本項目では、日本の港町について解説する。
日本の港町の起源はよく判っていない。青森県にある縄文時代の三内丸山遺跡を港町とする有力な見解がある。このことから、日本の港町は縄文時代まで遡るとも考えられる。弥生時代には、中国王朝(後漢・魏など)との交易の記録があり、中国との交易および倭国における交易のため、列島各地に港町が形成されたと見られる。壱岐島にある原の辻遺跡は弥生期の港町跡とされている。日本書紀には、仁徳天皇が河内平野を開発し、難波(大阪)を外港・宮都(首都)として整備したことが記されている。古墳時代以降、北部九州と畿内を結ぶ瀬戸内海が、倭国(日本)の重要な交通路となり沿岸には多くの港町が形成された。
平安時代末期には、平清盛が整備した博多袖湊、大輪田泊が日宋貿易の拠点となり、都の福原京も計画された。室町時代になると、列島内の交易が活発化し、特に水上交通が栄え、それに伴い港町も繁栄した。例えば、兵庫津(大輪田泊)の年間入港隻数は数千にのぼり、他の瀬戸内海の港もその数に迫った。なお、同時期のヨーロッパを代表するハンザ同盟の港湾都市リューベックの年間入港は数百隻にとどまっている。江戸時代に入っても、東廻海運・西廻海運などの水上交通が整備され、その中継点として各地の港町は繁栄し続けた。
しかし1858年に締結された日米修好通商条約により、函館、横浜、新潟、神戸、長崎の5港が開港し、日本国外との貿易が始まった。明治時代を迎えると横浜や函館、小樽などの港町が急速に発展した。兵庫津・大輪田泊の歴史を継承する神戸は、明治中期から平成初期までの100年間、東洋最大の貿易港を有して繁栄した。
一方で昭和中期の高度経済成長期以降、鉄道や自動車などの陸上交通が発展したために、国内物流としての水上交通の地位が相対的に低下し、寂れる港町が増えていった。
日本では国際拠点港湾、港則法上の特定港 重要港湾 スーパー中枢港湾 地方港湾、指定区間、中枢国際港湾、中核国際港湾、となっている。 日本の港湾一覧 日本の漁港一覧参照
・津川-江戸期~明治にかけて、会津における越後(日本海)からの物流や人の往来で賑わった阿賀野川水運の中心地