2012年の相撲(2012ねんのすもう)では、2012年(平成24年)の相撲関連の出来事についてまとめる。
2011年-2012年-2013年
できごと
1月
- 7日 - 【大相撲】両国国技館内に掲げられている優勝額が交換され、2006年1月場所で優勝した栃東の額が外されたことにより、日本人力士の優勝額が消滅した[1]。
- 20日 - 【大相撲】1月場所13日目のこの日に、大関把瑠都の初めての幕内最高優勝が決定した[2]。
- 22日 - 【大相撲】元関脇・栃乃洋が現役を引退し、年寄「竹縄」を襲名した。これに伴い、竹縄親方(元幕内・燁司)が退職した。[3]
- 27日 - 【大相撲】日本相撲協会の放駒理事長(元大関・魁傑)が退任の記者会見を行った。放駒理事長は次期理事選には任期中に停年退職を迎えてしまうため立候補することができず、歴代最短の約1年半で理事長を退任することになった。[4]
- 31日 - 【大相撲】日本相撲協会の役員改選が行われ、新しい理事10人と副理事3人が選出された。理事会も行われて理事長の互選が行われて、北の湖親方(元横綱)の4年ぶりの理事長復帰が決まった[5]。
2月
3月
- 18日
- 【大相撲】日本相撲協会は、2010年5月に暴力団観戦問題で出羽海一門預かり扱いとなり、力士らが北の湖部屋に転属していた木瀬部屋が、4月1日付で再興することを承認した[10]。
- 【大相撲】日本相撲協会は、5月場所前の新弟子検査から体格基準を緩和することを決定した。これに伴い、第2新弟子検査は廃止された。[11]
- 25日 - 【大相撲】3月場所はこの日に千秋楽を迎え、幕内は横綱白鵬が2場所ぶり22度目の優勝を飾った[12]。
- 28日
- 【大相撲】日本相撲協会が5月場所の番付編成会議と理事会を開き、関脇鶴竜の大関昇進を決定した。これにより、大関は史上最多の6人となった。[13]
- 【大相撲】日本相撲協会は、大島親方(元大関・旭國)の停年退職に伴い4月24日付で大島部屋が閉鎖され、所属力士は友綱部屋へ移籍すると発表した[14]。
4月
5月
- 2日 - 【大相撲】日本相撲協会が、2011年の大相撲八百長問題で委員から主任への降格処分を受けていた8人の親方[注 1]について、4月1日付で委員へ復帰することを承認した[19]。
- 14日 - 【大相撲】立浪一門が、立浪親方(元小結・旭豊)の一門からの離脱と、一門名の「春日山・伊勢ヶ濱連合」への改称を決定した[20]。
- 20日 - 【大相撲】5月場所はこの日に千秋楽を迎えて、幕内では史上初めてとなる平幕同士の優勝決定戦を制した旭天鵬が初優勝した。37歳8か月での初優勝は史上最高齢。[21]
6月
7月
- 22日 - 【大相撲】7月場所はこの日に千秋楽を迎え、幕内では大関日馬富士が横綱白鵬との14戦全勝同士の対決を制して6場所ぶり3度目の優勝を飾った。千秋楽に全勝同士で対決するのは1983年9月場所の横綱隆の里対横綱千代の富士以来29年ぶりで、横綱対大関の全勝決戦は史上初だった。[23]
8月
9月
- 20日 - 【大相撲】週刊誌に協会経費での不倫疑惑を報じられた雷親方(元幕内・春日富士)が、「一身上の都合」を理由に日本相撲協会を退職した[25]。
- 23日 - 【大相撲】9月場所はこの日に千秋楽を迎え、幕内では大関日馬富士が2場所連続の全勝優勝を果たした[26]。
- 26日 - 【大相撲】日本相撲協会が11月場所の番付編成会議と理事会を開き、大関日馬富士の第70代横綱への昇進を決定した[27]。
- 27日 - 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、三役格行司の10代木村庄三郎が10月29日付で39代式守伊之助を襲名することを承認した[28]。
10月
- 18日 - 【大相撲】押尾川親方(元小結・垣添)が年寄「雷」に名跡変更した[29]。
11月
- 13日 - 【大相撲】角番大関の把瑠都が、11月場所を3日目から途中休場することになった[30]。再出場することもできず2場所連続の負け越しとなったため、把瑠都は大関から陥落することになった。
- 19日
- 【大相撲】日本相撲協会が理事会を開き、中村親方(元関脇・富士櫻)の停年退職に伴って中村部屋を12月19日付で閉鎖し、所属力士は東関部屋へ転籍することを承認した[31]。
- 【大相撲】春日山・伊勢ヶ濱連合が、先代雷親方(元幕内・春日富士)の退職を受けて、一門名を「伊勢ヶ濱一門」に改称した[32]。
- 24日 - 【大相撲】11月場所14日目のこの日に、横綱白鵬の4場所ぶり23回目の幕内最高優勝が決定した。白鵬の優勝回数は貴乃花の22回を抜いて史上単独5位になった。[33]
