宝生 弥一(ほうしょう やいち、1908年(明治41年)7月2日 - 1985年(昭和60年)3月11日)は、ワキ方下掛宝生流の能楽師。元の名は光本弥一郎。
来歴
愛媛県松山市のワキ方下掛宝生流能楽師・光本敬一の長男として生まれる[1]。1918年に上京し、下掛宝生流家元宝生新に入門する[1]。翌年、「小鍛冶」の大臣役で初舞台を踏む[1]。1923年、関東大震災に遭い、松山に帰郷する[1]。1931年、法政大学専門部商業科を卒業する[1]。1933年、宝生新の次女と結婚する[1]。その後、宝生家に入籍し、宝生姓を名乗る[1]。1944年、宝生新の死に伴い、宝生彰彦の家元後見となる[1]。
1970年以降、芸術祭優秀賞[1]・紫綬褒章[1]・芸術選奨文部大臣賞[2]、1980年には日本芸術院賞を受賞[3]。1981年、重要無形文化財保持者(人間国宝)[1]。 1984年、芸術院会員[1]。1985年、死去。墓所は東京日暮里の善性寺[1]。
能楽のワキ方として戦後第一級と評される。宝生閑は長男[4]。
DVD
演能作品
- 能楽名演集1 「隅田川」観世流 梅若六郎、宝生弥一、NHKエンタープライズ
- 能楽名演集3 能『俊寛』 能『猩々乱』/観世流 観世寿夫、宝生弥一、NHKエンタープライズ
仕舞・独吟
- 能楽名演集1「仕舞独吟一調舞囃子集」/独吟『實方(蘭曲)』宝生弥一、NHKエンタープライズ
- 能楽名演集2「仕舞一調舞囃子集」/仕舞『羅生門』宝生弥一、NHKエンタープライズ
脚注
外部リンク
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |