毛利 元倶(もうり もととも)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。長州藩の一門家老である右田毛利家の2代当主。父は毛利元就の七男である天野元政。
生涯
天正13年(1585年)、毛利元就の七男である天野元政の子として生まれる。
寛永2年(1625年)、藩内の領地替えにより三丘から佐波郡右田に移る。そのため右田毛利家と呼ばれ、宍戸家に次ぐ一門家老第二席の家格となる。元倶は藩主・毛利秀就に仕え、加判役、御国留守居を務めた。寛永5年(1628年)、領内に郷校「時観園」を設立して学問を振興した。寛永12年(1635年)、家督を嫡男・元法に譲り隠居する。
正保2年(1645年)3月14日に死去。享年61。
脚注
参考文献