試合に出場し、打率.278、14本塁打、45打点を記録した[ 70] 。守備も左翼手・中堅手・右翼手をこなした[ 70] 。
選手としての特徴
2019年4月2日
打撃では、出塁率に最もこだわっている[ 71] 。2018年にはリーグトップとなる出塁率.468、OPS 1.096を記録し、シーズン歴代4位タイの130四球を達成している[ 72] [ 73] 。
2013年からは10年以上の2桁本塁打を記録している[ 74] 。特に2016年以降は、長打を増やすために打撃フォームを改造し、2018年にはキャリアハイとなる39本塁打を記録するなど、強打者への転身を果たしている[ 71] 。
守備面については、ゴールデングラブ賞を7年連続で受賞していた(2013年 - 2019年)[ 75] 。
50メートル走6秒1[ 76] 。
高校時代に投手として最速144km/hを記録した[ 77] 。
人物
巨人時代の2019年からは同僚の阿部慎之助 の考案で[ 78] 、本塁打を放つと両手で頭上に大きな丸を作る「丸ポーズ 」を行う[ 79] 。2020年はテレビカメラに向かって片手でOK印を作る「片手丸ポーズ 」も披露していた[ 79] 。
クラシック音楽 が好きで、登場曲にベートーヴェン の交響曲第7番 、ラフマニノフ のピアノ協奏曲第2番 第3楽章などを使用していた[ 80] 。
打順に関しては2016年から2017年にかけて田中広輔 、菊池涼介 、丸佳浩がそれぞれ1番、2番、3番を務める「タナ ・キク ・マル 」のトリオで知られていたことがあり、セ・リーグ3連覇を牽引した[ 81] [ 82] 。
漫画「るろうに剣心―明治剣客浪漫譚― 」を幼い頃から読んでおり、好きな登場キャラクターは斎藤一[ 83] 。
LiSA のファンである。LiSAがメジャーデビューした2010年からチェックしており、広島時代の2018年から『Rising Hope 』、『Catch the Moment 』を登場曲に使用している。2020年3月15日放送の「行列のできる法律相談所 」にゲスト出演した際、VTR出演したLiSAが『ハウル 』を登場曲にと勧めた。これに丸自身は「ビックリ。ドキドキしました」と快諾し、2020年シーズンは全4曲をLiSAで統一している[ 注 3] [ 84] 。
チーム内では大食いとして知られ、試合前にうどん6玉を平らげた姿を目撃されたことがある[ 85] 。
その一方で、野菜は苦手[ 86] [ 87] 。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度
球 団
試 合
打 席
打 数
得 点
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
塁 打
打 点
盗 塁
盗 塁 死
犠 打
犠 飛
四 球
敬 遠
死 球
三 振
併 殺 打
打 率
出 塁 率
長 打 率
O P S
2010
広島
14
22
19
1
3
0
0
0
3
1
1
0
0
1
2
0
0
7
0
.158
.227
.158
.385
2011
131
495
435
48
105
16
4
9
156
50
9
6
9
1
44
1
6
105
2
.241
.319
.359
.678
2012
106
339
283
26
70
10
4
4
100
22
14
6
5
3
46
0
2
59
4
.247
.353
.353
.707
2013
140
601
506
82
138
25
5
14
215
58
29
15
5
4
85
5
1
103
6
.273
.376
.425
.801
2014
144
644
536
106
166
30
5
19
263
67
26
11
0
4
100
3
4
95
12
.310
.419
.491
.910
2015
143
633
530
81
132
28
1
19
219
63
15
7
4
4
94
2
1
143
4
.249
.361
.413
.777
2016
143
652
557
98
162
30
8
20
268
90
23
9
1
3
84
1
7
107
9
.291
.389
.481
.870
2017
143
651
556
109
171
35
3
23
281
92
13
3
2
6
83
0
4
113
6
.308
.398
.505
.903
2018
125
566
432
109
132
22
0
39
271
97
10
10
0
1
130
8
3
130
5
.306
.468
.627
1.096
2019
巨人
143
631
535
82
156
26
1
27
265
89
12
5
0
7
86
3
3
125
15
.292
.388
.495
.884
2020
120
491
423
63
120
31
1
27
234
77
8
4
3
2
63
4
0
101
3
.284
.375
.553
.928
2021
118
457
392
58
104
21
0
23
194
55
5
3
0
2
63
0
0
120
5
.265
.365
.495
.860
2022
143
607
525
81
143
31
1
27
257
65
6
7
1
0
80
1
1
88
8
.272
.370
.490
.859
2023
121
431
385
43
94
11
0
18
159
47
4
2
1
3
42
3
0
62
5
