『生きる 』(いきる)は、1952年 に公開された日本映画 である。監督 は黒澤明 、主演は志村喬 。モノクロ 、スタンダード 、143分。東宝 創立20周年記念映画。無為に日々を過ごしていた市役所の課長 が、胃癌 で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を求め、市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。
黒澤作品の中でもそのヒューマニズム が頂点に達したと評価される作品で、題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義 を批判した。劇中で志村演じる主人公が『ゴンドラの唄 』を口ずさみながらブランコ をこぐシーンが有名である。国内ではヒットし、第26回キネマ旬報ベスト・テン で1位に選ばれた。海外でも黒澤の代表作の一つとして高く評価されており、第4回ベルリン国際映画祭 でベルリン市政府特別賞[注釈 1] を受賞した[注釈 2] 。
ストーリー
志村喬
市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。
ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師からは軽い胃潰瘍 だと告げられるが、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、貯金から5万円をおろして夜の街へ出かける。飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコ やダンスホール 、キャバレー 、ストリップ ショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩 も虚しさだけが残り、帰宅すると事情を知らない家族から白い目で見られる。
その翌日、渡辺は市役所を辞めるつもりの部下の小田切とよと偶然に行き合う。市役所を無断欠勤し、とよと何度か食事をともにするようになる。渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。とよは玩具 会社の工場内作業員に転職した。自分が胃癌であることを伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と勧めた。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだ出来ることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。
それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜 の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者 からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取った。市の助役ら幹部が渡辺の功績を低く貶める話をしている中、新公園の周辺に住む住民が焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった幹部たちが退出すると、同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績を讃え、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺を讃えていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の造った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。
キャスト
クレジット順。一部の役名表記は国立映画アーカイブ [3] および龍谷大学 古典籍デジタルアーカイブ研究センター「黒澤明デジタルアーカイブ」に所蔵の台本[4] によった。
※以下ノンクレジット出演者
スタッフ
製作
脚本を担当した橋本忍
脚本を担当した小國英雄
撮影現場
脚本は黒澤明 、橋本忍 、小國英雄 の共同執筆である。物語の骨子は黒澤が決めたが、黒澤は小國に死を宣告された人間がどのように生きるかを、トルストイ の小説『イワン・イリッチの死』を元にして描きたいと話したという。黒澤は橋本に「後、75日しか生きられない男」というテーマを提示し、橋本が先行して第1稿を書き上げた。1952年 1月初旬、黒澤と橋本は箱根 仙石原 の旅館「仙郷楼」で決定稿の執筆作業を開始し、小國は4日目に遅れて合流した。脚本執筆は黒澤と橋本が同じシーンを書き、それを小國が取捨選択するという方法で進められた[10] 。当初のタイトルは『渡辺勘治の生涯』だったが、黒澤の提案で『生きる』に変更した。2月5日に脚本は完成した[12] 。
3月14日に撮影開始した[13] 。6月2日にお盆 用映画にスタジオを明け渡し、6月16日まで撮影を一時中止にした[13] 。9月中旬に撮影終了した[13] 。主なロケ地 は東京都内で、野球場が新宿 の東京生命球場、プラットホームが両国駅 、アイススケート場が後楽園 、遊園地が豊島園 である[13] 。歓楽街は東宝スタジオ にある銀座街のオープンセットを利用して撮影された。キャバレー のシーンでは、スタジオ内に新橋 のキャバレー「ショウボート 」を参考にしたセットを作り、本物のホステス250人を自前の衣装で出演させた。
主演の志村喬 は、撮影に入る前に盲腸 の手術をして痩せていたが、黒澤に役柄としてそれくらい痩せていた方がよいから太らないように求められたため、志村はサウナ に行って減量したという[17] [18] 。志村が『ゴンドラの唄 』を歌うシーンでは、黒澤から「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と注文され、早坂文雄 のピアノでレッスンを重ねた。
公開
