日本の高等学校設立年表(にほんのこうとうがっこうせつりつねんぴょう)は、旧制度の下で設立された教育機関(藩校、旧制中等教育学校など)のうち、現存する新制高等学校の前身となっている学校の設立年表。
概要
昭和時代に入ってから旧制中等教育学校として設立され、学制改革により新制高等学校へ移行した学校の数は膨大であるため、1926年12月25日[1]以前に設立され、戦後新制高等学校へ移行したもののみを記載する。昭和時代に設立されたものを含む旧制中等教育学校全般については、旧制中等教育学校の一覧を参照のこと。
- 凡例
- 現存する高等学校の前身となった教育機関(藩校、旧制中学校、高等女学校、実業学校、補習学校など)の設立年(月日)により配置。
- 現存校の前身となった教育機関が複数ある場合には、前身ごとに掲載。
- 開校日または設立認可年月日により配置。開校日は「開校」、設立認可年月日は「設立認可」、いずれか不明の場合には「設立」と記載。授業開始日等も明らかな場合には記載。
- 改称は、特に重要なものに限って記載する。例えば、著名な校名への改称、藩校・私塾等から近代学校制度に基づく学校(尋常中学校など)となった場合の改称、私立・町村立から道府県立へ移管された場合の改称、現存する学校の直接の前身となった学校への改称など。
- 設立年月日と創立記念日が異なるなど、特に再掲する場合には冒頭に「*」を付する。
- 記載例
- 18○○年(明治○○年)
- ○月○日 - 実業家・○○が私塾として○○を設立。19○○年(明治○○年)、県への移管により○○県立○○中学校と改称。19○○年(昭和○○年)、○○県立○○女子高等学校(旧:○○県立○○高等女学校)と統合(現:○○県立○○高等学校)。
明治時代より前
明治時代
- 1868年(明治元年)
- 知恩院山内に仏教講究の機関を設置(1870年に仮勧学所)。1879年(明治10年)に浄土宗総本山宗学校となり、1898年(明治31年)に浄土宗専門学院(現:佛教大学、一部は大正大学に統合)と第五教区宗学教校に分割。宗学教校は1912年(大正2年)に東山中学校となる(現:東山中学校・高等学校)。
- 1870年(明治3年)
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)
- 1873年(明治6年)
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年)
- 1876年(明治9年)
- 1876年(明治9年)
- 「篠山中年学舎」を興した1876年(明治9年)とし ている。但し公式サイトの沿革にあるように、これは一旦公立に移管されたものの中学校設備規則発布により廃校の危機に直面したが、旧藩主の青山家当主青山忠誠はこれを遺憾とし、基金を募り、私財をも投じて「私立鳳鳴義塾」と改称し中学校教育を維持した。兵庫県内で一番歴史のある高校。(現:兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)
1902年(明治35年)仏教第三中学校に改称し、1909年(明治41年)に京都市へ移転(現:龍谷大学付属平安中学校・高等学校)。
大正時代
脚注
関連項目