玉飛鳥 大輔(たまあすか だいすけ、1983年1月26日 - )は、愛知県名古屋市熱田区出身で片男波部屋に所属していた元大相撲力士。本名は高橋 大輔(たかはし だいすけ)[1]、愛称はダイスケ。身長185cm、体重154kg、血液型はO型。得意手は押し・左四つ・寄り。趣味は映画鑑賞。兄は元序二段の高力(出羽海部屋所属、在位1989年3月場所 - 1996年9月場所)。最高位は西前頭9枚目(2005年9月場所)。好物は肉類。嫌いなものは生魚[2]。
玉飛鳥の四股名は、「飛ぶ鳥を落とす勢い」の意味と日本古来を連想させる飛鳥時代に因んで父(入門直前に死去)が命名した。2016年9月場所限りで引退し、年寄・15代荒磯を襲名した。現在は年寄・17代熊ヶ谷。
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父に勧められて小学校時代からわんぱく相撲に参加し、名古屋市立日比野中学校3年時の1997年(平成9年)には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱に輝いた。その後高校へ進学する可能性もあったが、「君は同学年の中で1番強いんだから、大卒まで待つなんてもったいない。」と片男波親方に評価された上に相撲評論家の小坂秀二に「角界入りするなら高卒より中卒の方がいい」と促されたことが決め手となり中卒で片男波部屋に入門した。1998年(平成10年)3月場所で初土俵を踏み、入門2年目の2000年(平成12年)7月場所では早くも幕下に昇進した。幕下4枚目で迎えた2004年(平成16年)9月場所は7戦全勝で優勝を飾り、翌11月場所に十両昇進を果たした。
新十両の場所であった2004年11月場所には、初日から白星と黒星を繰り返し、俗に言うヌケヌケを達成した(8勝7敗で千秋楽に勝ち越し)。
2005年(平成17年)7月場所には新入幕を果たした。中学生横綱獲得者で中卒即入門した力士としては唯一の幕内力士である。幕内3場所目の2005年11月場所では足を骨折し途中休場。この怪我は深刻だったようで、それ以前には糖尿病に罹っても挫けなかった玉飛鳥も引退を考えるほど思い詰めていたという[2]。それでも師匠から「力士は一度引退したら二度と復帰できない」と説得されて引退は思いとどまった。
翌2006年(平成18年)1月場所は西十両9枚目まで番付を大きく下げ、そこでも3日目から途中休場し、翌3月場所は幕下陥落が決定したが、そこから盛り返し、11月場所に十両に復帰した。
しかし1場所で幕下に陥落し、幕下上位から再起を図ったが足首の故障に糖尿病も重なり2007年(平成19年)9月場所は最後の相撲で不戦敗。以降も負け越しが続いて2008年(平成20年)3月場所では西幕下31枚目まで番付を下げたが、6勝1敗の好成績を挙げ復調の気配を見せた。そして西幕下12枚目まで番付を戻した翌5月場所では7戦全勝で2度目の幕下優勝を果たし、地元名古屋場所で10場所ぶりの関取復帰を果たした。しかし、その場所は大きく負け越し、9月場所は3回目の幕下への陥落となった。
その後しばらく十両と幕下との間の往復を繰り返したが、2009年(平成21年)5月場所では西十両13枚目で12勝3敗の好成績をあげ十両優勝した。西十両筆頭へと大きく番付を上げた7月場所でも11勝4敗で勝ち越し、9月場所では23場所ぶりに幕内に復帰した。以降、十両と幕内の行き来を数回繰り返している。2012年5月場所で2度目の十両優勝を果たし、翌7月場所は地元名古屋場所での再入幕を果たしたが、その場所では2勝13敗と大きく負け越し、翌9月場所では十両へ陥落した。その場所と翌11月場所で勝ち越し、翌2013年1月場所で再入幕(西前頭16枚目)。その場所では4勝11敗と負け越し、翌3月場所では十両へ再び陥落した。その場所と翌5月場所で勝ち越し、翌7月場所で再入幕を果たしたものの、6勝9敗と負け越した。
2015年11月場所では、西十両14枚目の番付で5勝10敗と負け越してしまい、翌2016年1月場所で幕下に陥落してしまった。この頃から現役引退を考えるようになり[3]この場所は勝ち越すも、1場所での関取復帰は果たせなかった。5月場所で十両に復帰するも1場所で再び幕下へ転落。片男波などから「まだやれる」と言われていたが[3]、幕下生活も長くなり同年9月場所限りでの現役引退を決断した[4]。引退後については9月29日の理事会で年寄荒磯の襲名が承認され、片男波部屋付きとして後進の指導に当たることとなった[5]。引退に際して「父は横綱になってくれと言っていた。父からみればまだまだと言われるかもしれませんが、ここまでやれてよかった」と振り返り、再十両、再入幕をそれぞれ7回経験したことに関しては「毎回、(新十両昇進時と)同じくらいうれしかった。辛かったことの方が多かったけど、うれしさの方が大きかった」と語った[6]。番付編成会議後に引退を表明したため、11月場所の番付には西幕下6枚目に力士として四股名が残った。場所後の同月30日、日本相撲協会より正式に引退力士として発表された。引退直後の2017年2月11日に3人目の子供となる三男が誕生。この時点で長男は6歳、次男は2歳であった[7]。2018年4月20日には、先代の懲戒解雇以降空き名跡となっていた年寄熊ヶ谷に名跡変更した[8]。引退当初に襲名した荒磯は稀勢の里から借りて襲名(一時的襲名)していたが、熊ヶ谷の名跡は正式に取得したと見られる[9]。
2022年11月場所中の報道によると、部屋の所属力士が4人しかいないことを鑑みて、玉鷲にぶつかり稽古で胸を出すなど稽古相手を務めているという[10]。
片男波
熊ヶ谷
耕平
床真
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