毛利元恒

毛利元恒

毛利 元恒(もうり もとつね、1890年明治23年)7月20日[1] - 1966年昭和41年)7月28日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院子爵議員

経歴

子爵毛利元忠の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1914年(大正3年)1月29日に子爵を襲爵した[1][3][4]

東京府立第四中学校を修了[2]1925年(大正14年)小野田セメント製造取締役となる[2]。以後、三岐鉄道監査役、藤田合名会社顧問などを務めた[2][3]

1930年(昭和5年)9月27日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5][6]研究会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任した[2]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』727-728頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』58頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』モ4頁。
  4. ^ 『官報』第450号、大正3年1月30日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  6. ^ 『官報』第1126号、昭和5年9月29日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1911年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
毛利元忠
子爵
清末毛利家第2代
1914年 - 1947年
次代
華族制度廃止

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