D1 GRAND PRIX カテゴリ
ドリフト 国・地域
日本(2000年 ー ) アメリカ(2003年 - 2006年) ロシア(2014年 - 2018年) 中国(2016年 - 2018年) フィリピン(2022年 - ) 韓国(2023年 - ) タイ(2023年 - ) 台湾(2023年 - ) ブラジル(2024年 - ) 開始年
2000年 最終 ドライバーズ チャンピオン
中村直樹 最終 チーム チャンピオン
TEAM VALINO×N-style 公式サイト
d1gp .co .jp
D1GP参戦車両 (S15 シルビア )
D1 GRAND PRIX (ディーワングランプリ)は、ドリフト走行 の技術を競うモータースポーツ の選手権である。通称は「D1グランプリ 」「D1GP 」。
概要
「全日本プロドリフト選手権 」の名称で2000年 にスタートし、翌年からは「D1グランプリ 」 (D1 GRAND PRIX) として開催されている。単に速さを競う一般的なモータースポーツとは異なり、ドリフト走行 における迫力や芸術性をポイント化し競う。シリーズ戦(年間6-10戦)で争われ、現在では国内最高峰のドリフト競技のシリーズとなっている。旧来は「D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ」を正式名称としていたが、2024年よりJAFの日本選手権にドリフト競技 が加わったことにより、正式名称は『JAF 日本ドリフト選手権 D1グランプリシリーズ 』、シリーズ名は『グランツーリスモ D1グランプリシリーズ 』となっている。
シリーズ戦には1台で走る「単走」と2台で走る「追走」の2種目が設定されており、各ラウンドで両種目の1位を決めるとともに、追走トーナメントにおいて最後まで勝ち上がった選手がそのラウンドの優勝者となる[ 1] 。かつては審査員の目視を基に採点されていたが、2013年からGPS と角速度センサーを利用した[ 2] 機械式採点システムのDOSS(D1 Original Scoring System)が単走で導入されており、2019年以降は追走でも使用されている。
下位カテゴリーとしてD1ライツ 、さらにその下にD1ディビジョナルシリーズ(地方戦)が存在しており[ 1] 、それらで好成績を収めた選手がD1グランプリにステップアップするケースも少なくない。また、同じくドリフト走行の競技として国内最高峰にあるフォーミュラ・ドリフト ジャパン と並行して参戦するドライバーも存在する。
「D1 GRAND PRIX」の名称の考案者は、シリーズを立ち上げた人物でもある元レーサーの土屋圭市 と雑誌『OPTION 』創始者の稲田大二郎 である。「全日本プロドリフト選手権」のシリーズ化にあたり、ドリフト(D rift)の「D」・土屋圭市(ドリフトキング、D rift King)の「D」・(稲田)大二郎(D aijiro)の「D」という3つの「D」から頂点を目指すという意味で、「D1 」と名付けられた[ 3] 。
歴史
D1グランプリの誕生
D1 GRAND PRIXの起源は、1995年 に土屋圭市・稲田大二郎により開催された「ドリフト統一チャンピオン決定戦 」である。当時の主要なドリコン であった「STCC」、「ドリコンGP」、「いかす走り屋チーム天国 」(いか天)[ 注 1] の優秀選手が参加し、統一された審査基準の下でドリフトの腕前を競った[ 3] 。これをきっかけとして、それまで存在しなかった「統一したルールによる、トップ選手によって競われるドリフト大会」という概念が生まれ、その後同様のコンテストが数度単発で開催された。
2000年 、「全日本プロドリフト選手権 」として初のプロドリフトイベントがエビスサーキット で開催され、優勝には50万円の賞金がかけられて行われた。それまでにも全国の強豪ドライバーを集めて優勝を競う単発のイベントは行われていたが、賞金をかけて行われたのはこの大会が初めてのことであった[ 4] 。開催にあたっては「ドリフトがどれだけ上手くてもその先はない。だったらドリフトで飯を食えるように、プロ化にしよう 」という意図があり、土屋曰く「最初のうちはOption やビデオオプション での仕事の斡旋も考えていたが、お金を払って見る価値が出来た」とのことである。
2001年 、「D1 GRAND PRIX 」の名称でこの年からシリーズが開催された。第1-3戦は観客を入れずビデオオプション の収録として行われていたが、第4戦エビスから観客を動員して開催されるようになった。
シリーズの拡大と新たな選手の台頭
シリーズ設立当初はエビスや日光サーキット 、備北ハイランドサーキット 、セキアサーキット などの比較的小規模なサーキットで開催されていたが、2002年初開催の筑波サーキット を皮切りに、富士スピードウェイ (2003年から)、オートポリス (2004年から)、鈴鹿サーキット (2006年から)、岡山国際サーキット (2008年から)などの大規模なサーキット での開催も増加した。また、2003年 からはアメリカ へ進出し、カリフォルニア州 のアーウィンデールスピードウェイ で大会を開催(2006年まで)。日本発祥のドリフト競技が世界中に伝播するきっかけとなり、各国でドリフト競技の大会(アメリカのフォーミュラ・ドリフト など)が開催されるようになった[ 5] 。さらに2004年 には市街地特設コースのお台場 ラウンドが初開催[ 6] 。2006年 にはD1グランプリの下位カテゴリーとしてD1ストリートリーガル (現・D1ライツ)がスタートするなど、国内外でシリーズの拡大が続いた。
また、2001年時点では選手は皆プライベーターであり、ほとんどの選手がナンバープレート付きのマイカーを持ち込んで出走していた。しかし、翌2002年 以降はチューニングパーツメーカー(ブリッツ ・HKS ・トラスト など)によるワークス 体制での参戦[ 注 2] やチューニングショップ(トップシークレット ・RE雨宮 など)による参戦が本格的に始まり、それに合わせマシンも競技専用車両へと先鋭化していった[ 5] 。
選手も、シリーズ初期は野村謙 や谷口信輝 、植尾勝浩 、今村陽一 など、いか天などのドリコンで活躍した選手が中心であったが、2000年代中盤になると川畑真人 や斎藤太吾 など、キャリアの初期からD1GPを中心として戦ってきた選手が頭角を現し、2000年代後半には横井昌志 や松井有紀夫 、末永直登 など、D1ストリートリーガルからステップアップしてきた選手も現れた[ 5] 。