12月
大相撲
本場所
一月場所(初場所)
両国国技館(東京都)を会場に、初日の2012年(平成24年)1月8日から千秋楽の1月22日までの15日間開催された。番付発表は2011年(平成23年)12月21日。
三月場所(春場所、大阪場所)
大阪府立体育会館(大阪市)を会場に、初日の2012年3月11日から千秋楽の3月25日までの15日間開催された。番付発表は2月27日。
五月場所(夏場所)
両国国技館(東京都)を会場に、初日の2012年5月6日から千秋楽の5月20日までの15日間開催された。番付発表は4月23日。
七月場所(名古屋場所)
愛知県体育館(名古屋市)を会場に、初日の2012年7月8日から千秋楽の7月22日までの15日間開催された。番付発表は6月25日。
九月場所(秋場所)
両国国技館(東京都)を会場に、初日の2012年9月9日から千秋楽の9月23日までの15日間開催された。番付発表は8月27日。
タイトル |
人物(所属部屋 出身地) - 成績
|
幕内最高優勝 |
日馬富士公平(伊勢ヶ濱部屋 モンゴル・ゴビアルタイ出身) - 15戦全勝(2場所連続4回目)
|
三賞 |
殊勲賞 |
栃煌山雄一郎(春日野部屋 高知県安芸市出身) - 9勝6敗(初受賞)
|
敢闘賞 |
該当者なし
|
技能賞 |
妙義龍泰成(境川部屋 兵庫県高砂市出身) - 10勝5敗(3場所連続4回目)
|
十両優勝 |
常幸龍貴之(木瀬部屋 東京都北区出身) - 11勝4敗 ※優勝決定戦勝利
|
幕下優勝 |
竜電剛至(高田川部屋 山梨県甲府市出身) - 7戦全勝
|
三段目優勝 |
鋼一幸(井筒部屋 愛知県刈谷市出身) - 7戦全勝
|
序二段優勝 |
岩﨑拓也(木瀬部屋 東京都江戸川区出身) - 7戦全勝 ※優勝決定戦勝利
|
序ノ口優勝 |
蒼天龍政孝(錣山部屋 愛知県豊橋市出身) - 7戦全勝
|
十一月場所(九州場所)
福岡国際センター(福岡市)を会場に、初日の2012年11月11日から千秋楽の11月25日までの15日間開催された。番付発表は10月29日。
トーナメント大会
新弟子検査合格者
- 四股名が太字の者は現役力士。最高位は引退力士のみ記載。
- 年間の総入門者56人は、年6場所制が定着した1958年(昭和33年)以降で最少[41]。
引退
場所 |
人数 |
主な引退力士 |
最高位 |
初土俵 |
備考
|
1月場所 |
8人[42] |
栃乃洋泰一 |
関脇 |
1996年1月場所(幕下最下位格付出) |
年寄「竹縄」襲名
|
3月場所 |
9人[43] |
濵錦竜郎 |
前頭11枚目 |
1999年3月場所(幕下最下位格付出) |
年寄「春日山」襲名
|
5月場所 |
10人[44] |
垣添徹 |
小結 |
2001年9月場所(幕下15枚目格付出) |
年寄「押尾川」襲名
|
剣武輝希 |
前頭16枚目 |
2001年3月場所 |
|
仲の国将 |
十両12枚目 |
2002年7月場所 |
|
7月場所 |
6人[45] |
琉鵬正吉 |
前頭16枚目 |
1993年3月場所 |
|
千代桜右京 |
十両11枚目 |
2010年3月場所 |
|
9月場所 |
18人[46] |
黒海太 |
小結 |
2001年5月場所 |
|
栃不動周二 |
十両12枚目 |
1993年3月場所 |
|
11月場所 |
12人[47] |
|
引退相撲興行
断髪式
その他の出来事
- 日本相撲協会理事選挙および理事長選出
- 日本相撲協会外部役員退任と就任
- 大関昇進
- 横綱昇進
- 本場所での出来事
- 11月19日 - 大相撲11月場所9日目、前頭5枚目の碧山亘右(春日野部屋)ら、幕内・十両力士4人がこの日より休場。大相撲興行が15日制となった1949年夏場所以後、関取以上の力士が同時休場した数として最多となった[60]。
死去
作品
- 1月28日 - NHK富山発スペシャルドラマ『港町相撲ボーイズ』放送。※高岡市伏木地区の中年男性が競い合う恒例行事「伏木場所大相撲」がモデル。
脚注
注釈
- ^ 間垣親方(元横綱・2代若乃花)、桐山親方(元小結・黒瀬川)、荒汐親方(元小結・大豊)、伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)、花籠親方(元関脇・太寿山)、入間川親方(元関脇・栃司)、立浪親方(元小結・旭豊)、春日野親方(元関脇・栃乃和歌)。このうち荒汐親方は、2013年4月3日付で降格処分自体が取り消された。
- ^ 番付上は2018年3月場所
出典
外部リンク