毛利 元純(もうり もとずみ)は、長門国清末藩第8代(最後)の藩主。
生涯
天保3年(1832年)11月6日、豊後日出藩主・木下俊敦の四男として江戸で生まれる。嘉永2年(1849年)に第7代藩主・元承が早世したため、その養子となって嘉永3年(1850年)3月5日に跡を継いだ。嘉永4年(1851年)に叙任している。
幕末期は、本家の長州藩主毛利敬親の代理(名代)として働くことが多く、慶応2年(1866年)の第2次長州征伐では、大村益次郎と協力して石見浜田藩の軍勢を打ち破っている。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。
明治8年(1875年)3月12日に死去した。享年44。明治24年(1891年)に従三位を追贈された。
系譜
- 父:木下俊敦(1802年 - 1886年)
- 母:河瀬氏
- 養父:毛利元承(1833年 - 1849年)
- 正室:美知子 - 天妙院、毛利斉熙の娘
- 継室:万佐子 - 毛利熈頼の娘
- 生母不明の子女
毛利氏 清末藩8代藩主 (1850年 - 1871年) |
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