伊佐 進一(いさ しんいち、1974年〈昭和49年〉12月10日 - )は、日本の政治家、元科技・文科官僚。公明党広報委員長。
衆議院議員(4期)、財務大臣政務官、厚生労働副大臣兼内閣府副大臣(新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進担当[2])などを歴任した。
1974年、大阪府守口市に生まれる。守口市立佐太小学校、洛南高等学校附属中学校、洛南高等学校を経て、東京大学工学部航空宇宙工学科卒業[3]。1997年、科学技術庁入庁。2003年、ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院より修士の学位を取得。2005年、文部科学省研究開発局宇宙開発利用課長補佐に就任。2007年、在中華人民共和国日本国大使館一等書記官に就任。その後、文部科学省大臣官房総務課長補佐を経て、文部科学副大臣秘書官に就任。
2012年12月16日に投開票された第46回衆議院議員総選挙に大阪6区から公明党公認候補(引退を表明した福島豊の後継)として出馬し、初当選。
2014年12月14日に投開票された第47回衆議院議員総選挙に大阪6区から出馬し、再選。
2017年10月22日に投開票された第48回衆議院議員総選挙に大阪6区から出馬し、3選。
2018年、第4次安倍第1次改造内閣において財務大臣政務官に就任[4]。
2021年4月26日、新型コロナウイルスに感染していることが公表された。同年10月31日に投開票された第49回衆議院議員総選挙に大阪6区から出馬し、4選。
2022年8月12日、第2次岸田第1次改造内閣において厚生労働副大臣兼内閣府副大臣に就任[5]。
2024年9月28日、公明党広報委員長に就任。同年10月27日に投開票された第50回衆議院議員総選挙に大阪6区から出馬し、落選[6]。
守口で育った少年時代、4歳の時に難病を患うも、周囲の励ましで辛いリハビリを乗り越えて克服した[7]。
東京大学卒業後は「多くの人に役立つ仕事がしたい」との志を胸に国家公務員になることを決意し、科学技術庁(現・文部科学省)へ入庁する。政府派遣でアメリカ合衆国の大学院に2年間留学し、アメリカの外交政策や中国経済について研究して修士号を取得した。その後、在中国大使館において日中外交に携わる。
2005年から2007年にかけては宇宙開発政策に携わる。惑星探査機「はやぶさ」について、財務省に交渉担当者として粘り強く説得し、予算を確保した。結果として「はやぶさ」は無事に帰還することができた。
2007年、在中国大使館に一等書記官として赴任。中国国家が定める中国語検定試験(HSK)の最上級を取得する。日中両政府が地球温暖化対策の研究に協力して取り組むことに尽力し、帰国後に著書『「科学技術大国」中国の真実』(講談社現代新書)を上梓した[7]。
公明党厚生労働部会長として医療保険制度や介護保険法などの改正に携わり、介護人材の処遇改善、介護休業制度の柔軟な運用を実現した。
2022年8月には厚生労働副大臣兼内閣府副大臣に就任し、新型コロナ禍が続くなか、ワクチンや治療薬の確保、医療提供体制の整備などに尽力する。
がん対策にも注力し、身体に負担の少ない重粒子線治療などの研究開発を支援。乳がんの早期発見・治療へのコールリコール(個別勧奨)制度を導入し、検診率向上を推進する。「がん教育」の重要性を政府に訴え、「がん教育」は全国の小中学校で実施されるまでになった。
乳幼児の胃腸炎を引き起こすロタウイルスワクチンの定期接種も推進した。自身も2児の父親であることを踏まえ、「経済的理由で接種できなかった」との子育て世代からの声を受け止め、何度も国会で取り上げ、実施にこぎつけた。
地元の活性化にも力を注ぐ。防災機能を有した公園の整備、モノレール延伸に伴う「松生町駅」(仮称)の設置など、大阪市に関わる施策を地域密着で進めてきた[8]。
YouTubeにタイムリーな政治解説動画などをアップしていることから、「公明党系YouTuber」と称される。ひろゆきや社会学者の西田亮介など、多くの著名人とも対談動画などで共演している[9][10]。チャンネル登録者は2024年10月現在で2.24万人[11]。
2023年2月、大阪市旭区にある常翔学園中学校を訪れ、同校が主催する「模擬選挙」に各政党の代表者と共に出席し、子育て・教育支援に関する党の実績などを紹介した。模擬投票が行われた結果、公明党は出席した全8党のうち最も多い票を集めた[12]。なお、2025年は2位。
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