ドリフト競技の国内最高峰として
2010年 12月9日のD1コーポレーション取締役会において、稲田大二郎・土屋圭市両名がD1コーポレーション取締役を辞任し、今後の運営から離れることが表明された[ 7] [ 8] 。競技化を勧める両名と興業化を計るD1コーポレーション側で溝が生まれたことが原因とされる。稲田・土屋の二人は2011年 に対抗イベントとしてドリフトマッスル を立ち上げた。「なるべくお金のかからない、腕だけで勝負できる大会」[ 9] を志向するドリフトマッスルに対し、D1GPはドリフト競技の国内トップカテゴリーとして、先鋭化したマシンによる大規模なモータースポーツイベントへの道を歩み始めた。
2012年 にはそれまで審査員によって行われていた審査・採点に機械採点システムのDOSS が導入され、翌2013年 からは単走の採点がDOSSのみとなる。2019年 からは追走の審査でもDOSSの得点が使用されるようになった。また、2014年 には株式会社D1コーポレーションがJAF の加盟団体になり、合わせてレギュレーションもJAFの規定により変更されることとなった。以降、それまでのパワー戦争を支えたNOS の使用が禁止となり、2JZ-GTE をはじめとする大排気量エンジンの車両が上位争いのマストアイテムとなる。
2010年代中盤以降は、藤野秀之 や横井昌志、小橋正典 、中村直樹 のチャンピオン獲得に代表されるように、ストリートリーガル出身の選手がトップコンテンダーに続々のし上がっており、他の選手としのぎを削っている[ 5] 。
興行・エンターテインメントとしての側面も模索されており、2010年代前半から中盤にかけてはよしもとクリエイティブ・エージェンシー 所属のお笑い芸人がゲストとして参加したり、中部国際空港 (セントレア)や舞洲スポーツアイランド 、ハウステンボス などの新たな特設コースラウンドが設けられたりしている。2018年にはスマートフォンゲームのドリフトスピリッツ がスポンサーとして名を上げ、同ゲーム内で史上初となる1年を通したシーズンコラボが開催された。
2020年 シーズンは新型コロナウイルス の影響のためスケジュールが変更され、一部のラウンドは感染防止のため無観客で開催された。同年、かつてD1と袂を分かったドリフトマッスルの後継シリーズであるドリフトキングダムと運営統合され、キングダムの上位ランカーが参戦した。
2021年 、シリーズ初年度から唯一連続開催を続けてきたエビスサーキット南コースがダート 路面へと改修されるため、D1GPの開催がこの年限りとなった。
2022年 シリーズより、2014年から続いたモンスターエナジー のオフィシャルドリンクスポンサーが解除となった。理由は不明。これにより2013年以来実に9年振りとなるモンスターエナジーのロゴがないスポンサーボックスや2014年以来となるスポンサーロゴ無記載のゼッケンとなった。
海外シリーズの再始動と「日本ドリフト選手権」設立
2022年 末より、中国シリーズ以来となる海外シリーズとしてD1 SEA SERIES PHILIPPINESが開催[ 10] 。2023年より正式にD1 SEA SERIES(D1東南アジアシリーズ)とD1 Thailand SERIES(D1タイシリーズ)の正式発足がアナウンスされた。[ 11] また、5月19日には韓国シリーズとして、D1 Korea with KDGPが開催。こちらは現地の大会にD1運営が絡むような形での参加で、大会優勝者にはD1LIGHTSライセンスの発行が行われる。2023年10月にはD1GP TAIWANとして台湾シリーズを発足することを宣言し、2024年から開始する予定とした。
2023年 12月5日、JAFは「日本ドリフト選手権」として43年振りに日本選手権を設立。エントラントにD1運営を承っているサンプロスを指名した。[ 12]
2024年 4月16日、韓国にてD1GP&KDGPとして正式に韓国シリーズが発足した。
2024年 4月22日に行われたモーターファンフェスタ2024にて、正式に「JAF 日本ドリフト選手権 D1グランプリシリーズ」の始動を発表した。またこれに伴い、D1 LIGHTSも「地方ドリフト選手権 D1 LIGHTS」とすることも併せて発表された。
2024年 12月14日・15日にD1ブラジルシリーズとしてプレシーズンマッチを開催する事を発表した。また合わせて台湾シリーズの開催日程も発表され、ブラジルシリーズと同日の開催となった。
車両
市販車を改造した車両で争われる。競技の特性上、ベースとなる車両の駆動方式のほとんどはFR であるが、かつてはスカイラインGT-R やインプレッサ [ 注 3] 、ランサーエボリューション [ 13] など、4WD の車両をFR化したケースも少ない数ではあるものの存在した。
シリーズ初期より中心的な車種としては、シルビア が挙げられる。ここ数年は特にS15シルビア が出場する車両の多数を占めており、さらにエンジンを純正のSR20DET から大パワーを得ることのできるエンジン(特に2JZ-GTE 、他にVR38DETT 、RB26DETTなど)に換装することが定石となっているが、SR20DETのまま戦う選手も少数ではあるが存在する。エンジンにはフルチューンに近いチューニングが施され、発揮される馬力は多くが800馬力から1000馬力以上に達する。他のベース車両としては、180SX やチェイサー 、マークII が代表的である。近年では、2012年 に86 を複数のチームが投入し、2JZ-GTEやEJ25 など、様々なエンジンが使用された[ 5] 。2013年 にはトラストによってR35GT-R が、2019年 には斎藤太吾と川畑真人によってGRスープラ が投入されている[ 14] 。2022年からはGR86 も活躍している。
他の自動車競技車両と違う点として特徴的なのが、2004年シリーズより導入されたスポンサーボックスである。D1GP・ライツ(旧ストリートリーガル)・地方戦・東西戦その全てにおいて協賛企業のロゴが記載された1枚の大きなステッカーを車両側面に貼るというもので、当時は前例がなく、今現在でもD1マシンの象徴でもある。また近年では、D1出身選手主催のイベントやD1関連企業のイベントにてオリジナルのスポンサーボックスを貼っていることも増えてきた。このスポンサーボックスはフォーミュラ・ドリフト ジャパンやその他競技大会において、D1車両を使う際に目立たないように上から隠すか剥がすかの措置を行う選手も多い。
