ラトビア料理(ラトビアりょうり、ラトビア語: Latviešu virtuve)は、ラトビアの料理で、ラトビア人の食文化・食生活の中心をなす。国内やバルト海でとれる食材、周辺地域(他のバルト三国やロシア、北欧、ポーランド、ドイツなど)といった様々な地理的および歴史的状況の影響で形成される。
ラトビア料理は主に地元の農産物で作る。ラトビアはバルト海の東岸に位置し、料理の大部分は魚料理である。また、数多くの国、特にドイツの影響を多く受けている。一般的に使う食材である魚、ライ麦、ジャガイモ、小麦、大麦、キャベツ、タマネギ、卵、豚肉などははラトビア産である。ラトビアの国民的料理は脂身が多く風味があり、通常は香辛料を使用しない。典型的なラトビア料理はベーコン入り灰色豆である。
歴史
Garlībs Merķelisは、1798年から1799年の著作『Die Vorzeit Livlands』(『過去のリーフラント』の意味)第2章『ラトビア人の生活』で、12世紀のヴィドゼメ居住者の食事を書いた:
彼らは
クマ、
オオカミ、
キツネ、
タカ、
シカや
ウサギなど狩猟できるものは何でも食べた。木の容器に熱した鉄を入れ、肉料理を作った。これは多くの場所で行われた。魚は
白樺の
樹皮で作った容器で調理する、これは煮汁により燃えることはない。この調理法により肉は柔らかく良い味になる。鉄で調理したときには得られず、陶器が必要である。
挽いた(つぶした)食品の替わりに塩を近所から購入したといわれている。特にヘンプ、すなわち殻付きの麻を砕いた実、およびヘンプミルクという2つの料理が好まれている。
初期の彼らの飲み物は
馬の乳または血であった。当初、彼らは
タタールのように馬乳酒を作った。後に、20世紀になって彼らは国的な飲み物であり祝祭で味わい楽しむ、白樺と
メープルの樹液を採ることを学んだ。4月末に樹木に穴をあけて切り込みから樹液を容器に流し集めた。ビールは、鉄と同様にドイツから学んだ。
タキトゥスは、彼らが
ワインのように、穀物から作った酒を飲んでいたと述べている。一方、町では昔から
蜂蜜酒を飲んでいた。
[1]
ドイツの作家Rozins Lentilijsにより、クルゼメでジャガイモ栽培を始める前の17世紀のラトビア料理が記述された。
農民のほとんどは、
ソバの実を砕いた
ポリッジ、および
オオムギのポリッジを食べて暮らす。ポリッジは牛乳で煮てほぼ硬く、木の容器で配膳した。彼らはまた
芽や様々な
根菜を食べる。
農作民の通常の飲み物は通常の水でなく、塩水については不明であるが、少なくとも私の判断では湧き水よりも質が悪い。彼らはサウナの中の棚の下に容器を固定しており、何か分からない液体が入っていて、棚にはリネンの布がある。蜂蜜酒はクルゼメの普段の飲み物である。2通りの製法で作る。1つはスペインのワインに劣らなく良い透明性があり、甘く酔わせる飲み物である。2番目の色はビールと類似している。
[2]
19世紀後半から20世紀初めにかけて、農民の経済および教育水準の向上に伴い、農業は徐々に近代化し先端技術をとりいれていった。17世紀のクルゼメによる植民地支配(ラトビア語版)から貴重な植物として渡って来たジャガイモ栽培は急増した。バター製造は、桶から撹乳器(英語版)に変わり、木製のスプーンと皿はエナメル加工または亜鉛メッキした食器に置き換わった。伝統的な料理から、翻訳された料理本を使うようになった。
