トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ
国籍
日本 本拠地
WEC
WRC
フィンランド ユヴァスキュラ
創設者
オベ・アンダーソン チーム代表
関係者
WEC
平井正人(社長)
佐藤恒治 (会長)
中嶋一貴 (副会長)
パスカル・バセロン (副社長)
角賢治(パワートレーン開発者)
北條哲平(空力開発責任者)
佐藤真之介(ハイブリッドパワートレーンマネージャー)
春名雄一郎(プロジェクトディレクター)
小島正清(GRパワトレ開発部長)
山崎大地(GRパワトレ開発部)
ジョン・リッチェンス(車両開発プロジェクトリーダー)
ロブ・ロイペン(チームディレクター)
デビッド・フローリー(テクニカルディレクター)
WRC
青木徳生(エンジン・プロジェクト・リーダー)
豊田章男 (チームオーナー)
春名雄一郎(プロジェクトリーダー)
トム・ファウラー(テクニカルディレクター)
カイ・リンドストローム(スポーティングディレクター)
活動期間
1975年 - カテゴリ
チームズ タイトル
WRC 8 (1993 , 1994 , 1999 , 2018 , 2021 , 2022 , 2023 , 2024 )
WEC 7 (2014 , 2018-19 , 2019-20 , 2021 , 2022 , 2023 , 2024 )
ドライバーズ タイトル
WRC 9 (1990 , 1992 , 1993 , 1994 , 2019 , 2020 , 2021 , 2022 , 2023 )
WEC 6 (2014 , 2018-19 , 2019-20 , 2021 , 2022 , 2023 )
公式サイト
Toyota Gazoo Racing Europe GmbH 2024年のFIA 世界耐久選手権 エントリー名
TOYOTA GAZOO Racing レーサー
7号車
8号車
マシン
7 & 8. トヨタ・GR010 HYBRID タイヤ
ミシュラン テンプレートを表示
トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ (TOYOTA GAZOO Racing Europe GmbH、略称: TGR-E )は、トヨタ自動車 の完全子会社でモータースポーツ 活動を行う企業。本社所在地はドイツ のケルン 。敷地の広さは30,000平方メートルで、従業員は日本人を含めた約300名が働いている[ 1] [ 2] 。
概要
旧社名はトヨタ・モータースポーツ有限会社 (Toyota Motorsport GmbH、略称: TMG )。1993年 に、それまでトヨタ ・チーム・ヨーロッパ(TTE)としてWRC活動をオペレーションしていたオベ・アンダーソン・モータースポーツGmbH を買収して誕生した。それ以降もトヨタの欧州におけるワークスチーム として、モータースポーツ活動を担い、世界ラリー選手権 (WRC)、ル・マン24時間 、フォーミュラ1 (F1)などに参戦した。これまでにWRCとFIA 世界耐久選手権 (WEC)でドライバーズ・マニュファクチャラーズ王者を達成し、ル・マン24時間を制覇した実績がある。
2021年現在はTOYOTA GAZOO Racing の名でWECにル・マン・ハイパーカー (LMH)で、ならびにWRCにチームとして参戦している。また、世界選手権カテゴリで培った技術や最先端設備を活かして外部企業向けのエンジニアリングサービスを行い、その利益をレース活動資金に回している。
企業理念は“Creating excitement through team spirit and advanced technology”(チーム精神と技術進歩による興奮の創造)[ 3] 。
2020年 4月、社名をトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ (TOYOTA GAZOO Racing Europe GmbH)に変更したと発表した[ 4] 。
業務内容
公式ホームページでは[ 5] 、自動車以外の業種も含む6つの部門による幅広い業務が紹介されている。求人、インターンシップも随時募集されている。
モータースポーツ部門
レーシングチーム(TOYOTA GAZOO Racing)