トランスミッション も多くの場合は競技用のシーケンシャルミッション に換装され、近年ではドリフト用のアームとナックルによってドリフトの角度維持に必要な前輪の切れ角を向上させたり[ 15] 、前後重量配分の適正化のためにラジエーター を車両のトランクに設置したりするなど、各所にドリフト競技に適した改造が施されている。
タイヤ
D1GPにおいて、タイヤメーカー同士の争いが激しさを増したきっかけとなったのが、2007年 のトーヨー 契約ドライバーの川畑真人・黒井敦史 ・佐久間達也 からなる「TEAM TOYO TIRES DRIFT」の結成である。タイヤメーカーの直系チームの参戦は、それまでチューニングパーツメーカー中心であった参戦形態がタイヤメーカー中心に置き換わる呼び水となり、トーヨー、ブリヂストン 、ダンロップ /ファルケン 、ヨコハマ 、グッドイヤー による熾烈な争いが繰り広げられ、グリップ性能の向上が進んだ。
さらに2010年代に入ると、ハンコック やフェデラル を皮切りにして、中国 や台湾 などアジア系のタイヤメーカーが続々進出し、タイヤ開発は激化の一途を辿る。アジア系メーカーは日本でのSタイヤ に相当する、溝がほとんど無く強烈なグリップを発揮するタイヤを投入して国内メーカーに対抗。これによって競争力を失いつつあった国産メーカーは次々に撤退を選び、一時期はトーヨーのみとなっていた事があった[ 注 4] 。
2017年と2018年は、大会のオフィシャルスポンサーメーカー以外が製造したタイヤは使用不可であったが、2018年シリーズ途中にダンロップがスポンサーから撤退。この時は特認としてシーズン終了までダンロップタイヤを使用することを認めた。その後2019年に規則が変更され、大会スポンサーメーカー以外のタイヤも使用できるようになっている。
タイヤのグリップ力の増大傾向には歯止めがかからず、マシンパーツ(特に駆動系)のトラブルが多発していたことに加え、価格の高騰やサーキットへの路面に対するダメージ(高速回転によって溶け出したタイヤのゴムが路面に残る、あるいは駆動によって路面を削ってしまうなどで、他のサーキットイベントに支障が出る)など、懸念が高まっていた。2022年シーズンからはリアタイヤの転がり抵抗に規定値を設けて、初めてグリップ抑制を目指すこととなった(後述)。
2024年シリーズで使用可能なタイヤメーカー[ 注 5] [ 注 6]
トーヨー (2001年- )
ヴァリノ (2019年- )
シバタイヤ (2022年- )[ 注 7]
ダンロップ ( -2018年、2022年- )
ヴィツァー(2021年- )
ケンダ (2016年-2017年、2022年- )
ヨコハマ( -2016年、2022年- )[ 注 8]
ゼスティノ(2015年-2018年、2022年- )
トライエース(2018年-2019年、2022年-)
ナンカン (2017年- )
フェデラル (2011年-2016年、2022年- )
セリモ(2022年- )
ハビリード(2022年- )
ゼクノヴァ(2023年- )
サイルン(2020年-2021年、2023年-)
アンタレス(2024年ー)
ダバンティ(2024年ー)
マックストレック(2024年ー)
ゼニュー(2024年ー)
過去に参入していた・使用可能だったタイヤメーカー
ブリヂストン( -2010年、2014年-2016年)
ファルケン( -2008年、2012年-2016年)
グッドイヤー( -2018年)
ワンリ (2016年-2017年)
5Fivex(2019年)
ハンコック(2011年-?)
リンロン (2019年-2021年)
グッドライド(2017年-2019年、2022年-2023年 )
レギュレーション
ライセンス
参加にあたっては、D1ジャパンアソシエーションが発行するモータースポーツライセンス であるD1ライセンス を取得しなければならない。
ライセンス規定は年によって流動的に変更されており、2023年は以下のようになっている。詳細な発給条件については公式サイトに掲載されている規則[ 16] を参照のこと。
D1国際ドライバーズライセンス
D1-SUPERドライバーズライセンス
最上位ライセンス。日本国外のD1GPやD1チャンピオンズといった大会に出場するためにはこのライセンスが必要になる。国際自動車連盟 (FIA)の発行するスーパーライセンス とは全く関係はない。発給には原則として以下のいずれかに該当することが必要。なお、このライセンスを保有している者はD1ライツには出場できない。
前年のD1GPシリーズランキング8位以内
過去のD1GPシリーズチャンピオンで、前年にシリーズに参戦していた
5年度前までにD1GPラウンド優勝の経験があり、前年にD1GPシリーズに参戦していた
D1-GPドライバーズライセンス
日本国内のD1GPとD1ライツに出場できるライセンス。新規発給には、前年のD1ライツシリーズにて総合16ポイント以上獲得することが必要。
国内ドライバーズライセンス
D1-Aドライバーズライセンス
D1ライツとD1ディビジョナルシリーズ(地方戦)に出場できるライセンス。新規発給には、前年のD1地方戦にて総合16ポイント以上獲得するか、前年のD1ライセンス選考会で選考会審判員より認定されることが必要。
D1-Bドライバーズライセンス
D1地方戦に出場できるライセンス。仮ライセンスを取得し、地方戦かライセンス選考会に出場すると発給される。
仮ライセンス
ライセンス講習会を受講し、ライセンス料金の支払いをした者に発給される。講習会当日のみ有効。
これらの要件を満たしていない場合でも、D1ジャパンアソシエーションが特別に認めた場合にはライセンスが発給される場合がある。
以前は「いかす走り屋チーム天国」で優秀な成績を収めた者などにもライセンスが発給されていたが、下位カテゴリーの整備が進んだ結果、現在では「D1地方戦→D1ライツ→D1GP 」というステップアップの図式がほぼ固まっている。2020年にドリフトキングダムと運営統合された際には、ドリフトキングダムの参加者は推薦制度を利用してD1GPへの参加資格を得ることが可能になった[ 17] 。
