大阪府第11区(おおさかふだい11く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。
1994年(平成6年)公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。
中選挙区制度時代は旧7区に属していた。
大阪市への通勤・通学者が多いベッドタウンであるほか、パナソニックグループ関係の就労者も多く住んでいる。第41回から第45回まで5回連続でグループ中核の松下電器産業出身で中村正男の秘書であった平野博文が制し、第44回を除き自由民主党候補の比例復活を許さないほどの大阪随一の民主王国であった。
しかし、第46回では日本維新の会新人の伊東信久が初当選し、平野は比例復活もできずに落選した。
第47回では参議院議員を自動失職し、落下傘候補となった佐藤ゆかりが平野の刺客としてこの選挙区から立候補し、衆議院議員に返り咲き当選を果たすとともに、当選挙区では初めて自由民主党が議席を獲得した。佐藤に敗れた平野と伊東は比例復活当選により返り咲きと再選をそれぞれ果たしている。
第48回では、民進党が希望の党への合流並びに日本維新の会との間で大阪府下の小選挙区に候補者を擁立しない協力を受けて、平野は初当選した第41回以来の無所属で出馬し、候補者を取り下げた日本共産党の支援を受けた。その結果、8年ぶり6回目の小選挙区当選を果たした。次点の佐藤は比例復活で再選。最下位の伊東は、前回より票を上積みしたものの党が比例獲得議席を大幅に減らしたことから、比例復活できず落選となった。
第49回では、伊東が党を除名された丸山穂高の後任候補として大阪19区に国替えし、第40回で旧7区から自由民主党公認で出馬経験がある大阪府議で元枚方市長の中司宏が28年ぶりに再出馬し初当選を果たした。次点となった佐藤と、立憲民主党所属となり、党の代表代行ならびに選挙対策委員長だった平野は共に比例復活できず落選となった。
中司は第50回でも次点にダブルスコアの差を見せつけて再選した。
時の内閣:第1次石破内閣 解散日:2024年10月9日 公示日:2024年10月15日当日有権者数:39万4545人 最終投票率:54.98%(前回比:5.59%) (全国投票率:53.85%(2.08%))
時の内閣:第1次岸田内閣 解散日:2021年10月14日 公示日:2021年10月19日当日有権者数:39万8749人 最終投票率:60.57%(前回比:7.54%) (全国投票率:55.93%(2.25%))
時の内閣:第3次安倍第3次改造内閣 解散日:2017年9月28日 公示日:2017年10月10日当日有権者数:40万367人 最終投票率:53.03%(前回比:3.01%) (全国投票率:53.68%(1.02%))
時の内閣:第2次安倍改造内閣 解散日:2014年11月21日 公示日:2014年12月2日当日有権者数:39万435人 最終投票率:56.04% (全国投票率:52.66%(6.66%))
時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日 (全国投票率:59.32%(9.96%))
時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日 (全国投票率:69.28%(1.77%))
時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日 (全国投票率:67.51%(7.65%))
時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日 (全国投票率:59.86%(2.63%))
時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日 (全国投票率:62.49%(2.84%))
時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日 (全国投票率:59.65%(8.11%))