最初にラトビアで出版された料理本は、Rubene教区教役者でドイツ語翻訳者のKristofs Hardersにより翻訳された334ページの『Ta pirma Pawaru Grahmata no Wahzes Grahmatahm pahrtulkota(ドイツ語翻訳本からの最初の料理本)』で、1795年にRubeneで出版された。この本は荘園の料理人向けで、その多くはドイツ語を話せないラトビアの農民であった[3][4]。1年後の1796年に、J. F. Stefenhāgena印刷所で、452ページの最初の独自のラトビア語料理本『Pawaru Grahmata, Muiſßas Pawareem par Mahzibu wiſſadas Kungu Ehdeenus gahrdi wahriht un ſataiſiht(荘園の料理および紳士のコースの全ての料理のためのラトビア料理本)』[5]が出版された。これはLestene教区教役者のFridrihs Hazimirs Urbānsが始め、彼の死後、エルガヴァ教区教役者で文学者のMatiāss Stobeが完成した[6][7]。
20世紀初めまで、ラトビア人とリーヴ人の主な職業は農耕と漁業であり、したがって食材のほとんどは農地から得られた。食事の基本はRupjmaize(ライ麦パン)と様々な料理 - 穀物、豆、根菜および野菜、牛乳と蜂蜜、加えて肉または脂肪であった。キノコとベリーは森からの恵みであった。沿岸では魚が食事の重要な位置にあった。ニシン、スプラット、タラ、マナガツオ、ヒラメなどの魚を獲る。ニシンは通常タマネギを加えてミルク煮にした。串を挿して炭で調理することもあった。下処理し、塩漬けして干物にする。ヒラメは主に燻製される。食事ではニシンが特に重要であり、市場で樽買いした。年間に2から3樽のニシンを消費した。秋には牛、 豚、子牛、子羊などを屠畜する。肉は冬にも消費され、夏の作業 - 草刈り用にはほとんど残らない。
冬には家にジャガイモ[8][9]、穀粉、挽き割り穀物(英語版)、肉があり、農民は最良のときを過ごした。牛は9月または10月に出産するまで搾乳できないため、牛乳の替わりにヘンプミルクを使った。夏の食卓には貯蔵食品 - 木製容器入りのバターおよびBiezpiensが準備される。夏には牛乳で作る料理 - ミルクスープと挽き割り穀物、ジャガイモおよびダンプリング、エンドウ豆の煮込みが主になる。軽食でヘンプチーズ、サワーミルク、バターミルクまたはバターを食べる。カード、卵およびクリームを調理してチーズを作る。
分類
パン
穀物および穀粉
- Pūtelis: 大麦、ライ麦、カラス麦、場合によりエンドウなどの豆を挽いた穀粉で作る。
- Sutņa putra:大麦、ライ麦、小麦、エンドウなどの豆で作るポリッジ。
- Ķiļķenzupa
- Nuļķenu zupa
乳製品
肉
肉料理の多くは豚の肉、血、モツで作った。家畜と手に入る穀物、根菜で様々なソーセージが調理された。
- Putraimu desa:ブラッドソーセージ。
- Kopķēzis jeb spudiņš:ジャガイモと煮詰めたソラマメを豚の腸に詰める。パン用オーブンで焼く。
根菜
- Sklandrausis
- ジャガイモ
- Grūšļis:ジャガイモの粥。
- ヘンプ:かつてはヘンプバター、ヘンプミルクを作るために広く使われた。茹でたジャガイモに混ぜることもあった。
- Kļockas:ジャガイモで作るダンプリングのスープ。
- Cepti griežņi:ルタバガ
野菜
- Sautēti kāposti(サボテンキャベツ)
- Skābētu biešu zupa(サワービートスープ)
- Šauts:ビートの葉、牛乳、場合により挽き割り穀物を加えて作る。パンに添えて食べる。
豆
- Zirņi un pupas(エンドウと豆):秋に、材料のエンドウ、灰色豆、 豆および豚肉、ビートを塩味で茹でる。甘い牛乳を添えて温かいまま食べる。Pūpoldienā vārīja Pūpolus - 完全に乾燥したもの。
- Grūslis:砕いて挽いたヘンプ、茹でたジャガイモ、および茹でたエンドウで作る。食通は聖木曜日と聖金曜日に食べる。
- Pinka:茹でたエンドウとヘンプで作る。復活祭の前の木曜日、キリスト教会から帰った時に食べる。
