北相馬郡(きたそうまぐん)は、茨城県の郡。
人口14,976人、面積24.86km²、人口密度602人/km²。(2025年3月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
発足時の範囲を現在の行政区画で記す。
元の下総国相馬郡の一部。1871年(明治4年)11月以来、全域が印旛県、次いで千葉県に属していたが、1875年(明治8年)の新治県廃止に伴う茨城県および千葉県の再編に合わせて千葉県管下の下総国のうち利根川以北の区域が茨城県に移管された。その結果、結城郡・豊田郡・岡田郡・猿島郡とともに葛飾郡と相馬郡のうちの利根川以北の区域が茨城県となった。
1878年(明治11年)の郡区町村編制法により茨城県管下の相馬郡が北相馬郡となった。一方、千葉県管下の相馬郡は南相馬郡となり、1897年(明治30年)に東葛飾郡に併合されて消滅している。
なお福島県の相馬郡は、下総国相馬郡から起こった中世から明治維新までの大名である相馬氏に由来するものである。相馬氏の発祥は下総国の相馬郡であり、千葉県の旧東葛飾郡地域を含めて福島県の相馬郡とは現在でも交流が続いている。
町村合併促進法により1955年(昭和30年)3月に合併が行われる前は、北相馬郡西部の町村の小学校による連合運動会が行われていた。
1918年(大正7年)または1919年(大正8年)ごろ始められたと考えられ[3]、第二次世界大戦で中止となった1943年(昭和18年)と1944年(昭和19年)を除き、毎年11月3日(明治節→文化の日)に開催されていた。
参加町村は守谷町、大井沢村、大野村、高野村(現守谷市)、高井村(現守谷市、取手市)、稲戸井村(現取手市)、小絹村(現つくばみらい市)、内守谷村、坂手村、菅生村(現常総市)の10町村11校。
会場は、当初は守谷町大字守谷字北園の通称「鍋山」(現守谷市松並)で行われていたが、後に大野村立大野小学校、守谷グランド(守谷駅裏に存在した)へと会場を移し、守谷町立守谷小学校が現在地へと移転新築した1930年(昭和5年)以降に同校に会場を移した。
1946年(昭和21年)までの参加者は尋常科第4学年から高等科2年までの全生徒で、競技は尋常科男女の100m走、高等科女子の100m走、高等科男子の200m走、徒競走、各校選抜リレー(男女とも2名ずつ)であった[3]。
*印は消滅。