1952年 10月9日に日本国内で劇場公開された[12] 。1954年 6月には第4回ベルリン国際映画祭 のコンペティション部門で上映された[21] 。米国 では、1956年 5月にカリフォルニア州 の劇場で『Doomed 』というタイトルで短期間上映されたあと、1960年 2月に初めて正式上映された[23] 。配給会社のブランドン・フィルムズが「日本映画シーズン」企画の一環として公開したが、宣伝ポスターには志村ではなく、劇中に登場するストリッパー のラサ・サヤが描かれ、「今行こう! あとで後悔しないために!」という惹句を付ける悪趣味な方法で宣伝された。
評価
映画批評集積サイトのRotten Tomatoes には42件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は8.79/10となっている[24] 。 米国の『ロサンゼルス・タイムズ 』紙は「『生きる』は、生と死と、最後にその両方に意味を持たせようとする必死の努力を、深く追求した感動的な物語だ」と評した。米誌『タイム 』は「黒澤は厳しい現実を、優れた人間性を、人として生きることの崇高さを、明らかにしている」と評し、2005年 発表の「史上最高の映画100本」に選出した[26] 。米国の映画批評家ロジャー・イーバート は本作に最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている[27] 。
受賞とノミネートの一覧
ランキング入り
年
媒体・団体
部門
順位
出典
1959年
キネマ旬報
日本映画60年を代表する最高作品ベスト・テン
7位
[33]
1979年
日本映画史上ベスト・テン
2位
1989年
日本映画史上ベスト・テン
3位
1995年
日本映画オールタイム・ベストテン
8位
世界映画オールタイム・ベストテン
34位
1999年
オールタイム・ベスト100 日本映画編
11位
2009年
オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇
13位
[35]
1962年
英国映画協会 Sight&Sound
批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン
20位
[36]
1972年
批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン
12位
[37]
1982年
批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン
21位
1992年
批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン
43位
1989年
文藝春秋
大アンケートによる日本映画ベスト150
3位
2010年
エンパイア
史上最高の外国語映画100本
44位
[38]
2018年
BBC
史上最高の外国語映画ベスト100
72位
[39]
N/A
TSPDT
最高の映画1000本
112位
[40]
N/A
IMDb
IMDbユーザーが選ぶ最高の映画ベスト250
110位
[41]
備考
リメイク
テレビドラマ
映画
このほかハリウッド では、ドリームワークス がリメイク権を獲得しており、2000年代前半に監督ジム・シェリダン 、主演トム・ハンクス などのキャストでリメイクが行われると何度か報道されたことがあったが[45] [46] [47] 、その後の続報はない。
ミュージカル
ミュージカル 『生きる』は、黒澤明没後20年記念作品として2018年 10月8日から10月28日までTBS赤坂ACTシアター で上演された。主催はホリプロ 、TBS 、東宝 、WOWOW [48] 。主演は市村正親 と鹿賀丈史 のダブルキャスト[49] 、
2019年には市村・鹿賀両バージョンがWOWOW で有料放送され、音声を収録したライブ盤CDが発売された。
2020年には再演が決定。日生劇場 での公演に加え、全国4都市での地方公演も行われる[50] 。
東京公演 10月9日 - 10月28日 日生劇場
主催:ホリプロ / TBS / 東宝 / WOWOW
富山公演 11月2日 - 11月3日 オーバード・ホール
兵庫公演 11月13日 - 11月14日 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
福岡公演 11月21日 - 11月22日 久留米シティプラザ ザ・グランドホール
名古屋公演 11月28日 - 11月30日 御園座
2023年に3度目の上演が決定。東京と大阪で公演された[51] 。
東京公演 9月7日 - 24日 新国立劇場 中劇場
主催:ミュージカル『生きる』製作委員会
企画協力:黒澤プロダクション
企画制作:ホリプロ
大阪公演 9月29日 - 10月1日 梅田芸術劇場メインホール
キャスト
他
スタッフ
いずれも、演出は宮本亜門 、脚本と歌詞は高橋知伽江 、作曲・編曲はジェイソン・ハウランド。
脚注
注釈
^ Sonderpreis des Senats von Berlin (英 : Special Prize of the Senate of Berlin )。特別賞の名にある Senats von Berlin は、ベルリン 市(州と同格の連邦構成主体である)の行政機関である[1] (ベルリン#政治 、ドイツの地方行政区分 も参照)。この機関の日本語訳には「ベルリン市参事会 」「ベルリン参事会」「ベルリン州政府」等があり、この賞の名称の日本語訳にも揺れがある。
^ 日本では「銀熊賞」を受賞したとされることがあるが誤り[2] 。
^ あだ名は小田切とよが同僚に付けたもの。以下同じ。
^ 作中のセリフに基づく。脚本段階での坂井のあだ名は「にわとり」。
^ 国立映画アーカイブでは登山・安雙の役柄を「焼香の客」としているが誤り。
出典
参考文献
外部リンク
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