.244
.316
.413
.729
2024
138
595
525
51
146
18
1
14
208
45
8
4
0
2
65
5
3
93
9
.278
.360
.396
.756
通算:15年
1872
7815
6639
1038
1842
334
34
283
3093
918
183
92
31
43
1067
36
35
1451
93
.277
.378
.466
.844
2024年シーズン終了時
各年度の太字 はリーグ最高
年度別打撃成績所属リーグ内順位
年 度
年 齢
リ | グ
打 率
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
打 点
盗 塁
出 塁 率
四 球
2010
21
セ・リーグ
-
-
-
-
-
-
-
-
-
2011
22
-
-
-
5位
-
-
9位
-
9位
2012
23
-
-
-
5位
-
-
10位
-
-
2013
24
-
9位
9位
1位
-
-
1位
6位
4位
2014
25
9位
8位
6位
2位
9位
-
3位
2位
1位
2015
26
-
-
7位
-
6位
9位
8位
9位
1位
2016
27
-
5位
2位
2位
-
7位
5位
6位
3位
2017
28
5位
1位
4位
8位
8位
3位
-
2位
4位
2018
29
-
-
-
-
2位
4位
-
1位
1位
2019
30
9位
7位
-
-
10位
8位
-
5位
4位
2020
31
-
10位
1位
-
4位
6位
-
8位
3位
2021
32
-
-
-
-
7位
-
-
8位
5位
2022
33
-
8位
4位
-
3位
-
-
3位
2位
2023
34
-
-
-
-
-
-
-
-
-
2024
35
-
9位
-
-
10位
-
-
9位
4位
-は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)
太字年度 は規定打席到達年度、年度背景色金色は最優秀選手賞(MVP) 受賞年度
WBSCプレミア12での打撃成績
年 度
代 表
試 合
打 席
打 数
得 点
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
塁 打
打 点
盗 塁
盗 塁 死
犠 打
犠 飛
四 球
敬 遠
死 球
三 振
併 殺 打
打 率
出 塁 率
長 打 率
2019
日本
8
35
28
2
6
3
0
0
9
3
0
0
2
0
5
0
0
7
1
.214
.333
.321
年度別守備成績
年 度
球 団
外野
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
2010
広島
9
11
0
0
0
1.000
2011
126
252
5
2
2
.992
2012
95
142
5
4
0
.974
2013
136
256
1
2
1
.992
2014
144
293
8
2
2
.993
2015
143
273
6
1
0
.996
2016
143
284
5
2
1
.993
2017
143
274
1
2
0
.993
2018
122
230
1
1
0
.996
2019
巨人
141
285
2
2
0
.993
2020
119
210
2
3
0
.986
2021
116
234
4
0
2
1.000
2022
143
275
1
1
0
.996
2023
111
190
0
1
0
.995
2024
134
249
2
0
0
1.000
通算:15年
1825
3458
43
23
8
.993
タイトル
表彰
記録
初記録
節目の記録
100本塁打:2017年7月6日、対読売ジャイアンツ14回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回裏に畠世周 から中越ソロ ※史上284人目
1000試合出場:2018年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス 1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、「3番・中堅手」で先発出場 ※史上492人目[ 94]
1000安打:2018年6月30日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、3回表に東克樹 から中前安打 ※史上293人目[ 95]
150本塁打:2019年4月5日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、1回表に今永昇太 から左中間ソロ ※史上171人目[ 96]
1000三振:2020年7月4日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、2回裏に吉見一起 から ※史上69人目[ 97]
200本塁打:2020年10月29日、対横浜DeNAベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、2回表に平良拳太郎 から右越ソロ ※史上109人目[ 93]
1500試合出場:2022年4月29日、対阪神タイガース7回戦(東京ドーム)、「3番・中堅手」で先発出場 ※史上200人目[ 58]