TGR-Eのメインであり最も有名な業務。トヨタの欧州におけるワークスチーム で、レース活動の実働部隊として活動する。WRC、F1等を経て現在はWECのハイパーカークラスに参戦している。また、ニュルブルクリンク24時間レース やWRC3、ERCなどにも参戦することがある。本稿で述べる。プライベーター向けにレーシングカーやラリーカーの販売を行っている。後述。
TMGが販売するレーシングカー
トヨタ・ヤリス R1(グループR1規定ラリーカー)
トヨタ・GT86 CS-V3(耐久レース向けレーシングカー)
トヨタ・GT86 CS-R3(グループR3規定ラリーカー)
トヨタ・GRスープラ GT4(グループGT4規定レーシングカー)
シャーシ設計部門
レーシングカーなどのシャーシ やサスペンション などの設計、数値流体力学 (CFD)と計算による空力開発、テスト、解析、油圧 システムの開発などを行う。
F1参戦中は機密保持のためトヨタ社内の他部門との交流は少なかったが、F1撤退後は日本の研究開発機関と連携して車台実験などの機能を補完することになった[ 6] 。F1撤退直後のTMGのシミュレーション ・計算技術はトヨタ本社のそれを遥かに凌いでおり、当時社長だった木下美明は「作ったことのない人が計算だけに基づいて作ったのに、そこそこ走ります」と述べている[ 7] 。
市販車では、2012年にエッセンモーターショーにてレクサス・LS をチューニングしたコンセプトカーの「TMG Sports 650」を発表したものの、市販化には至らなかった[ 8] [ 9] 。
2018年にはジュネーブモーターショー で発表されたGRスープラ・レーシングコンセプト の制作を担当した[ 10] 。
エンジン設計部門
シャーシと同様設計から解析の他、熱摩擦 分析、排気ガス 分析、潤滑油 テストなども含めてエンジンの開発を行う。2014年 にF1にエンジンコンストラクターとして参入する計画を進めていたP.U.R.E. は、TMG施設においてV6ターボエンジンを開発する契約を結んだ[ 11] 。2017年からはヤリスWRC のGREエンジンの開発も行う。ただしLMP1マシンのエンジンはTMG製ではなく、日本の東富士研究所の開発によるものである[ 12] 。
R&D部門
ドライビングシミュレータ
F1、LMP1、SUPER GT 、GP2 、市販車など様々なマシンで、現実の各種データと合わせたシミュレーションドライブができる。
セブンポストリグ
正確な剛性やプッシュロッド と垂直荷重比の測定、摩擦調査、ダンパー 、トーションバー 、スプリング などのリアルな動きを測定できる。
コンポーネントテストリグ
サスペンション 、ステアリング 、ブレーキ 、エンジン 、ドライブシャフト 、国際自動車連盟 (FIA)のホモロゲ―ションテストなどあらゆる自動車部品や構造体についてのテスト・解析を行うことができる。
トランスミッション潤滑油テストシステム
あらゆる路面状況における、トランスミッション 内の潤滑油の流れと動きをシミュレーションし測定・解析する。この施設は燃料噴射装置、オイルポンプ 、オイルクーラー などの実験にも使える。
風洞設備
F1時代の大規模な投資により、TMGの施設内には優れたエアロダイナミクス 用の大型風洞 設備やCFDコンピュータなどが存在している。フェラーリ やウィリアムズ は自社の風洞以外にTMGの風洞をレンタルして2011年用マシンを開発した[ 13] 。また、2014年のケータハム [ 14] や2014~現在のフォースインディア [ 15] 、2018年現在はマクラーレン [ 16] やトロ・ロッソ もTMGの風洞でシャーシを開発しており、F1界では「業界標準」との声もある[ 17] 。ヤリスWRCの一部のパーツの風洞実験もここで行う。
EV部門
F1では投入されなかった運動エネルギー回生システム (KERS) の小型バッテリー 技術を応用し、電動パワートレインの設計から統合、バッテリー管理、車両制御、エネルギー管理システムなどの個々のコンポーネントに至るまでを行うことができる。これまでにガソリン 車のエンジンを電動化するコンバートEV を、外部企業より「e-WOLF」というブランドで市販した他[ 6] [ 18] 、急速EV充電器の販売なども行った。
製造部門