D1ライセンスの取得に際し、かつては年齢や運転免許 の有無等による制限は行われていなかった。実際過去に下部カテゴリーのD1ストリートリーガル(現・D1ライツ)では16歳の(当然日本における自動車運転免許 を持たない)ドライバーが出場した例がある。しかし現在は、D1規則として各競技会時に有効な普通自動車運転免許を保有していることが参加条件となっているため[ 18] 、18歳未満の人間や普通自動車運転免許を持たない人間の参加は原則不可能になる。また、D1GPに出場する場合にはJAFの国内Bライセンス以上のライセンスを保有していることが必要となる。
なお「一般公道にて暴走行為を行うなど、社会的違法行為に及んだ者」などについてはライセンスが剥奪されるとしているため、暴走族 等の参加は厳しく規制されている。中村直樹 のように、共同危険行為(ドリフト走行)を一般公道で行ったとしてD1ライセンスを一度剥奪されたケースもある[ 19] 。
車両規定
詳しくは、D1車両規定[ 20] を参照のこと。
エンジン・吸排気系・補機類
D1ライツとは異なり、ラジエーター を車体後方に搭載する「リアラジエーター」が認められており、前後重量配分の適正化のために現在では多くの車両がリアラジエーター化している[ 21] [ 22] 。
排気系には触媒 の装着が義務付けられており、さらに排気音量は113dB 以下である必要がある。
NOS(ナイトラス・オキサイド・システム )は2013年までは使用可能であったが、2014年よりJAF公認競技化されたため現在は禁止されている。
タイヤ
2001年はSタイヤ の使用が許可されていたが、翌年以降からは速度抑制のため禁止されていた。しかし、2010年代中頃から中国やインドネシア などの新興メーカーがSタイヤ に匹敵するグリップのタイヤをハイグリップラジアルタイヤ として投入するようになった結果、レギュレーションが有名無実化し始めた[ 23] ため、現在は「トレッドパターンのシー・ランド比(溝部面積÷トレッド面積)が未使用状態で22%以上」という規則となっている。さらに2022年からは、サーキット路面への負担低減やタイヤ選択肢の増加などを目指して、リアタイヤに関しては「転がり抵抗 係数が10.5以下のタイヤのみ使用可能」というレギュレーションとなった。翌2023年からは、同様の規定をフロントタイヤにも適用することとなった[ 24] 。
また、かつては一般販売されている公道用タイヤであればサイズ等の制限はなかったが、2014年から285幅までという制限が設けられた(例外としてベースとなっている車両の製品カタログ上に285幅以上のサイズが設定されている場合のみ、その記載されている幅のサイズまで使用できる[ 注 9] )。2019年以降はベース車両に関係なく、車両とドライバー(装備品含む)の合計重量が1275kg未満の車両は265幅まで、その他の車両は285幅までとなった。
使用できるタイヤの本数は、単走決勝以降で3セット(6本)以内である。そのため「追走のどのラウンドに残り2セットの新品タイヤを使うか」という駆け引きが発生する。[ 注 10]
また、2018年以降は、車両同士の接触と関係なくリアタイヤがビード落ちした場合、失格処分となり、該当ラウンドの成績は剥奪される。
ボディー
かつては「ストリート仕様とかけ離れた変更を防ぐ」目的でパイプフレーム化は禁止されていた[ 注 11] 。が、これ自体が曖昧な定義[ 注 12] かつ近年の競技車両の車速にレギュレーションが対応してないという指摘も多く、クラッシュ時の安全上の問題もあり、2019年よりフロントアクスルの前方200mmより前とリアのインナーフェンダーより後ろの部分に限ってパイプフレーム化が認められるようになった。
ルーフパネル・ボンネット ・フェンダー ・ドアなどはカーボン製に置き換えることができる。
2023年以降はバンパーやフェンダー等の外装パーツが取り付けられていない、取り付けが甘い、著しく破損し吹き飛ぶ可能性がある場合は、出走停止となった。
安全装置
クラッシュからドライバーを守るため、サイドバー付かつ8点式以上のロールケージ と6点式のシートベルト の装着が義務付けられている。
その他
サスペンション の形式や取付け位置の変更は自由。
車両の外形寸法は原則として全長5000㎜、全幅2000㎜、全高1500㎜まで。また、車両重量はドライバー及びその装備品含めて1000kg以上でなくてはならない。
スモークウィンドウの禁止(ドライバーを審査員から見やすくするため)
助手席の装着
など
2014年からJAFの準公認競技として認定された関係もあり、全体的な車両レギュレーションがそれ以前よりも細分化及び厳密化している。それに伴い動力としてモーターを使用する電気自動車 に関する規定なども追加されている(2015年のキックオフイベントで、エキシビジョンながらプリウス をベースとして、完全なモーター駆動でFR化された車両が走行している[ 25] )。
競技進行
単走
1人の選手につき2本規定区間をドリフト走行し[ 注 13] 、点数が高かった方の得点で順位を決定。上位16名が追走トーナメントへ勝ち上がる。さらに、上位24名までに単走シリーズポイントが付与され、上位4名には別にドライバーズポイントも与えられる[ 26] 。各ラウンドで単走1位となった選手は「単走優勝」、年間の単走ランキングで1位となった者は「単走チャンピオン」として表彰される。
採点は機械採点システムのDOSS(下の「審査・採点」の項で詳述)によって行われ、速度の速さ・角度の大きさ・安定性などが数値化されて得点となる。これに加えて、指定されているゾーンを通過しているか否かや、ドリフトが途中で戻っていないか、コース内を走行できていたかなどを審査員が判断し、DOSSの得点から減点する形で最終的な得点が算出され[ 26] 、順位が決定する。2012年以降は後述の追走トーナメントで敗退した際の最終順位が単走での順位が高い順で決まるため、より重要度を増している。
2018年以前は単走に「予選」と「決勝」が存在した。2009年・2010年は予選最下位から決勝を走るノックダウン方式が採用されていた。
2011年からは単走予選(シリーズ17位以下が参加)→単走決勝(予選上位12台+シリーズ16位以内)の形式となった。なおシリーズランキング8位以内のドライバーは結果に関わらず追走2ndステージまでシードされる(2012年からはランキングに関係なく単走決勝で16位以内には入れなければ追走予選には進めなくなった)。
