高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日[1] - 1972年10月29日)は、衆議院議員を5期務めた日本の政治家である。
1910年(明治43年)2月、新潟市に生まれる。私立新潟夜間中学校、高検を経て新潟高等学校卒業。1936年(昭和11年) 京都帝国大学法学部卒業。
1937年(昭和12年)、南方に出征。
1947年(昭和22年)、新潟県議会議員・新潟市議会議員。1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で新潟1区初当選(無所属)し、以後5期連続で務める[2]。
1964年(昭和39年)7月、第3次池田改造内閣防衛政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣防衛政務次官。1967年(昭和42年)11月、第2次佐藤第1次改造内閣郵政 政務次官。1971年(昭和46年)7月、衆議院逓信委員長。
1972年(昭和47年)7月、自由民主党新潟県支部連合会 会長。同年10月29日、現職のまま死去(死因不明)。
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