自動車 に限らず医療 ・建築 などの幅広い分野に応用できる素材・技術の研究や、それを生かした製造業 にも力を入れている。2017年には化学企業のDSM 社と、従来の付加製造技術に加えてエンジニアリングプラスチック や超高分子量ポリエチレン 繊維などの分野で技術提携を結んだ[ 19] 。
付加製造(AM)
2013年からDSM 社とともに力を入れてきた分野[ 20] 。8台のステレオリソグラフィーと2台の大型レーザー焼結機を駆使し、3D CAD モデルからの迅速かつ精密な製造を行う。TMGスタッフは自動車以外の業種を経験してきている者が揃っており、業種を問わずあらゆる分野の部品を製造可能としている。
コンポジット
ケブラー 、ガラス 、カーボン あるいは複合繊維などの化学素材及び製品の開発・製造を行う。製品は小さな部品から一台の車まで、あらゆる大きさのものが可能。この分野の技術を利用して開発されたハンドサイクル とシットスキー で、ドイツのアンドレア・エズカウ選手がパラリンピック の金メダルを獲得した実績がある[ 21] 。
CNC
5軸フライス盤15台、CNCターニングマシン2台、ターンミルセンター1台を用意し、各項目1ミクロン 単位の正確さのCNC(コンピュータ数値制御 )システムの開発及び製造を行う。
WRC
オベ・アンダーソン
オベ・アンダーソンの時代
1970年代にモータースポーツ活動を担当していたトヨタ第7技術部企画部長の難波江延治は、毎戦日本からチームを出すのはコストがかかるため、安易に上層部が撤退を決めてしまわないよう、欧州チームと契約し支援する形で参戦することを思いついた。そこでスウェーデン 出身のラリー ドライバー、オベ・アンダーソン のプライベートチームである「アンダーソン・モータースポーツ」の活躍に目をつけ、1972年 より資金・技術支援を開始。「チーム・トヨタ・アンダーソン」と名乗り、1973年に開幕したWRC(世界ラリー選手権 )に参戦した[ 23] 。
しかし翌1974年にオイル・ショック の影響でトヨタはモータースポーツ活動の休止を決定。第七技術部は解散の憂き目に遭い、アンダーソンも最後通告を受けるため日本に招致された。しかし面会直前、欧州でトヨタのラリー活動を推進してきた福井敏雄 の説得で社長の豊田英二 は翻意し、アンダーソンにトヨタ自工の資材を託し、自販が資金提供するというかたちで参戦を継続することになった。さらにベルギーからドイツ・トヨタのお膝元に工場用地を用意し、より手厚い支援を行った。
1975年 より正式にトヨタの公認を受け、チーム名を「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」と名乗る。カローラレビン で参戦し、同年の1000湖ラリー でトヨタワークスとしてのWRC初優勝を獲得した(トヨタ車自体の初優勝は1973年アメリカで、プライベーターのウォルター・ボイスが記録)。
1979年 、チームの拠点をベルギー のブリュッセル からドイツのケルン に移転し、「アンダーソン・モータースポーツGmbH」を設立する。レビンの後はセリカ を使用し、年数戦のWRC参戦を続けた。
黄金時代、そして撤退
1983年 、トヨタのモータースポーツ活動再開により、本格的にワークス 活動を開始する。当時のWRCのグループB 規定車両では苦戦したが、サファリラリー では1984年 から3連覇を達成する。1987年 にグループA 規定が導入されると、翌1988年 より4輪駆動 のセリカ GT-Four を投入する。またこの頃、TTEは活動範囲を広げ、MERC(中東ラリー選手権)でモハメド・ビン・スライエム を4度のタイトルに導いている[ 28] 。
1987年、トヨタが香港-北京ラリーを制した数日後にアイボリーコーストで起きた飛行機墜落事故により、ラリーコーディネーターのヘンリー・リドンが事故死した。この事故はTTEの体質を大きく変貌させたといわれている。
1990年代に入るとその活動は黄金期を迎える。1990年 にカルロス・サインツ が宿敵ランチア を打ち破り、FIA世界選手権で日本車メーカーとして初めてドライバーズチャンピオンとなった。なお、サインツとセリカは同年アジアパシフィックラリー選手権 (APRC) でもドライバーズタイトルを獲得している。
