萩尾 匡也読売ジャイアンツ #12 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
熊本県菊池郡大津町 |
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生年月日 |
(2000-12-28) 2000年12月28日(23歳) |
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身長 体重 |
180 cm 85 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
2022年 ドラフト2位 |
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初出場 |
2023年5月28日 |
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年俸 |
1200万円(2024年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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萩尾 匡也(はぎお まさや、2000年12月28日 - )は、熊本県菊池郡大津町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
経歴
プロ入り前
大津町立室小学校で4年生の時に野球を始め、大津町立大津北中学校在学時は硬式野球のクラブチームである北熊本ボーイズでプレーしていた。
文徳高等学校に進学し、1年春から4番を務めた[2]。2年秋、3年春の熊本県大会で優勝し、同年夏の熊本大会は第1シードとして臨んだが、初戦(2回戦)で必由館に敗れた[3][4]。3年間で甲子園大会出場はなし。高校通算46本塁打[5]。高校の2学年先輩には児玉亮涼がいる[6]。
慶應義塾大学に進学し、2年春からベンチ入り。公式戦初打席で本塁打を記録した[7]。4年時には春のリーグ戦で5本塁打を記録し[5]、ハーレムベースボールウィークの日本代表に選出された[8]。また4年秋の東京六大学野球リーグリーグ戦では、打率.400(55打数22安打)、4本塁打、17打点で戦後16人目の三冠王となった[9][10]。大学の同期に橋本達弥がいる[11]。
2022年9月13日にプロ志望届を提出[12]。その後同年のドラフト会議にて、読売ジャイアンツから2位指名を受け[5]、10月23日に指名挨拶を受けた[13]。11月19日に契約金7500万円、年俸1200万円(金額は推定)で巨人と仮契約し、背番号は12に決まった[14]。担当スカウトは脇谷亮太[15]。
巨人時代
2023年は、開幕を二軍で迎えるが、イースタン・リーグにて、5月は18試合に出場して月間打率.473という好成績を残し、ファーム月間MVP賞を受賞[16]。5月28日に一軍に初昇格し、同日の阪神タイガース戦(甲子園)で、「7番・中堅手」として先発で初出場すると、3打席目に才木浩人から左前にプロ初安打を放った[17]。しかし、その後は無安打が続き、6月4日に出場登録を抹消された[18]。二軍では101試合に出場して、規定打席に達しチームトップの打率.283、7本塁打、36打点を記録したが[19]、一軍では11試合の出場で、打率.063(16打数1安打)、10三振に終わった[20][21][22]。11月18日、現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改した[20]。11月25日からは台湾で開催されたアジア・ウィンター・リーグに参加し[23]、17試合に出場して、7試合連続安打を記録するなど打率.326、1本塁打を記録した[24][25]。
2024年は、開幕一軍入りを果たした[26]。4月2日の中日ドラゴンズ戦では20打席目で初の適時打となる二塁打を放ち、プロ初打点を記録[27]。翌4月3日の中日ドラゴンズ戦ではプロ初本塁打を記録した[28]。
選手としての特徴
大学に進学以降、鈴木誠也のバッティングフォームを参考にしている[29]。
一方、ドラフト指名時点で遠投90mの弱肩が課題で、2023年シーズン前には橋本到コーチから送球の特訓を受けた[30]。
笑顔が代名詞とも言われるほどであり、座右の銘は「笑門来福」[31][32]。明るい性格であり、チームのムードメーカーになっている[33][32]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
外野
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2023
|
巨人
|
7 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2024
|
41 |
59 |
0 |
1 |
0 |
.983
|
通算
|
48 |
62 |
0 |
1 |
0 |
.984
|
記録
- 初記録
背番号
登場曲
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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監督・コーチ |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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三軍監督・コーチ | |
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巡回コーチ | |
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育成コーチ | |
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