1500安打:2022年5月15日、対中日ドラゴンズ9回戦(東京ドーム)、7回裏に柳裕也 から右前安打 ※史上131人目[ 98]
300二塁打:2022年9月2日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場 )、1回表に西勇輝 から左中間二塁打 ※史上75人目、平成生まれ初[ 99]
250本塁打:2022年9月11日、対広島東洋カープ 25回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表に遠藤淳志 から右越2ラン ※史上68人目[ 100]
1000四球:2023年9月25日、対横浜DeNAベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、4回表に大貫晋一 から四球 ※史上18人目[ 62]
1000得点:2024年6月1日、対埼玉西武ライオンズ 2回戦(ベルーナドーム )、6回表に岡本和真 の左犠飛で生還 ※史上47人目[ 101]
3000塁打:2024年7月7日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場 )、4回表に小澤怜史 から中前安打 ※史上63人目[ 102]
その他の記録
背番号
63 (2008年 - 2013年)
9 (2014年 - 2018年、2019年プレミア12 )
8 (2019年 - )
登場曲
太字 は2024年の起用曲
代表歴
関連情報
書籍
出演
CM
創建ホーム(2014年 - 2018年)
「OVER THE PRIDE」丸篇(2014年)
「理想はつくれる」丸篇(2015年)
「檜ストロング構法」丸篇(2016年)
「夢を創る、心で創る」丸篇(2016年)
「STRONG!HIROSHIMA」丸篇(2017年)
「想いを、ともに」丸篇(2018年)
もみじ銀行 (2014年 - 2018年) もみじ銀行イメージキャラクターを務めた
白鶴酒造 「白鶴まる」(2020年 - )
配信
プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信[ 104]
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
丸佳浩 に関連するカテゴリがあります。
監督・コーチ
監督 一軍コーチ 二軍監督・コーチ 三軍監督・コーチ 巡回コーチ
業績 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1967年から1984年までは最多出塁数。1985年以降は最高出塁率。
1950年代
1950 青田昇 , 岩本義行 , 小鶴誠
1951 青田昇 , 岩本義行 , 金田正泰
1952 杉山悟 , 南村不可止 , 与那嶺要
1953 金田正泰 , 南村不可止 , 与那嶺要
1954 杉山悟 , 与那嶺要 , 渡辺博之
1955 町田行彦 , 与那嶺要 , 渡辺博之
1956 青田昇 , 田宮謙次郎 , 与那嶺要
1957 青田昇 , 田宮謙次郎 , 与那嶺要
1958 田宮謙次郎 , 森徹 , 与那嶺要
1959 大和田明 , 坂崎一彦 , 森徹
1960年代
1960 中利夫 , 並木輝男 , 森徹
1961 江藤慎一 , 近藤和彦 , 森永勝治
1962 近藤和彦 , 並木輝男 , 森永勝治
1963 江藤慎一 , 近藤和彦 , 藤井栄治
1964 江藤慎一 , 近藤和彦 , 重松省三
1965 江藤慎一 , 近藤和彦 , 中暁生
1966 江藤慎一 , 中暁生 , 山本一義
1967 近藤和彦 , 柴田勲 , 中暁生
1968 江藤慎一 , D.ロバーツ , 山内一弘
1969 高田繁 , D.ロバーツ , 山本一義
1970年代
1970 江尻亮 , 高田繁 , 中暁生
1971 柴田勲 , 高田繁 , 水谷実雄
1972 柴田勲 , 高田繁 , 若松勉
1973 江尻亮 , 柴田勲 , 若松勉
1974 G.マーチン , 末次利光 , 若松勉
1975 井上弘昭 , 山本浩二 , ロジャー
1976 張本勲 , 谷沢健一 , 若松勉
1977 張本勲 , 山本浩二 , 若松勉
1978 C.マニエル , 山本浩二 , 若松勉
1979 M.ラインバック , 山本浩二 , 若松勉
1980年代
1980 杉浦亨 , 山本浩二 , 若松勉
1981 J.ライトル , 田尾安志 , 山本浩二
1982 田尾安志 , 長崎啓二 , 山本浩二
1983 田尾安志 , 松本匡史 , 山本浩二
1984 山崎隆造 , 山本浩二 , 若松勉
1985 杉浦享 , 真弓明信 , 山崎隆造
1986 W.クロマティ , 山本浩二 , 吉村禎章
1987 W.クロマティ , C.ポンセ , 吉村禎章
1988 C.ポンセ , J.パチョレック , 広沢克己
1989 W.クロマティ , 彦野利勝 , 山崎賢一
1990年代
1990 J.パチョレック , 原辰徳 , 広沢克己
1991 R.J.レイノルズ , 原辰徳 , 広沢克己
1992 飯田哲也 , 前田智徳 , L.シーツ
1993 A.パウエル , 新庄剛志 , 前田智徳
1994 A.パウエル , G.ブラッグス , 前田智徳
1995 A.パウエル , 金本知憲 , 松井秀喜
1996 A.パウエル , 松井秀喜 , 山崎武司
1997 鈴木尚典 , D.ホージー , 松井秀喜
1998 鈴木尚典 , 前田智徳 , 松井秀喜