トヨタ・セリカ GT-Four (ST185) 、1995年サファリラリー 優勝車
1992年 にもサインツがWRCのドライバーズタイトルを獲得。1993年 にはユハ・カンクネン のドライバーズタイトルに加え、日本メーカーとして初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。翌1994年 もドライバーズ(ディディエ・オリオール )とメイクスの2冠を達成した。王者ランチアの牙城を崩したチームは、TTEの拠点にちなんでケルン・コマンド の異名をとった。
このようにST165型以降のセリカGT-Fourは成功を収める一方、新型投入のたびベース車両の肥大化が著しいことを懸念したTMG側は、1992年11月にセリカST185型とカローラFX のボディを用いた二種類のIS(Ideal Successor、『理想的な後継者』の意)と呼ばれる、ラリーで勝つことを目標とした量産車のコンセプトカーを作成し、トヨタ本社に提案した。しかしバブル崩壊直後であったため、採用されることはなかった。
1993年 7月にはトヨタがアンダーソン・モータースポーツGmbHを買収し、ここに「トヨタ・モータースポーツ有限会社 (TMG) 」が誕生した(チーム名はTTEを継続)。
しかし1995年 、TTEはシーズン中にリストリクター に関するレギュレーション違反が発覚し、シーズン全ポイントの剥奪、および翌1996年 シーズンの1年間出場停止という処分を受ける。これはトヨタ本社では関知していなかったことで、事件後TMGの存続やアンダーソンの責任問題が議論されたが、1997年 もWRC参戦を自粛するかたちで決着した。TTEは2年間の休止期間中に新規定の「ワールドラリーカー 」(WRカー)としてカローラWRC を開発した(1997年にはテスト参戦)。また、1996年にST205はヨーロッパラリー選手権 (ERC)のアルミン・シュヴァルツ に供給され、総合チャンピオンを獲得している。
1998年より正式に復帰し、1999年 には3度目のメイクスタイトルを獲得する。しかし1999年初頭にトヨタがF1への参戦を決定していたため、同年限りで27年間のWRC活動に終止符を打った。
ラリーへの復帰
F1参戦~撤退を経験した後、世界選手権に再度参戦することを夢見たTMGの有志たちが業務時間外に集まって、スーパー2000 規定のヤリスの開発を行った。このヤリスはエンジンに3年、シャシーに2年をかけて開発されたが、スーパー2000規定は2013年を以て廃止になることがアナウンスされたため世に出ることは叶わなかった。しかし彼らは諦めず、WRカーの開発も細々と続けていた[ 36] 。
2015年にトヨタは2017年から「TOYOTA GAZOO Racing WRT」(トヨタ・ガズー・レーシング・ワールド・ラリー・チーム、TGR WRT)として18年ぶりにWRCへ復帰することを表明。トミ・マキネン がチーム代表に就任し、トミ・マキネン・レーシング (TMR) がWRカー、ヤリスWRC の車体開発・走行テストおよびチーム運営を担当し、TMGはGREエンジン開発と一部のパーツの風洞実験を担当することとなった[ 38] 。マキネンの要求により24時間体制でエンジンを4回も作り直す執念を実らせ、2017年は復帰2戦目で優勝、2018年には早くもマニュファクチャラーズタイトルを獲得している。
2021年からは体制が変更になり、トミ・マキネン・レーシングがチーム運営から外れ、TGR-Eが全面的にオペレーションを担うことになった[ 39] 。これに伴いマキネンがアドバイザーに退き、後任のチーム代表にヤリ=マティ・ラトバラ が就任する[ 40] 。また、フィンランドのユバスキュラ に新ファクトリー(通称ユスカ)を建設し、エストニア 支社の機能も集約し、WRC活動のベースとした[ 41] 。
2022年12月、TGR-Eのラリー部門を分社化し、新会社として「TOYOTA GAZOO Racing World Rally Team(TGR-WRT)」を設立した。本社はユバスキュラのファクトリーに置かれ、豊田章男 が会長、ラトバラがチーフ・ラリー・スポーティング・オフィサー(CRSO)、トム・フォウラーが最高技術責任者(CTO)を務める[ 42] [ 43] 。
スポーツカーレース
サーキットレースデビュー
