毛利 光広(もうり みつひろ)は、長門国長府藩2代藩主。初代藩主・毛利秀元の次男。
略歴
長兄の宮松丸が早世したために世子となり、慶安3年(1650年)、父の死去により跡を継いだが、わずか3年後の承応2年(1653年)7月2日に江戸にて死去した。享年38。跡を長男の綱元が継いだ。墓所は山口県下関市長府の笑山寺(詣り墓)、並びに東京都港区の泉岳寺[注釈 1]。
系譜
- 父:毛利秀元(1579-1650)
- 母:織田氏 - 側室
- 正室:清殊院 - 本多忠義娘
- 生母不明の子女
脚注
- ^ 先代の秀元など五大名が幕命により高輪に再建した縁による。元禄赤穂事件はまだ発生していない。
関連項目
毛利氏 長府藩2代藩主 (1650年 - 1653年) |
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