2014年から単走と追走を別の日に行うツーデーイベントとなったことに合わせ、シリーズ24位以下の選手(新車優遇[ 注 14] 及び海外優遇選手、ストリートリーガル上位入賞者優遇を除く)による選考会が行われ、それを通過した選手及び選考会対象外の選手のみが単走予選に参加できる形となった(そのため結果的に本戦出場へのハードルが上がることとなった)。単走予選は2本走ることが出来るが、単走決勝は1本勝負となり、その順位によって翌日に開催される追走のトーナメント配置が決定する。単走決勝の上位8名は翌日の追走予選が免除されるシード扱いとなる。
2016年からはシリーズ上位8台はシード選手として予選免除となった。そして、単走予選を勝ち上がった16台とシード8台の計24台が単走決勝にて2本走行し、得点の高い方を用いて単走順位が決定する形となった。
2017年からは単走決勝において、24台中1本目の上位8台は2本目が免除され追走進出、残りの16台が2本目を走行し、追走に進む残りの8台を決定する形となった。
なお、2007年から2010年まで、3本とも100点を取る[ 注 15] と「土屋圭市賞」として10万円が贈られていた。
追走トーナメント
単走上位16名によるトーナメント形式で争われる。2台同時に規定区間をドリフト走行し、車両同士の接近度や同時走行時の美しさを競う。前車(先行 )と後車(後追い )を交互に入れ替えて1本ずつ走り、先行がどれだけ完成度の高い単走ができているか、後追いが先行車にどれだけ食らいついていけているかが審査の基準となる。2台の走りをDOSSで得点化し、そこに審判員の加減点を加え最終的な得点になり、得点の高い方が勝ち進む。最後まで勝ち上がった選手がラウンド総合優勝となる[ 26] 。
勝敗が決まらない場合にはサドンデス と呼ばれる延長戦に突入し、2010年までは決着が付くまで何度も行われていたが、現在はイベントの開催時間等を考慮して、無制限でのサドンデスは決勝のみとし、ベスト16ではサドンデスなし(ただし、2本の得点の合算、及び先行時のDOSS得点の小数第2位までの得点の両方が同点だった場合、サドンデスを行う)、ベスト4までは1回と制限されている。決着が付かなかった場合は、DOSSによる採点を確認して、それに審査員の加点を加えて高い方が勝利となる。
2010年までは、10のアドバンテージを6:4、7:3のように配分して勝敗を決めていた。この形式は、漫画『頭文字D 』に登場する「先行後追いバトル方式」が元となる[ 27] 。土屋圭市が離れた2011年以降は10点を最高としてそれぞれを採点し、2本走行した合計で1ポイント以上リードした選手が勝利するという形式になっている。
2014年から2018年までは、先行車のDOSS得点を基準として審査員による加減点によって決まる、0.5点刻みのランクで勝敗が決定する形式となった。単走決勝で9位~24位となった選手による追走予選を行い、その後追走予選通過者8人とシードとなる単走決勝上位8人のベスト16による追走決勝が行われる形式となっている。2本走行後の合計ランクが同じの場合は、先行時のランクを参照してランクが高い方が勝利となり、それでも同じ場合はDOSS採点の高い方が勝利となる形となっている。ただし、2人のランクが同一かつ総合計ランクが34以上だった場合に限り、スペシャルサドンデスという形で1本だけサドンデスを行う。さらに予選決勝を通して2人の総合計ランクが最も高い対戦がベスト追走賞となり、シーズン終了時に決定する年間MVPの受賞対象とされる。
2012年からは単走ファイナルでベスト16に残れなかった選手による「マイナー追走」が行われていたが、現在は行われていない。マイナー追走で勝利してもベスト16には進出できないものの、勝者には1ポイントが与えられる。
審査・採点
人間審査( -2011年)
2011年までは審査員による採点が行われ、各走行を100点満点で得点化し、それを用いて順位や勝者を決定していた。また、審査席から見にくい場所でのドリフトの戻り、ライン取り、プッシングなどの減点要素を判定するために、加減点を示す旗を持った副審査員がコース脇に配置されていた。副審査員の持つ旗には、前述の減点要素があった際に振る「青旗」と、単走時での素晴らしい飛び出しの際に旗を振って得点を加算する「ファンタスティック旗」(通常は国旗)の2つがある。単走では、コーナーへの進入スピード、角度、ライン(俗に飛距離と角度と滞空時間と表現されることも)、そしてどれだけ危険(壁など)に迫ることが出来たかが審査のポイントになった。追走では、相手よりも「スゴイ」走り(追い抜き、後ろからピッタリ寄せるなど)が出来たかがポイントとなり、単走でのポイントよりも重視される。スピン、アンダーステア はノーポイント。
2004年までは、土屋圭市(審査委員長)・鈴木学 (審査委員・MC担当)、織戸学の3人で審査を行い、3人の審査委員の平均得点で勝負が決まっていた。副審査員は元D1ドライバーの神本寿 。2005年から織戸が選手に転向したため、土屋圭市と鈴木学の2人で審査を行った。なお、2005年以降、鈴木学は単走の審査に関わっていない事がオフィシャルブックによって公開されている。彼が行うのは、単走1-3本目の得点と進入速度が全て同じだったときの順位付けと、追走トーナメントの第3-4位、第5-8位、第9-16位それぞれの順位決定の二箇所である。ただし、前者は一度も適用例が無い。
2009年からは審査員が土屋圭市、稲田大二郎、神本寿、山路慎一 の4名となり[ 注 16] 、単走は各審査員の平均得点、追走は合算で行われるようになった[ 注 17] 。そして、追走審査において、合算した結果、差が0.5以下であった場合はサドンデスとなる。
土屋が2010年限りでD1から離れたため、2011年 からは審査体制を大幅に変更。基本は5人の審判員のうち最高得点と最低得点を出した二人の得点を除いた3人分の得点を平均したものを審査得点とすることになった。審査員は神本がチーフに昇格し、残る4人は山路・飯田章 ・山田英二 というプロドライバー3名に、雑誌『ドリフト天国 』編集長の川崎隆介という体制になる[ 28] 。
土屋が審査委員長を務めていた頃は、単走、追走共に審査基準が以下のように年々変わった。
2001年 - 単走、追走ともに速度重視。
2002年 - 単走は角度、追走は角度が甘くても接近すること。
2003年 - 単走は速度と共に角度、追走は距離を詰めて角度が甘すぎない事。
2004年 - 単走は速度を殺さずに角度を付け、白煙を出すこと。追走は距離を詰める事はもちろんだが、角度が負けない事。
2005-2007年 - 単走はラインを外さずに角度と白煙の走り。追走はきちんとしたラインで入り、同じ角度で距離を詰める事。
