獨協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Dokkyo Junior & Senior High School)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校。学校法人獨協学園が運営する完全中高一貫校[1]。
1883年(明治16年)、獨逸学協会学校が設立される。 開校当時からドイツ語を中心に教育を進めてきたが、第一次世界大戦でドイツ帝国が敗れると、ドイツ語を学ぶ生徒が激減し、昭和初期には経営環境が非常に厳しくなった。日独伊三国同盟成立の影響で、若干の人気回復を果たすが、第二次世界大戦後は、日本の法体系や教育制度がそれまでのドイツ式からアメリカ式に移行するとともに、旧制獨協中学校も存続の危機を迎えた。GHQに対しては、獨協とは「獨逸学協会」の略ではなく「独立協和」の略であると、苦しい弁明をしたほどであった。そのような中1952年(昭和27年)、第3次吉田内閣の文部大臣も務めた天野貞祐が、母校再建のために第13代校長に就任。「人間教育」を教育理念の原点とする高い指導力によって、中学・高等学校の復興を果たした。
中高一貫制の教育区分は、中学校の第1学年および第2学年の前期2年間を「第1ブロック(基礎学力養成期)」、中学校第3学年および高等学校第1学年の中期2年間を「第2ブロック(学力伸張期)」、高等学校の第2学年および第3学年の後期2年間を「第3ブロック(学力完成期)」に区分する「2-2-2制」を採用している[2]。
「心構えは正しく、身体は健康、知性に照らされた善意志と豊かな情操とを持つ、気品のある人間の育成を目指す。」これが為には、すべての生徒に、それぞれ人間としての自信と矜持(誇り)とを抱かしめ、各自の天分を開発し、その長所を培養する。他日社会に出ては、日日の生活に感謝と喜びとを見出し、勤勉努力して社会に奉仕し、広く文化の創造に寄与する人間となることを期待するわけである。教育愛こそ本学園の情熱であり、人間教育こそ本学園の精神である。
これは、第13代校長である天野貞祐が述べた言葉である。現在ではこの言葉が学園の中で広く浸透し、事実上の教育目標および教育方針となっている。
校舎は教室が設置されている本校舎と、小道を挟んだ向かい側にあるスポーツ設備を備えた100周年記念体育館の2つに分かれている。
現在の本校舎は地上5階、地下1階建、モダンな構造で1998年(平成10年)に落成した。設計コンセプトは「『光と、風と、緑の創造空間」で、オーディオテクニカ本社などのデザインを手がけた赤坂喜顕が設計。日本建築学会作品選奨に選定された[3]。
校舎は部室棟とともに中庭グラウンドを囲む形で建てられている。
100周年記念体育館は1983年(昭和58年)に落成。
ほとんどの教室にプロジェクターが設置されている。
2024年の時点で32の部活、1個の同好会、6つの委員会がある[4]。同好会は同学年有志が創ることが多く、数年で廃部や自然消滅となることが多い(数学同好会や英語同好会など)。また、部活に入らない生徒の増加・低学年化が進み、廃部になったり(PC部)、廃部の危機に瀕している部活(天文部など)も少なくない。学校の管理上、部活動を中学と高校で分けているのはサッカー部と野球部のみだが、部活動によっては中学と高校で異なる活動をしていることもある。
出典 : [6]
2000年(平成12年)に獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)が発足。
毎年2月にはそれぞれの当番大学同窓会が責任を持って学術会議を開催している。
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