1999 関川浩一 , 高橋由伸 , 松井秀喜
2000年代
2000 金本知憲 , 新庄剛志 , 松井秀喜
2001 稲葉篤紀 , 金本知憲 , 松井秀喜
2002 清水隆行 , 福留孝介 , 松井秀喜
2003 赤星憲広 , A.ラミレス , 福留孝介
2004 金本知憲 , 嶋重宣 , T.ローズ
2005 青木宣親 , 赤星憲広 , 金本知憲
2006 青木宣親 , 金本知憲 , 福留孝介
2007 青木宣親 , A.ラミレス , 高橋由伸
2008 A.ラミレス , 青木宣親 , 金本知憲
2009 A.ラミレス , 青木宣親 , 内川聖一
2010年代
2010 M.マートン , 青木宣親 , 和田一浩
2011 長野久義 , M.マートン , 青木宣親
2012 長野久義 , 大島洋平 , W.バレンティン
2013 W.バレンティン , M.マートン , 長野久義
2014 M.マートン , 丸佳浩 , 雄平
2015 筒香嘉智 , 福留孝介 , 平田良介
2016 鈴木誠也 , 筒香嘉智 , 丸佳浩
2017 丸佳浩 , 鈴木誠也 , 筒香嘉智
2018 丸佳浩 , 鈴木誠也 , N.ソト
2019 丸佳浩 , 鈴木誠也 , N.ソト
2020年代
2020 佐野恵太 , 丸佳浩 , 鈴木誠也
2021 鈴木誠也 , 近本光司 , 塩見泰隆
2022 近本光司 , 佐野恵太 , 岡林勇希
2023 近本光司 , 西川龍馬 , 岡林勇希
2024 近本光司 , D.サンタナ , 細川成也
1970年代
1972 柴田勲 , 高田繁 , 山本浩司
1973 柴田勲 , 高田繁 , 山本浩司
1974 柴田勲 , 高田繁 , 山本浩司
1975 高田繁 , 山本浩二 , ローン
1976 池辺巌 , 柴田勲 , 山本浩二
1977 柴田勲 , 山本浩二 , 若松勉
1978 J.ライトル , 山本浩二 , 若松勉
1979 J.ライトル , J.スコット , 山本浩二
1980年代
1980 J.ライトル , J.スコット , 山本浩二
1981 J.ライトル , 松本匡史 , 山本浩二
1982 北村照文 , 平野謙 , 松本匡史
1983 北村照文 , 長嶋清幸 , 松本匡史
1984 長嶋清幸 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1985 平野謙 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1986 平野謙 , 屋鋪要 , 長嶋清幸
1987 長嶋清幸 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1988 彦野利勝 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1989 栗山英樹 , 彦野利勝 , 山崎賢一
1990年代
1990 彦野利勝 , 柳田浩一 , 山崎賢一
1991 飯田哲也 , 前田智徳 , R.J.レイノルズ
1992 飯田哲也 , 亀山努 , 前田智徳
1993 飯田哲也 , 新庄剛志 , 前田智徳
1994 飯田哲也 , 新庄剛志 , 前田智徳
1995 飯田哲也 , 緒方孝市 , 音重鎮
1996 飯田哲也 , 緒方孝市 , 新庄剛志
1997 飯田哲也 , 緒方孝市 , 新庄剛志
1998 緒方孝市 , 新庄剛志 , 高橋由伸
1999 緒方孝市 , 新庄剛志 , 高橋由伸
2000年代
2000 新庄剛志 , 高橋由伸 , 松井秀喜
2001 赤星憲広 , 高橋由伸 , 松井秀喜
2002 高橋由伸 , 福留孝介 , 松井秀喜
2003 赤星憲広 , 高橋由伸 , 福留孝介
2004 赤星憲広 , アレックス , 英智
2005 赤星憲広 , 金城龍彦 , 福留孝介
2006 青木宣親 , 赤星憲広 , 福留孝介
2007 青木宣親 , 高橋由伸 , 金城龍彦
2008 青木宣親 , 赤星憲広 , 鈴木尚広
2009 青木宣親 , 松本哲也 , 亀井義行
2010年代
2010 青木宣親 , 廣瀬純 , 赤松真人
2011 長野久義 , 青木宣親 , 大島洋平
2012 大島洋平 , 長野久義 , 荒波翔
2013 長野久義 , 丸佳浩 , 荒波翔
2014 丸佳浩 , 大島洋平 , 大和
2015 福留孝介 , 丸佳浩 , 大島洋平
2016 丸佳浩 , 大島洋平 , 鈴木誠也
2017 丸佳浩 , 桑原将志 , 鈴木誠也
2018 丸佳浩 , 大島洋平 , 平田良介
2019 丸佳浩 , 鈴木誠也 , 大島洋平
2020年代
2020 鈴木誠也 , 大島洋平 , 青木宣親
2021 鈴木誠也 , 近本光司 , 大島洋平
2022 塩見泰隆 , 岡林勇希 , 近本光司
2023 近本光司 , 岡林勇希 , 桑原将志
2024 秋山翔吾 , 岡林勇希 , 近本光司
1972年から1985年まではダイヤモンドグラブ賞
2000年代 2010年代
2010 阿部慎之助 , 和田毅
2011 内海哲也 , 坂口智隆
2012 杉内俊哉 , 吉川光夫
2013 能見篤史 , 田中将大
2014 山田哲人 , 則本昂大
2015 畠山和洋 , 菊池雄星
2016 鈴木誠也 , 大谷翔平
2017 丸佳浩 , 松本剛
2018 石山泰稚 , 石川歩
2019 柳裕也 , 鈴木大地
2020年代
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代