1954年の映画(1954ねんのえいが)では、1954年(昭和29年)の映画分野の動向についてまとめる。
1953年の映画 - 1954年の映画 - 1955年の映画
出来事
世界
日本
- 1月
- 東京喜劇人協会発足。
- 1月1日 - 50銭以下の小銭廃止。
- 1月3日 - 東映、2本立製作配給第2弾『多羅尾伴内シリーズ 曲馬団の魔王』 / 『旗本退屈男 どくろ屋敷』封切り、ヒット。
- 1月21日 - 東映娯楽版第1弾『真田十勇士 忍術猿飛佐助』ほか封切り、成功。
- 2月
- 2月1日
- 2月6日 - ブラジル国際映画祭に出席のため、越路吹雪、新珠三千代らが出発。
- 2月22日 - テレビ受信契約数が1万を突破。
- 2月23日 - 大蔵省、外画輸入委員会新設。
- 3月
- 4月
- 5月
- 6月
- 7月
- 8月
- 9月
- 10月
- 東映、16ミリ児童映画の定期的な製作を決定[26]。
- 10月10日 - 『東宝二十年史抄』発行。
- 11月
- 12月
- 映画館数 6,456館。
- 東映、年間劇映画製作本数103本は世界一の記録[17]。
- 12月13日 - 東京・上野東宝劇場、上野宝塚劇場オープン。
- 12月17日 - ビスタビジョン第1作『ホワイトクリスマス』が東京劇場で公開。
- 12月22日 - 大阪・南街劇場オープン。
- 12月27日
日本の映画興行
1954年配給会社別年間配給収入
配給会社
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年間配給収入
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前年対比
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しようちく松竹
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46億7899万円
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127.3%
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とうほう東宝
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30億9754万円
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131.4%
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たいえい大映
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39億0156万円
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128.8%
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しんとうほう新東宝
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21億7137万円
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098.8%
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とうえい東映
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37億2090万円
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141.0%
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につかつ日活
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04億2562万円
|
N/A
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※日活は7月から12月までの半年の実績
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- 出典: 井上雅雄「映画産業の戦後「黄金期」の実態(下) : ポスト占領期の映画産業と大映の企業経営・補論」『立教經濟學研究』第71巻第2号、立教大学経済学研究会、2017年10月、102頁、doi:10.14992/00015468。
各国ランキング
日本配給収入ランキング
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、112頁。ISBN 978-4873767550。
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、113頁。ISBN 978-4873767550。
日本公開作品
受賞
生誕
死去
脚注
注釈
- ^ 『東宝五十年史』では「第3位」が「銀熊賞」となっている。
- ^ 『東宝五十年史』には『七人の侍』の銀獅子賞受賞のみが記述されている。
- ^ 〔引用者註〕『東宝五十年史』では「5月26日」(公開1か月後)となっているが、映画公開日の「4月26日」に変更した[15]。
- ^ 〔引用者註〕『東宝五十年史』は「10月3日」になっているが、公式サイトや映画DBの「11月3日公開」を採用した[28][29]。
- ^ 〔引用者註〕『東宝五十年史』では「11月26日」となっていたが、『東宝75年のあゆみ』では「11月30日」となっている。『東宝五十年史』の誤植を『東宝75年のあゆみ』で訂正したと考え、「11月30日」を採用した。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』では、『紅孔雀』の配給収入は2億4182万円となっている[31]。
- ^ 『戦後値段史年表』によれば、100円となっている[33]。
出典
参考文献
外部リンク
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1880年代 | |
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1900年代 | |
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10年代 | |
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20年代 | |
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30年代 | |
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40年代 | |
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50年代 | |
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60年代 | |
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70年代 | |
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80年代 | |
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2000年代 | |
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