東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。
本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。東京府出身。
長唄の六代目杵屋弥三郎の子。七代目坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て、1949年(昭和24年)東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1954年(昭和29年)東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端整な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えた[2]。1960年代半ば、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため[3][4][5]、これに反撥して[4]、中村錦之助(萬屋錦之介)、里見浩太朗らと1965年に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成し副代表になった[2][5][6]。千代之介は岡田に長年ギャラを値切られ続け、一年干された挙句[2]、「キャバレーに出るなら世話してやろう」などと言われ、堪忍袋の緒が切れたといわれる[7]。しかし後援会長の座館経営者から「赤旗を振るようなことがあったら会長を退くから」と叱られ[8]、岡田に説得され[9]、副代表辞任と同時に1965年11月東映を退社した[2]。千代之介は「岡田茂だけは許せない」と長年恨みを言っていたといわれる[4]。
1972年、「日本舞踊若菜流」を創設。家元「三世 若菜伊三郎」としての活動が中心となり、多くの弟子を育てた[10]。
1965年11月30日、宝塚歌劇団出身の女優・千之赫子(ちの かくこ)とお見合い結婚。1966年、映画「男の顔は切り札」で赫子と共演。1968年、長男(俳優:若菜孝史 現:四世 若菜伊三郎)を儲ける。その後、長女も儲けたが、1985年に赫子と死別。1987年再婚。1991年、次男誕生。
テレビ番組では『クイズ面白ゼミナール』に「東千代之介チーム」リーダーとして準レギュラー出演。林海象監督作品『ZIPANG』では達者な名古屋弁をしゃべる徳川家康役を演じた。
2000年11月9日左心不全、慢性腎不全のため死去。74歳没[11][12]。
東映では中村錦之助や大川橋蔵、他社では市川雷蔵など千代之介と同時代に活躍し成功した歌舞伎出身の映画スターたちは、いずれも当時の梨園の内部事情などから映画俳優業に挑戦するにあたってまず歌舞伎との縁を切ることを強いられており、たとえ映画俳優として失敗しようとも歌舞伎の世界へは戻れない状況であった。また、錦之助は四男坊、橋蔵や雷蔵は養子と、血筋や長幼の序が大きくものをいう歌舞伎の世界では元々から脇役止まりがほぼ確実という出世の難しい出自であり、いずれも映画会社からスター候補として迎えられたとはいえ、精神的にハングリーな状態に追い詰められた逆境から銀幕で這い上がらなければならなかった。
それに対して日本舞踊の世界に身を置いたまま俳優業を行うことができた千代之介には、俳優として成功できなくても日舞に戻れるという精神的余裕があった分だけ、錦之助や橋蔵と比較して「成功欲に乏しかった」面があると言われている[注釈 1]。このように競争意識や覇気に欠ける一面のためか、昭和30年代後半になると主演から外れることが多く、早い時期から東映製作のテレビ映画に出演することが多くなり、東映の映画製作陣はオールスター映画では錦之助や橋蔵と同格のキャスティングにする配慮を見せたものの、実際は後輩の里見浩太郎にさえ追い抜かれたと思われていた。
しかし、その一方で、金銭関係や男女関係・違法行為などにまつわる不祥事とは全く無縁の人物でもあった。また、常に腰が低く、子供を含めたファンやスタッフへも親切かつ丁寧に対応する常識人であり、結婚後は善き家庭人でもあった。
そのような人柄とクリーンなイメージはスタッフからの厚い信頼にも繋がっており、東映を離れた後も、主に東映や東映系のスタッフが制作に関連する数多くの映像作品で出演依頼を受け、俳優として大御所的な存在になってからも、重要な役どころを演じ続けた。その活躍は時代劇や現代劇のみならず、バラエティ番組や子供向けの特撮番組まで多岐に渡る。
東映の時代劇映画全盛期を支えた人気俳優ながらも、度々低年齢層向けの時代劇映画に出演し、その後も子供向け作品に対する理解を持っていた人物であった。 また端整な容貌と日舞で鍛えられた優美な挙措は子供向けの活劇でもいかんなく発揮された。テレビ時代が到来した後にも、1979年放送のスーパー戦隊シリーズ第3作『バトルフィーバーJ』で、バトルフィーバー隊の司令官・倉間鉄山将軍役で不定期ながらレギュラー出演していた。劇中では、主人公の若者たちを厳しく鍛えつつも愛情深く見守る重要な役どころで人気を博し、また千代之介自身が立ち回りを繰り広げる場面も用意された。これ以降、スーパー戦隊シリーズを含む東映の子供向け特撮作品においては司令官など“主人公たちの後ろ盾”という重要な役柄で著名な中堅・ベテラン俳優の出演枠が度々設けられている。錦・千代時代とまで言われ会社を代表したトップスターが特撮番組の準レギュラーをつとめた例は非常に少ない[注釈 2]。
マキノ雅弘は「東千代之介は、橋蔵がデビューする前までは錦之介とライバル視されていた主演スターだったけど、落ちていっちゃった。錦之介や橋蔵ほど、主役としての"我"が強くなかったからだろうな。踊りの師匠でじゅうぶん食えたのに、周囲のすすめで気の進まないまま映画に入って、あっという間にスターになったから、戸惑ったんだろうね。内向的で、監督のいう通りできないと『俺は役者はダメじゃないか』としょっちゅう考えたんじゃないかな。千代之介みたいな落ち方をみると、スターであり続けるというのは、運以上に当人のパーソナリティがものをいうと思うね」と評している[13]。
※日本映画データベースより作成
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