1990年代後半TTEはWRC活動のかたわら、ル・マン24時間レース 等の耐久レース へ参戦するため、トヨタ・GT-One TS020 の開発を行った。アンダーソンによると、1996年末にカローラWRCの開発を中止し、ル・マンプロジェクトに取り組むようトヨタ本社から通達されたという。しかし海外営業の猛反対により、WRC復帰とル・マン参戦を並行して進めることになった。1998年と1999年にはル・マン24時間レースに出場し、1999年には土屋圭市 /片山右京 /鈴木利男 の日本人トリオが総合2位(LMGTPクラス優勝)に入ったものの、目標とした総合優勝には届かなかった。実はこのプロジェクトはサーキットレース経験のなかったTMGに、F1に参戦するための経験を積ませるために本社側が企図したものであるが、それがTMG側に伝えられたのは1998年のル・マンが終わってからであった。
WECへの挑戦
木下美明元社長(2014年)
F1撤退後、トヨタは市販ハイブリッド 技術の活用を含め新たな活動を模索していた。そして2011年 、ル・マン24時間レースに参戦するレベリオン・レーシング に対しエンジン供給を行い[ 46] 、耐久レースへの復帰路線が濃厚になる。なお、このエンジンはフォーミュラ・ニッポン やSUPER GT (GT500) 用のRV8K をLMP1規定にチューニングしたもので、新規開発ではない[ 6] 。
2012年 、新たにLMP1クラス用のハイブリッドマシンであるTS030 HYBRID を開発。オレカ とジョイントし「トヨタ・レーシング 」としてWECに参戦することを表明した[ 47] 。デビュー3戦目となる第5戦サンパウロ6時間レースでは、トヨタとしては1992年以来となる優勝を果たした。
2014年 にはLMP1クラスのレギュレーション変更に伴い新型車のTS040 HYBRID をデビューさせた。悲願としていたル・マンこそ勝てなかったものの、シリーズではアウディ とポルシェ を破り、日系メーカーとして初めてスポーツカーレース の世界選手権を制覇した。
TS050 HYBRID と共に立つTMGの役員とドライバー(2016年)
2016年にトヨタのモータースポーツ事業再編により、チーム名をTOYOTA GAZOO Racing に改めた。ル・マンではサルト・サーキット に特化して開発したTS050 HYBRID で最終盤まで有利に進めていたが、小林のスピンに加えて残り6分で異常が発生し、3分でストップするというスポーツ史に残る歴史的な悲劇で敗北を喫した。
2017年のル・マンは復帰以来初の3台体制で挑んだが、オペレーションのミスに加えて「偽マーシャル」事件というこれまた類い希な不運により、夜明け前に全車が勝負権を失った。選手権ではポルシェを上回る5勝をあげたものの、ル・マンでの大敗が大きく響いて最終戦前にタイトルを奪われた。
2018年は現役F1王者のフェルナンド・アロンソ を加え、トラブルシミュレーションを徹底して万全の準備で2台体制で参戦。ポルシェの撤退によりワークスチームがトヨタのみという状況ではあったが、トヨタの30年越しの悲願であるル・マン制覇を果たした。2019年・2020年もル・マンを制覇し3連覇。
2021年はLMP1規定が廃止されル・マン・ハイパーカー (LMH)規定に移行したため、LMH車両としてGR010 HYBRID を開発。ル・マンでは燃料系にトラブルを抱え、グリッケンハウス やアルピーヌ などに迫られるシーンもあったものの、最終的に小林擁する7号車が悲願の初優勝を果たし、4連覇を達成した。
2022年は引退した中嶋一貴 に代わり平川亮 が加入し、小林可夢偉 がチーム代表を兼任。ル・マンでは平川擁する8号車が優勝し、5連覇を達成。シリーズも最終戦までアルピーヌと争いながらもドライバーズ、マニュファクチャラーズの両タイトルを獲得し、シリーズ4連覇を達成した。
年表
1972年 - トヨタがオベ・アンダーソンを支援する契約を結ぶ。
1974年 - オイル・ショックの煽りを受けるも、体制を変更してアンダーソンへの支援を継続。
1975年 - カローラレビンを駆るハンヌ・ミッコラ 1000湖ラリーにてWRC初優勝を飾る。
1979年 - チームの本拠地をベルギーからドイツへ移転し、アンダーソン・モータースポーツGmbHを設立。
