松浦 孝亮(まつうら こうすけ、1979年9月4日 - )は、愛知県名古屋市出身のレーシングドライバー。
鈴鹿サーキット主催の「鈴鹿サーキットレーシングスクール」(SRS-K及びSRS-F)の出身で、元F1ドライバー中嶋悟等からノウハウを学ぶ。
1994年にカートデビュー。翌年1995年に全日本選手権シリーズ西地域FRクラスに出場し、チャンピオンに輝く。1996年にWorld Cup in 鈴鹿FAクラスに出場して6位入賞し、アイルトン・セナメモリアルカップを受賞。翌年にはWorld Cup in 鈴鹿で日本人初優勝を果たす。以後、JAPANカートグランプリでも優勝し日本一に輝いた。同年フランスで行われた世界カート選手権の大会に出場し、2位表彰台を獲得し沢山の好成績を残した。
1999年にフォーミュラ・ドリーム(FD)でレーシングドライバーとして本格的に活動を開始し、初何度はシリーズ6位。翌年にはチャンピオンに輝く。このフォーミュラ・ドリームでは、井出有治や柳田真孝等と争った。
2001年からARTAのバックアップを受けドイツF3に参戦。強豪がひしめき合う中、F3参戦1年目で1勝を挙げる。2002年にはシリーズランキング2位を獲得した。この年は、韓国で開催されたコリアスーパープリで3位、ポーで開催されたユーロカップで4位という成績を挙げたものの、マカオグランプリはリタイア、マールポロ・マスターズF3は下位28位という結果で終えた。ドイツF3でのパフォーマンスを評価され、2002年の末にスペインのヘレス・サーキットでBAR Honda F1をテストドライブした。
2003年にはフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップに参戦し、シリーズ3位という結果を残した。
2004年から、鈴木亜久里率いるスーパーアグリとエイドリアン・フェルナンデスがタッグを組んだ「スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシング」のドライバーとしてインディカー・シリーズ(IRL)に参戦。
2007年は、スーパーアグリがパンサー・レーシングと提携したため、「スーパーアグリ・パンサー・レーシング」という新体制の下で参戦することになったが、成績には結びつかず、インディジャパンにおいては出走5秒でリタイア。スーパーアグリとパンサー・レーシングの提携も同年限りで解消されたためシートを失った。
2008年からはシリーズの中継をしているGAORAで解説を行っている。
2009年はコンクエスト・レーシングからインディジャパンにスポット参戦し17位に入った。
2008年から、「DoCoMo TEAM DANDELION RACING」のドライバーとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦。フォーミュラ・ドリーム以来8年ぶりの国内レースへの参戦となる。
シリーズ開幕より芳しくない結果が続いたが、第7戦富士ラウンドのレース1で8位となり、レース2はリバースグリッドによりポールポジションからスタートすることになった。しかし折からの大雨のためスタートからセーフティカー先導で周回し、6周目に赤旗でレースが中断、そのままレース終了となり、規定により赤旗提示の前の周である5周目を先頭で通過した松浦が結果的に初優勝することになった。
2008年、09年はTEAM KUNIMITSUから第3ドライバーとしてGT500クラスにスポット参戦、2010年からaprよりSUPER GT・GT300クラスにカローラアクシオで本格参戦し(パートナーは嵯峨宏紀)、2011年および2012年は、ARTAからGT300クラスにガライヤで参戦した(パートナーは高木真一)。
2013年は、GT500クラスにステップアップしARTAからホンダ・HSV-010で参戦(パートナーはラルフ・ファーマン)、第4戦菅生で荒れたコンディションで上位陣が脱落する中で最後まで生き残り、GT500初優勝を遂げた。
2017年は、長年在籍をしていたARTAを離脱し、NAKAJIMAレーシングに移籍をする。第6戦の鈴鹿にて、自身としては2013年以来の、チームとしては10年ぶりの勝利を最後の鈴鹿1000kmで飾る。レース後の会見では感極まる場面を見せた。
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