2008年- 単走は速度が審査対象から外され、ライン・角度・白煙を重視。追走は2005年度からの対象に準ずる。
2009年-2010年 追走は今までにプラスして「同時振り」が審査の対象に加わる
DOSS(2012年- )
2012年からは単走においてDOSS (D1 Original Scoring System) と呼ばれる、車両に装着する機械式の採点システムが導入された。これはGPS と角速度センサーを用いて車両の動きを数値化し自動的に採点を行うもので、2009年から3年がかりで開発が進められており、2011年にも試験的に導入され大きな問題が出なかったことから本格投入に踏み切った。このシステムについて鈴木学は「カラオケ の採点のような面白さがある」と語っている[ 29] 。2013年からは単走ではDOSS採点のみで審査を行っており、審査員はDOSSが判定できない部分の補助としての加点減点を行う。このためこれまでとは違い、DOSS採点と審査員加点によって100点を超える点数が出る場合もある。
2014年からは、追走でも先行車にのみDOSSが取り付けられ、先行のDOSS得点を基準にしたスコアによって勝敗を決めていた。2019年からは、後追いの車両にもDOSSが取り付けられ、両車のDOSS得点を基にした審査・採点が行われており、2台のDOSSの得点が直接勝敗を分けることになった。
単走では、競技区間を4~5つのセクターに分割し、それぞれの重要度に応じて各セクターに10~30%を配分する。全てのセクターのDOSS得点の合計が最終的な得点となる。また、2019年からはコース上に白線で示された数か所の「ゾーン」が設けられ、ゾーン不通過による減点が行われるようになった。また、コース外の走行や、振り出し時の二度振りやドリフト中のアンダーステアなども減点対象となる。
追走では、先行は単走と同じく車速・角度・安定感が保たれているか、後追いは先行に合わせつつどれだけ接近できるかが求められる。後追い時に接近すると加点が行われる[ 30] が、加点を狙うあまりドリフトが小さくなったり角度が浅くなったりすると、接近ポイントの加点をDOSSの低い得点が打ち消してしまう。そのため、後追い側はいかにDOSSの得点を落とさずに接近ポイントを取っていくかが勝負となっている。
なお、稀にDOSSのシステムにエラーが発生し、正確な測定・採点ができなくなることがある。その際は審査員による人間審査が行われる[ 31] 。2022年まではエラーが出た場合再走行であったが、2023年からは再走行をさせず、車両に搭載されたDOSSの機械(Drift Box)の記録データや審判員によって採点・順位認定することになった[ 24] 。
追走1本目で車両の修復や調整が必要になった際には、競技長の作業開始宣言から5分以内に修復・調整作業を行わなければ走行権利が失われる(5分ルール)。5分間ルールは1対戦につき1回使用可能。2023年は、5分以内に作業を終えられなかった場合はペナルティとして直後の走行点数から5点減点され、さらに1分以内に終えられなければ走行権利が失われた[ 24] 。
加減点の対象となる行為
加減点
ゾーン不通過
ゾーンにより-1~-3
コース外走行
-2~-5、後追いの場合2輪までは減点無し
アンダーステア、二度振り
-5
クラッシュ、競技区間での停止、フライング等
-5~-10
後追い時に接近した
セクターごとに+1~+3
後追い時に接近しようとする努力を見せなかった (ノーグッドチャレンジ)
ゾーンごとに-2
車両同士の接触等
-30を過失割合等に応じて取り合い
審査区間外での走行乱れ 設置物への接触
審査員の判断による
歴代チャンピオン
シリーズチャンピオン
単走チャンピオン
WORLD ALL STAR優勝者(世界チャンピオン)
大会記録
主な大会記録
最終更新日は2024 D1グランプリシリーズ 終了後
通算最多勝利 … 20勝 - 斎藤太吾
通算最多勝利車両 … 66勝 - シルビア (S15)
シーズン最多勝利記録 … 5勝 - 斎藤太吾、小橋正典
最多連勝記録 … 5連勝 - 斎藤太吾
シーズン内最多連勝記録 … 3連勝 - 斎藤太吾、小橋正典
開幕戦連勝記録 … 3連勝 - 風間靖幸
最多シリーズチャンピオン … 4回 - 今村陽一(2023シリーズ終了現在)
最多連続シリーズチャンピオン … 3回 - 今村陽一
単走最高得点 (人間審査) … 120点 - 黒井敦史[ 42]
単走最高得点 (DOSS) … 101.27点 - 斎藤太吾
単走最高得点 (DOSS+ジャッジ加点) … 102.77点 - 斎藤太吾
最年少優勝記録(シリーズ総合)… 18歳2ヶ月 - 中村龍(D1LT)
最年少優勝記録(D1GPのみ) … 24歳5ヶ月 - 今村陽一
最年長単走100点記録 … 50歳 - 岡村和義
最年長優勝記録 … 51歳 - 植尾勝浩[ 43]
最年長シリーズチャンピオン … 49歳 - 藤野秀之
シーズン単走連続優勝記録 … 6連勝 - 川畑真人
最多出場回数…173戦 - 上野高広
ベースカー別勝利数
最終更新日は2024年 D1グランプリシリーズ 終了後。
ドライバー別勝利数
最終更新日は2024年 D1グランプリシリーズ 終了後。
位
ドライバー
回数
備考
1位
斎藤太吾
20
2009 Rd.3 日比野哲也との同時優勝を含む
2位
川畑真人
19
3位
今村陽一
15
4位
横井昌志
12
4位
末永正雄
12
6位
中村直樹
10
7位
小橋正典
9
8位
熊久保信重
7
8位
風間靖幸
7
10位
藤野秀之
6
10位
日比野哲也
6
2009 Rd.3 斎藤太吾との同時優勝を含む
12位
谷口信輝
5
12位
野村謙
5
12位
松井有紀夫
5
12位
植尾勝浩
5
16位
末永直登
4
17位
古口美範
3
17位
蕎麦切広大
3
19位
田中一弘
2
19位
手塚強
2
19位
織戸学
2
19位
高橋邦明
2
19位
村山悌啓
2
19位
内海彰乃
2
19位
松山北斗
2
26位
春口満
1
26位
上野高広
1
26位
浅本昌俊
1
26位
山下広一
1
26位
前田謙
1
26位
三木竜二
1
26位
吉岡稔記
1
26位
平岡英郎
1
26位
黒井敦史
1
26位
時田雅義
1
26位
松川和也
1
26位
高山健司
1
26位
畑中真吾
1
26位
目桑宏次郎
1
26位
山中真生
1
出場選手・チーム
2024年の出場選手・チーム(第9・10戦エントリー時点)[ 44]
No.
