毛利 斉房(もうり なりふさ)は、江戸時代後期の大名。毛利氏23代当主。長州藩9代藩主。8代藩主・毛利治親の長男。
経歴
天明2年(1782年)11月20日、江戸で生まれる。寛政3年(1791年)、父・治親の死去により10歳で跡を継ぐ。寛政7年(1795年)8月、11代将軍・徳川家斉から偏諱を授かって初名の維房(これふさ)から斉房に改名し、叙任する。寛政12年(1800年)からは藩財政再建のために10ヵ年の倹約を行ない、さらに伊能忠敬に周防・長門の測量を行なわせて海防の強化に努めるなどしたが、文化6年(1809年)2月14日に28歳で江戸にて死去した。実子の徳丸が生まれたのは斉房の死後であり[3]、養子となっていた弟の斉熙が跡を継いだ。墓所は萩市椿東の東光寺。
系譜
- 父:毛利治親(1754年 - 1791年)
- 母:明善院 - 小泉氏
- 正室:幸子 - 栄宮、貞操院殿松林如榮大姉、有栖川宮織仁親王娘
- 側室:芳春院 - 山田氏
- 生母不明の子女
- 養子
斉房の代の主要家臣
文化元年(1804年)頃の主要な斉房の家臣は下のとおり。
偏諱を受けた人物
- 「房」の字は室町時代の毛利家当主、毛利広房・之房(光房)・熙房(熙元)の3代に亘って使用された字でこれに由来する。
脚注
参考文献
長州藩9代藩主 (1791年 - 1809年) |
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(藩祖) | |
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萩藩 | |
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山口藩 | |
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