牛の胃(ハチノスなど)やソーセージ、白インゲン豆などを用いたポルトの名物料理「ポルト風もつ煮」(Tripas à moda do Porto)の起源には諸説ある。その1つが14世紀にカスティーリャ王国の軍がリスボンを包囲し、テージョ川河口を封鎖したときに誕生したとする説である。ポルトガルの年代史家フェルナン・ロペスは、いかに飢餓が都市全体に広まったかを克明に記録している。食品の価格は天文学的な値に高騰し、幼い少年たちはかつて小麦市場だった場所に行き、地べたに落ちた2、3粒の穀物を見つけるや否や夢中で口にしたという。老人や病人は売春婦と同様に都市の防衛に寄与できない者としてカスティーリャ陣営に送られたが、リスボンに送り返されるだけだった。この時点でポルト市民がどうにか川の封鎖を通り抜けることができる供給船団を組織することを決めたが、肉の可食部位は首都リスボンに送られていたため、しばらくポルトの住民が食べられるものは臓物に限られたという。他説には1415年にエンリケ航海王子が行なったモロッコのセウタ遠征に際しポルトが進んで軍に肉を供給した結果、臓物しか残らなかったというものがある。いずれ少なくとも17世紀から現代に至るまで、ポルトの住人たちは胃を食べる人々(トリペイロ)として知られている。
ポルトガル料理には他にも多くの肉料理が存在する。アラビア語で「一片」または「こまぎれ」を意味するアルカートラは、アゾレス諸島のテルセイラ島では牛肉を赤ワインとニンニクでマリネしてから焼いた料理を指すが、ポルトガル本土では、高価な肉の部位だけを指す。「アレンテージョ風の豚肉」という名称のアサリと豚肉の炒め物、カルネ・ジ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ(Carne de porco à alentejana)は一般的な料理だが、アレンテージョではなくアルガルヴェが起源であるため紛らわしい。アレンテージョ地方は広大な農業地域であり、シネスのような大きさの漁港しかなく、貝類はかつては内陸の地域に供給されたことがなかった。一方で、アルガルヴェはすべての点で海岸に比較的近く、アルガルヴェ地方のブタは餌として魚をよく与えられていた。それで、肉の魚臭い味をごまかすために炒めた豚肉にアサリが加えられたという。しかしながら今日でも、あえて誰もそれをアルガルヴェ風豚肉料理(Carne de porco à algarvia)とは呼ばない。
ポルトガルのステーキ、ビーフェ(bife)は油で焼いた牛肉または豚肉の薄いスライスに、フライドポテト、炒め飯またはサラダを添えたものである。栄養価を高めるために目玉焼きを肉の上に載せて供する場合には、「(卵が)馬乗りになったビーフェ」(bife (com um ovo) a cavalo)という名称で呼ばれる。イスカス(Iscas、レバー炒め)は、リスボンの古い居酒屋でよく注文されるが、ジャガイモのソテーがつくとイスカス・コン・エラス(Iscas com elas、「あれら」添えイスカス)と呼ばれる(「あれら」(elas)とはジャガイモのソテーを指している)。小さな牛肉または豚肉のステーキを巻いたものは牛肉ならプレーゴス(pregos)、豚肉ならビファーナス(bifanas)と呼ばれる一般的な軽食であり、しばしばビヤホールでは大ジョッキのビールとともに供されるが、しかしながら時間と経済に制約のある現代では、ホワイトカラーの労働者たちがプレーゴまたはビファーナ一つだけを昼食として軽食堂のカウンターで食べることもある。マデイラ諸島では、エスペターダというケバブ風の肉の串焼きが非常に一般的である。
ポルトガル各地の食品調製と食習慣に関する慣習には、ユダヤ人の食習慣が影響を及ぼしている可能性がある。半島部とアゾレス諸島では、ユダヤ教徒が過ぎ越し祭の期間中に食べる無醗酵のパン、マッツァーを連想させる数種類の無発酵のパンとアルファダス・ジ・コインブラ(arrufadas de Coimbra)のようなケーキが作られる。島嶼部では、血の痕跡を完全に取り除くために、食肉をしばしば水の中で繰り返しすすぐ。旧約聖書のレビ記にある通り、地上にこぼれた血を土でおおうことも時々ある。ウツボなど鱗のない一部の魚介類を避ける地域もある。非常に鋭いナイフで動物を屠殺することも、ラビの律法によって強制されている習慣の一つである。鶏を屠ったあとに逆さまに吊るして血を抜く習慣もあるが、この時に流れ出た血を後でカビデラの材料として使うことがある点は、血を不浄とするユダヤ教徒の習慣とは相容れない。
農家のまわりで容易に育てられる家禽の肉は昔は贅沢な食物と考えられ、貧しい人々が鶏を口にできるのは病気にかかったときだけに限られていた。七面鳥は、クリスマスや結婚披露宴や晩餐会のような特別な機会にだけ食べられた。1930年代までは、クリスマスが近くなるとリスボン郊外から農夫が街の通りに七面鳥を何羽も連れて売りに来ていた。屠殺する前にブランデーを鳥に飲ませる習慣は、肉をやわらかくおいしくする効果があり、また屠殺される家禽の恐怖を和らげる効果も期待されていた。今日では、養鶏場での大量生産により家禽の肉はすべての階層の国民の手にとどくようになり、ビーフェス・デ・ペルー(bifes de Peru、七面鳥ステーキ)が、最近のポルトガルの食卓に加わることになった。