ドライバー
チーム
マシン
モデル
タイヤメーカー
2
田中省巳
SEIMI STYLE SHIBATIRE DRIFT
SHIBATIRE TOPTUL D-MAX SILVIA S15
S15
シバタイヤ
3
野村圭市 [ 45]
URAS RACING
DUNLOP CUSCO SKYLINE
ER34
ダンロップ
6
内海彰乃
BLUE FACE
BLUE FACE S15
S15
バリノ
7
松井有紀夫
TEAM RE雨宮 マツモトキヨシ シバタイヤ
RE雨宮 マツモトキヨシ シバタイヤ RX-7
FD3S
シバタイヤ
9
山本航
FORGED crew × 佐藤牧場
SILVIA GR SUPRA
S15 (Rd.1-8) A90 (Rd.9-10)
シバタイヤ
10
三好隼人
Team MJ style valino
MJスタイル VALINO GR86
ZN8
バリノ
11
久保川澄花
HI-CHEW International
ハイチュウ号 180SX
RPS13
シバタイヤ
12
Mike Whiddett(Mad Mike)
TOYO TIRES × RedBull TCP MAGIC
TOYO TIRES × RedBull FURSTY RX-3
S102W
トーヨー
15
植尾勝浩
VAZESTRA
VAZESTRA VALINO S15
S15
バリノ
16
山口孝二
TOP Team G-meister
G-MEISTER VALINO E92
E92
バリノ
18
日比野哲也
SHIBATA RACING TEAM
MOTUL GR86 SHIBATIRE 18
ZN8
シバタイヤ
21
Tengku Dian Ley
FAT FIVE RACING
GR86
ZN8
トーヨー
23
村上満
Repair Create × Result Japan
Repair Create × Result Japan GR86
ZN8
シバタイヤ
24
平山敦
TEAM SASARIN
SASARIN TOYOTA FT86
ZN6
バリノ
27
茂木武士
27WORKS
スピードマスター オリジンラボ シルビア
S15
シバタイヤ
29
Ziko Harnadi
Garasi Drift × GP SPORTS
GP SPORTS 86
ZN6
ビツァー
30
中田哲郎
TEAM TNR LOVCA
GARAGE TNR MARKⅡ
JZX100
ゼクノバ
31
蕎麦切広大
SHIBATA RACING TEAM
MOTUL GR86 SHIBATIRE
ZN8
シバタイヤ
33
石川隼也
広島トヨタ team DROO-P
HT・DUNLOP・86
ZN8
ダンロップ
38
斎藤久史
TEAM miyaseimitsu
RX15 Four
S15
バリノ
43
田所義文
レーシングサービス ワタナベ
USED AUTO PARTS TADOKORO VE86
AE86
ハビリード
47
米内寿人
GP SPORTS × GreenTop
GreenTop 酒の中村 AES VALINO 180SX
RPS13
バリノ
51
岩井照宜
レーシングサービス ワタナベ
Projectμ HID信玄 RIZEWORKS 7
FC3S
アンタレス
55
松川和也
広島トヨタ team DROO-P
HT・DUNLOP・85
AE85
ダンロップ
56
森孝弘
GP SPORTS × GreenTop
GP SPORTS 180SX
RPS13
バリノ
57
陣野寿幸
トヨプラス Racing Team
キウイシルビア Ver.2
S15
バリノ
63
Konpichit Toyingcharoen
NEXZTER DRIVE TO DRIFT
DRIVE TO DRIFT 180SX
RPS13
シバタイヤ
66
藤野秀之
TEAM TOYO TIRES DRIFT
TEAM TOYO TIRES DRIFT GR86 #66
ZN8
トーヨー
70
横井昌志
TEAM D-MAX RACING
D-MAX S15 SILVIA 2JZ 4号機
S15
トーヨー
75
畑中夢斗
DRIFT STAR Racing
BALD EAGLE JZX100
JZX100
バリノ
76
下田輝明
GARAGE わいず
GARAGE わいず しもちん S13
PS13
ハビリード
77
松山北斗
TEAM TOYO TIRES DRIFT 2
TOYO TIRES DRIFT GR COROLLA
GZEA14H
トーヨー
78
上野高広
TEAM VERTEX NEXZTER D2D
VERTEX elf LEXUS RC
GSC10
シバタイヤ
79
目桑宏次郎
TOP Team G-meister
G-MEISTER TOP Reality VALINO E92
E92
バリノ
80
田野結希
TEAM D-MAX RACING
D-MAX S15 SILVIA 2JZ 3号機
S15
トーヨー
84
波紫聖和
TEAM RDS
ER34 SKYLINE
ER34
シバタイヤ
86
笹山栄久
Team FRONTIER NEXT
VALINO FRONTIER GR86
ZN8
バリノ
87
齋藤太吾
FAT FIVE RACING
GR SUPRA
A90
シバタイヤ
88
川畑真人
TEAM TOYO TIRES DRIFT
TEAM TOYO TIRES DRIFT GR86 #88
ZN8
トーヨー
89
Lattapon Keawchin
NEXZTER DRIVE TO DRIFT
DRIVE TO DRIFT GR86(Rd.1-4) DRIVE TO DRIFT F22(Rd.5-10)
ZN8 F22
シバタイヤ
90
山中真生
ウエインズトヨタ神奈川 × 俺だっ!レーシング
ウエインズトヨタ神奈川スープラ
A90
ヨコハマ
93
加納広貴
平野タイヤ ★ ハードコア ★ ロケットバニーレーシング
CRS埼玉 HARDCORE ロケットバニーレーシング S15
S15
ダンロップ
95
Daychapon Toyingcharoen
TEAM VERTEX NEXZTER D2D
DRIVE TO DRIFT S15 SILVIA(Rd1-4) DRIVE TO DRIFT GR86(Rd.5-10)
S15 ZN8
シバタイヤ
98
ヴィトー博貴
DRIFT STAR Racing
BALD EAGLE S13
PS13
バリノ
99
中村直樹
TEAM VALINO × N-STYLE
V8 VALINO N-STYLE SILVIA
PS13
バリノ
その他
フォーミュラレース やツーリングカーレース などのトップカテゴリーとは異なり、選手の大多数がレーシングドライバー 専業ではなく、自営業(チューニングショップ経営など)や会社員として働きながらシリーズに参戦している[ 注 18] 。SUPER GT などで活躍するプロレーシングドライバーの織戸学 [ 注 19] や谷口信輝 [ 注 20] 、片岡龍也 が参戦したこともある。
2009年の第3・4戦(岡山国際サーキット)で、同じサーキットで2連戦を行う「デュアルファイナル 」が初めて実施された。近年はデュアルファイナルが増加傾向にあり、2021年、2023年は全ラウンドがデュアルファイナルとなっている。