魚
- Cietžāvētas butes:漁師が通常樽に貯蔵して冬に食べるために調理した。
- Lestes:スープは乾燥したチーズ、カブと牛乳で作る。
- スプラット:冬に塩蔵スプラットを作り、適切な容器に圧力をかけ保存する。塩蔵したスプラットは炭で調理し、水で戻して柔らかくして塩を抜く。水で戻して焼いたスプラットをパンに乗せ、ポテトに添えて食べる。
甘い料理
- Auzu ķīselis(オートミールのスープ):通常、日曜日に作る。
- コケモモジャム:砂糖を加えない柔らかいコケモモジャムに、牛乳または少しのクリームを加えて食べる。既製品のヴァレニエには茹でたニンジンや赤いビート入りの場合がある。
- 小麦のダンプリングとワートルベリージュース:ダンプリングは熱いまま食べるが、冷たいチーズを食べる。
- Saldskābā zupa(甘いスープ):このスープは結婚式で冷やして供する。水、砂糖(またはシロップ、ジャム)、バター、ベリー、ナッツと甘いクリーム(場合により)で作る。調理中にスプーン2杯の酢で酸味を与え、薄切りケーキを加える。しみ込んだ後につぶす。
黒バルサム(酒)
バルサムと呼ばれるヨーロッパの酒(リキュール)のうち、ラトビア産は黒バルサムとして知られる。首都リガにあるラトビア・バルサムズ社では、ヨモギやショウガ、オーク樹皮、オレンジの果皮など24種類の素材を混ぜた原酒を木樽で1カ月寝かせ、さらに蜂蜜やキャラメルなどを2週間かけて浸透させる。ロシア帝国治下、エカチェリーナ2世のリガ訪問(1752年)で胃の調子回復ため調合されたのが始まりとされる。薬草の比率などの製法は独ソ戦で失われかけたが、生き延びた関係者が知識を持ち寄って復元した[10]。
欧州連合の方針
欧州連合(EU)の食品品質制度には現在6つの伝統的ラトビア料理およびラトビア産食品が含まれる - Salinātā rudzu rupjmaize(湯通しライ麦パン)、Sklandrausis、Carnikavas nēģi(ツァルニカヴァ(ラトビア語版)の甥)、Latvijas lielie pelēkie zirņi(ラトビアの大きな灰色エンドウ豆)、Jāņu siers(真夏のチーズ)、Rucavas baltais sviests(ルツァヴァの白バター)[11][12]。
欧州連合制度に含まれた最初のラトビア産食品はSklandrausisであり、食品品質認証「伝統的特産品保護」への適用が2011年12月13日にクルゼメ基礎自治体「Zaļais novads」により欧州委員会に申請された。 2013年10月11日、欧州委員会は申請を実施規則No 978/2013により承認し、欧州連合の伝統的特産品保護による高品質製品と認識された[13][14][15]。
2012年10月11日に、砂糖を加えたRupjmaize(ライ麦パン)- Salinātā rudzu rupjmaize - が同様に「伝統的特産品保護」認証の適用が申請され、実施規則No 12/2014によりこれもまた欧州委員会に承認された[16]。
3番目のEU認証で最初の「地理的表示保護」はCarnikavas nēģiで、2013年9月11日に欧州委員会に申請されたが[17][18]、承認は2015年2月13日の実施規則No 269/2015となった。
脚注
参考文献
- Inita Heinola, Sanita Stinkule. Latviešu tradicionālie ēdieni: Ko un kā ēda senāk. Rīga, Latvijas Nacionālais vēstures muzejs, 2006. 31 lpp.
関連項目
外部リンク
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