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左藤 恵(左藤 惠[1]、さとう めぐむ、1924年2月28日 - 2021年1月9日)は、日本の政治家、弁護士(大阪弁護士会所属)。位階は正三位。
衆議院議員(10期)、国土庁長官、郵政大臣、法務大臣を歴任した。
来歴・人物
大阪府大阪市出身[2]。旧制大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)卒業。旧制高知高等学校を経て、1945年9月京都帝国大学法学部卒業。同年10月、逓信院入省。郵政省に所属し、大臣官房文書課長補佐、外務省出向(ジュネーブ領事)、貯金局国際業務部長、電波監理局放送部長、松山郵政局長などを歴任。
1969年、大阪府知事であった父・左藤義詮の在任中に旧大阪6区から自民党公認で立候補し初当選。衆議院議員連続当選10回(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。自民党内の派閥では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属した。
自治政務次官、郵政政務次官、衆議院地方行政委員長などを経て郵政大臣、法務大臣を歴任。
1990年-1991年、法相在任中には、死刑執行命令書に署名しなかったことで取り沙汰された。本人が真宗大谷派寺院の住職であったことから、宗教的信条から署名をしないとする報道もあったが、後の本人の述懐によると、宗教的信条よりもむしろ京都帝大時代に師事した刑法学者佐伯千仭の教えによるものだとされる[3]。法相が死刑執行命令書に署名をしないことについては賛否両論があったが、左藤の場合は本人の宗教的信条が関係していた点も議論となった。
1993年、同期当選の羽田孜、小沢一郎らと行動を共にし自民党離党、新生党結成に参加。1994年、羽田内閣の国土庁長官を務めた。
1994年12月、新進党の結成に参加。1998年1月には国民の声、民政党に参加し、統一会派「民主友愛太陽国民連合(のち:民友連)」の代表も務めた。
1998年4月の民主党結成には参加せず無所属となり、その後、自民党に復党。
2000年6月、娘婿の左藤章に地盤を譲り政界から引退。
2006年4月、大阪弁護士会に弁護士登録。久保井総合法律事務所客員弁護士。
また、学校法人大谷学園(大谷幼稚園、大谷中学・高等学校、東大谷高等学校、大阪大谷大学)理事長[4](1969年11月~2009年10月)。大谷学園学園長(2003年4月~2009年)
2021年1月9日、慢性心不全のため大阪市天王寺区の病院で死去[2]。96歳没。死没日をもって正三位に叙される[1]。
家系
- 系譜脚注
- ^ 左藤了秀:大谷学園創設者。
- ^ 左藤義詮:2代大谷学園理事長。2代大阪府知事、9代防衛庁長官。
- ^ 左藤行子:3代大谷学園理事長。
- ^ 左藤 恵:4代大谷学園理事長。45代郵政大臣、53代法務大臣、25代国土庁長官。
- ^ 左藤定子:2016年3月5日死去。85歳。
- ^ 左藤一義:5代大谷学園理事長。
- ^ 左藤 章:衆議院議員。伊戸薫次男、婿養子。
- 出典
著作
- 『欧洲雑記 : 国際会議のあらまし』(官業労働研究所、1962年)
- 『世界の旅から』(左藤恵事務所、1979年)
- 『通信は時代を創る : 距離と時間を超えて』(ビジネス社、1985年)
- 『七転び八起きで、九十まで』(出版樹々、2015年)
- 『七転び八起きで、九十まで : 雑記』(出版樹々、2015年)
- 『人生 山あり谷あり』(出版樹々、2017年)
- 『七転び八起きで、九十まで--番外編』(出版樹々、2020年)
脚注
関連項目
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統合前 |
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統合後 | |
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2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。 |
衆議院逓信委員長 |
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衆議院地方行政委員長 |
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衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 |
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