その第3戦岡山では、斎藤太吾と日比野哲也が同時優勝 するという珍事が発生した。追走トーナメントの決勝1本目の後、斎藤がマシントラブルによりリタイア届を提出したが、その後処置を施し2本目を走行、結果として斎藤が勝利した。しかし、表彰式後にリタイア届撤回が確認されていないことが判明し、レギュレーション上の不備として抗議があったため決勝の判定を無効としたことによるものである。なお、日比野はこれが初優勝となった[ 46] 。
2011年の第1戦オートポリスでは、大雨と霧の影響で追走トーナメントベスト16の途中で中断・大会終了となり、単走の順位をもって総合ランキングとされた[ 47] 。同様のことは2014年の第1戦でも発生し[ 48] 、松川和也が初優勝を果たした。
フロントウインドウに装着するハチマキの色は、2003年が白赤 (文字は「D1 GRAND PRIX」) 、2004年〜2008年が橙 (D1 GRAND PRIX) 、2009年〜2015年が橙 (D1 GRAND PRIX ) /黒 (Gran Turismo) 、2016年〜2021年が白 (Gran Turismo) /黒 (D1 GRAND PRIX)[ 注 21] 。2022年シーズンからは新たに灰 (professional drift series) /ピンク (D1 GRAND PRIX/Gran Turismo) となった。2023年シーズンは橙、黒のカラーに戻ったが、Gran TurismoとD1 GRAND PRIXの文字が反転している。
海外進出
放送
地上波や衛星放送 でのテレビ中継は行われていない。競技の映像は長年にわたりビデオオプション(VHS 、DVD )に収録されていたが、ビデオオプションのYouTube への移行に伴い、2018年 シリーズからはD1GP公式YouTube チャンネル(D1GP MOVIE CHANNEL )が大会のライブ配信を行うようになった。その後2023年 には、D1GP公式チャンネルに代わりビデオオプションの公式チャンネル(VIDEO OPTION )が配信を担当することとなった[ 49] 。
かつては、BSフジで「D1KING!」という名のテレビ番組が放送されていた。主な出演者は、ぼれろ 、衣知川りんなどが挙げられる。
実況はシリーズ設立当初より鈴木学が務める(一時期MCの辻直樹が単走の一部などを担当していたことはあった)。解説も主に鈴木が担当するが、野村謙や『ドリフト天国 』編集長の川崎隆介などが解説席に座ることもある。過去の追走トーナメントでは、前日の単走で敗退した選手が解説を務めたこともあった。2023年からは、会場の実況は変わらず鈴木が担当し、YouTubeによる生配信では実況を辻、解説を谷口信輝 (第5・6戦では熊久保信重)が務める体制になった[ 49] 。2024年の解説は熊久保信重が務めていた。
上述の日本語による実況に加え、Alexi Smithによる英語実況も同チャンネルにて生配信されている。
イメージガール
「D Sign」(2007年 - 2012年)
初代イメージガールユニット。2007年以前にもイメージガールが存在したが、この年以降この“D Sign ”(ディー・サイン)という名称が定着していった。
歴代メンバー
「D-Loveits」(2017年- )
新生イメージガールユニットが発足。読みは(ディー・ラビッツ)。テレビや雑誌広告、ニコニコ生放送 配信などメディア露出を中心にプロモーションしている。タレント、現役レースクイーン 、元レースクイーン、新人等バラエティ豊かなメンバーで構成されている。
歴代メンバー
脚注
注釈
^ いずれも自動車雑誌が主催。STCCはヤングバージョン誌、ドリコンGPはCARBOY誌、いか天はOPTION誌
^ D1グランプリにおいては、大手チューニングパーツメーカーなどの直系チームを「ワークス」と呼称することが多い
^ 熊久保信重 が2005年に投入。2006年、4ドアの車両を駆る選手として初のチャンピオンに輝いた
^ ヴァリノも本社は日本国内であるが、タイヤの生産国は中国である
^ 太文字は2023年シーズンのオフィシャルスポンサーとなっているタイヤメーカー。それ以外はオフィシャルスポンサーではないが使用可能なメーカー。
^ 情報は2024年D1GPシリーズ登録申請タイヤ一覧[1] を参照。2024年4月24日時点での情報を記述する。
^ R31ハウスこと柴田自動車株式会社のオリジナルタイヤ。生産自体は中国のレイダンタイヤで行われているため一部サイズ・銘柄はシバタイヤのロゴを使用しているがレイダンとトレッドパターンが同じである。
^ 2011年はオフィシャルスポンサーから離脱していたが、ヨコハマタイヤを使用する選手は存在した
^ 斎藤太吾が2017年より導入したC6型コルベットが履いていたワンリSR390 315/35ZR20がこれに該当する。
^ ただし、決勝まで進出した場合は決勝タイヤとしてもう1セット使用できる。
^ 実際にパイプフレームを採用した事例として、HKSが製作した2005年のHKSハイパーゲンキレーシングIS220-R と2017年のHKS Racing Performance 86 RS-3 がある。前車は2000年に作成した筑波TA用アルテッツァの応用によりABCピラーとライト以外完全パイプフレーム化を決行。後者の場合はレギュレーションという制約から外れた究極のドリ車を作るというHKSのデモカー企画で作成されたため、シーズン導入は行われなかった。以降はエキシビジョンラウンドやD1関連イベント等大会レギュレーションの制約がない場所でD1ゼッケン・ハチマキ・フロントバナーを付けてD1マシンとして走行している。いずれの場合もゼッケンはNo.87で固定されている。
^ 実際レギュレーションの範囲内であればなんでもありという解釈が広まり、加工の有無が定められていない箇所をパイプフレーム化する者もいた。これに限ったことではないが、特にボディワークについては選手・チーム側と運営側にて解釈違いの衝突も多く、一例として2016年、斎藤太吾が第1・2戦で使用していたトヨタ・マークII が第3戦以降シーズン参戦できなくなるという事態が発生した。
^ 2本目はキャンセルすることが可能。追走に向けてタイヤを温存したい場合などにキャンセルされることが多い。
^ 現行車両が登場しない状況を鑑み、「現行販売車種に限り、予選を免除する」というレギュレーションが2008年から数年間存在した
^ かつては3本走行可能であった
^ 山路審判員が参加せず、3名の大会も存在する。
^ 追走以降は神本審判員が副審査員となり、直接的には採点に関わらない大会も存在する。
^ 例えば、斎藤太吾 はカーショップのFAT FIVE RACINGを経営している。また、末永正雄 は南日本新聞 に勤務している。
^ シリーズ創設当初から審査員としてD1グランプリに携わっており、自動車雑誌「CARBOY」主催のドリフトコンテストでチャンピオンになった経験もある
^ 峠の走り屋 出身であることからドリフトに造詣が深く、過去にドリコンのいかす走り屋チーム天国で全国大会3位の成績を収めたこともある
^ 2019年〜2021年は白の面積が圧倒的に多く、写真等で一見すると白一色にしか見えない。
出典
関連項目
外部リンク