木野 晴夫(きの はるお、1919年(大正8年)7月4日[1][2] - 1997年(平成9年)2月13日[1])は、日本の大蔵官僚、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(当選6回)。
来歴
大阪府出身[1]。大阪高等学校を経て[3]、1942年(昭和17年)7月、高等試験行政科に合格[2][3]。同年9月、大蔵省事務取扱嘱託となり理財局に配属[2]。1943年(昭和18年)7月、高等試験司法科に合格し[3]、同年8月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し[4]、大蔵属に任官し外資局に配属[2]。同年9月、大蔵省を退職し短期現役士官として海軍に志願し、海軍法務見習尉官となる[2]。1944年(昭和19年)3月、海軍法務中尉に進み、舞鶴鎮守府軍法会議法務官、呉鎮守府軍法会議法務官などを歴任し、1945年(昭和20年)3月、海軍法務大尉に昇進し、同年12月、予備役となる[2]。
1945年12月、大蔵省に復帰し大蔵属として主税局に配属された[2]。以後、福井税務署長、銀行局検査部金融検査官、大阪国税局間税部長、国税庁長官官房人事課長、理財局地方資金課長、北海道財務局長などを歴任し、1964年(昭和39年)9月に退官した[2]。
1967年の第31回衆議院議員総選挙で大阪府5区から自由民主党公認で立候補して初当選した[5]。以来連続6期務める[4]。第1次田中角栄内閣・経済企画政務次官、第2次田中内閣・防衛政務次官、衆議院社会労働委員長、同内閣委員長に就任。この他自民党国会対策副委員長を歴任した。1983年の第37回総選挙に出馬せず引退した。1997年死去。
栄典
脚注
- ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』205頁。
- ^ a b c d e f g h 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』56頁。
- ^ a b c 『日本官僚制総合事典1868-2000』347頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』203頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』257頁。
- ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊
参考文献
- 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
衆議院社会労働委員長 (1978年) |
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