1983年 - トヨタが本格的な支援を復活させる。
1990年 - セリカGT-Fourを駆るカルロス・サインツ が初のWRCドライバーズチャンピオンをもたらす。
1992年 - 初のWRCマニュファクチャラーズチャンピオン獲得。カルロス・サインツが2度目のドライバーズチャンピオン。
1993年 - アンダーソン・モータースポーツGmbHを買収してトヨタ・モータースポーツGmbHとなる。WRCマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオン連覇。
1994年 - WRCマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオン3連覇。
1995年 - セリカのエアリストリクターへの違法な改造が発覚。ポイント剥奪、そして1年間の出場停止処分となる。
1997年 - WRCの活動をもう1年自粛。この期間中にTS020の開発がすすめられる。
1998年 - カローラWRCで本格復帰。サーキットデビューを果たし、ル・マン24時間にも初参戦。
1999年 - WRCのマニュファクチャラーズチャンピオン獲得。ル・マンで2位表彰台を獲得。同年を以て両活動を停止。
2002年 - 2年間の準備期間を経てF1デビュー。
2005年 - マレーシアGPにてヤルノ・トゥルーリが初の表彰台(2位)を獲得。アメリカGPでもトゥルーリがPPを獲得。
2009年 - リーマン・ショックの煽りを受けてF1撤退。
2011年 - TMG EV P001を開発し、ニュルのEVのコースレコードを樹立。
2012年 - WEC参戦・ル・マン復帰。ヤリスR1の販売も開始し、ラリーへも復帰。
2014年 - WECのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。
2017年 - エンジン開発の形でWRCにも復帰。
2018年 - ル・マン初制覇。WRCマニュファクチャラーズタイトル獲得。
2019年 - ル・マン2連覇。WECのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。また、WRCのドライバーズチャンピオンを獲得。
2020年 - ル・マン3連覇。2年連続でWECのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。また、WRCのドライバーズチャンピオンを獲得。
2021年 - ル・マン4連覇。3年連続でWECのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。また、WRCのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。
2022年 - ル・マン5連覇。4年連続でWECのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。また、2年連続でWRCのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。
2023年 - 5年連続でWECのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。また、3年連続でWRCのマニュファクチャラーズ・ドライバーズチャンピオンを獲得。
F1
1999年を以てトヨタはル・マンとWRCから撤退し、2000年 にはトヨタ常務取締役の冨田務 がTMG会長、オベ・アンダーソンがTMG社長に就任した。ケルンのファクトリーは140億円を投じて床面積を約3倍(37,000平方メートル )に拡張し、日本のトヨタ東富士研究所と連携してF1マシン の開発を行うことになる。TS020はテストカーTF101 が完成するまでの間、エンジンテスト等に利用された。
1年のテスト期間を経て、2002年 より「パナソニック・トヨタ・レーシング」としてF1に参戦を開始する。2003年 にはジョン・ハウェット がTMG新社長に就任。創始者のアンダーソンは2004年にチーム代表も辞して第一線を退く(2008年に事故死)。2007年 には冨田に代わり、山科忠 がTMG会長兼チーム代表に就任する。
