毛利 元世(もうり もとよ)は、江戸時代後期の大名。長門国清末藩6代藩主。官位は従五位下・讃岐守。
略歴
近江国堅田藩主(のちに下野国佐野藩主)堀田正敦の六男として誕生。幼名は紀七郎。初名は堀田正名。
文政2年(1819年)8月16日、先代毛利政明の死去により、末期養子として家督を相続した。同年9月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。文政2年12月16日、従五位下・讃岐守に叙任する。文政10年5月3日、駿府加番を命じられる。天保8年(1837年)9月8日、大番頭に就任する。同年11月25日、辞職する。
弘化2年(1845年)7月27日、死去。2男5女あり。2人の男子はいずれも早世したため、家督は本家の長府毛利家から養子に迎えた元承が継いだ。法号は善徳院賢巌良哲。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。
系譜
子女は2男5女
毛利氏 清末藩6代藩主 (1821年 - 1845年) |
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