牧野 隆守(まきの たかもり、1926年〈大正15年〉1月14日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。
衆議院議員(6期)、政務担当官房副長官(宇野内閣)、労働大臣(第2次小渕改造内閣・第1次森内閣)を歴任。
来歴・人物
福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。福井中学などを経て東京大学法学部入学。東大在学中に高等文官試験司法科(現在の司法試験)合格。卒業後、1949年に旧商工省(のちの通産省)に入省。同期には藤原一郎(通産事務次官)、平松守彦 (大分県知事)、大永勇作(中小企業信用保険公庫総裁)、井川博(経済企画事務次官)、織田季明(官房審議官)、小泉孝夫(通産省工業検査所所長)などがいた。
ジェトロニューヨーク事務所、通商局通商政策課長補佐、外務省在西ドイツ日本国大使館一等書記官、貿易局輸出課長、中小企業庁総務課長などを経て、1974年8月に大阪通産局長で退官後、1979年の第35回衆議院議員総選挙で初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。所属派閥は中曽根→渡辺派を経て志帥会(江藤・亀井派)旗揚げに参加。戦跡は6勝3敗(中選挙区時代は福井県全県区、小選挙区制導入で福井2区。
宇野内閣で内閣官房副長官、第2次小渕改造内閣・第1次森内閣で労働大臣を歴任。その後自民党行政改革推進本部顧問を務めるが、かねてからの体調不良のため、2003年に政界から勇退した。座右の銘は「随処在主」与えられたポスト、現在ある立場でベストを尽くすことの意。
2003年、旭日大綬章受章[1]。
2008年1月11日、心不全のため死去。81歳没。叙従三位。
家族・親族
参考文献
脚注
衆議院厚生委員長 (1991年 - 1993年) |
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