毛利 匡満(もうり まさみつ)は、江戸時代中期の大名。長門国長府藩9代藩主。
経歴
8代藩主・毛利匡敬(重就)の長男として長府にて誕生。幼名は文之助。
宝暦元年(1751年)5月3日、父が本家長州藩の藩主となったために4歳で長府藩主となった。宝暦11年(1761年)12月に叙任する。「明和御条目」などによる藩法制定などを始めとする藩政改革に尽力したが、明和6年(1769年)8月13日に22歳で若死にした。嗣子はなく、跡を弟の匡芳が継いだ。法号は浄雲院殿宝山有道大居士。墓所は下関市長府の功山寺、東京都港区高輪の泉岳寺。
系譜
毛利氏 長府藩9代藩主 (1751年 - 1769年) |
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