2009年 シーズン終了後、トヨタ本社がリーマン・ショック による業績不振を理由にF1撤退を発表。8年間のF1活動で3度のポールポジションと13の表彰台を獲得し、コンストラクターズ最高成績は4位(2005年 )。潤沢な運営資金と最新鋭の設備を誇りながら優勝は果たせなかった。
F1撤退後、TMGは他チームへの売却やMBO も噂されたが、再びヨーロッパにおけるトヨタのレース活動の拠点として、事業転換を進めることになる[ 49] 。シャシー部門責任者のパスカル・バセロン らは残留したが、スタッフ500名を解雇し、ファクトリーの規模を150名体制に縮小した[ 50] 。
F1撤退決定後も、2010年 用マシンとして準備していたTF110 の開発を継続。2010年にF1参入を目指すステファンGP との間でマシンの譲渡、人員の移籍、施設の利用などの提携交渉を進めたが、ステファンGPのエントリーが認められず契約は終了した[ 51] 。その後、新規参戦するヒスパニア との交渉も不調に終わった[ 52] 。
2009年に使用したTF109 は、2011年からF1のタイヤサプライヤーとなるピレリ にテストカーとしてレンタルされた。
2024年、TOYOTA GAZOO RacingはハースF1チーム との提携を結んだことが発表された[ 53] 。具体的にはTGRの育成ドライバーやエンジニア・メカニックがハースに派遣され、テストへの参加や空力の共同開発などが行われる。またTGR-Eでもカーボン 部品の設計・製造を行う。
ニュルブルクリンク24時間レース
2013年から、TMGの開発・販売するGT86 CS-V3がニュルブルクリンク24時間レース のV3クラスに参戦。2013〜2015年までトヨタ・スイス・レーシングがクラス優勝を飾っている。
2018年にはTMGの有志たちにより結成された『TMG United』[ 54] がSP3クラスに参戦。マシンは市販車の86で、総合81位・クラス3位で完走した[ 55] 。
2019年もSP3クラスに参戦。今度はGT86 CS-V3にマシンをスイッチし、クラス優勝を果たした[ 56] 。
EVレース
2011年、ラディカル・スポーツカー製シャシーにTMGの開発したパワートレインを搭載する「TMG EV P001」が、公道用タイヤでニュルブルクリンク 北コース(ノルドシュライフェ)において7分47秒794というラップタイムを記録。それまでのEVの記録であった9分1秒338を1分以上縮めた[ 57] 。
2012年のパイクスピーク・ヒルクライム にはP001を改良したP002[ 58] を用いて俳優の哀川翔 が率いる「Team SHOW」が参戦。奴田原文雄 がステアリングを握り、EVクラスで増岡浩 の三菱・MiEV Evolution や田嶋伸博 のE-RUNNERを破って優勝(総合6位)を果たし、さらにEVのコースレコード(10分15秒380)も樹立した[ 59] 。またノルドシュライフェにも再登場し、ヨッヘン・クルムバッハのドライブで7分22秒329を叩き出し、P001の記録をさらに25秒近く縮めた[ 60] 。
2013年はTRD USA がP002を運用してパイクスピークに登場。ドライバーは90年代にセリカとタコマで総合優勝を果たしたロッド・ミレンであったが、後輪駆動 ゆえに雨天の影響を大きく受けたこともあり、昨年の奴田原を下回るタイム(10分24秒301)でEVクラス4位に終わった[ 61] 。
プライベーター向けマシンの販売
2012年8月、トヨタ・86 をベースにしたプライベーター用耐久マシン「GT86 CS-V3」と、入門用ラリーマシンであるグループR1A 規定のトヨタ・ヤリス の販売を開始[ 62] [ 63] 。VLN(ニュル耐久シリーズ)では2013年以降、このCS-V3を対象とした「GT86カップ」をTMGが独自に設定し、優勝者に賞金を出している[ 64] 。CS-V3は2016年にモデルチェンジされ、名称も「CSカップ」へと変更された[ 65] 。また、ヤリスR1は、F1参戦以来のラリーへの正式復帰となる一台であった。
2015年にはグループR3 規定初となる後輪駆動 のラリーカー、「GT86 CS-R3」をプライベーターに向けて発売[ 66] 。2018年からはCS-V3・CSカップ・CS-R3で参戦できるワンメイクレースの「TOYOTA GAZOO Racingトロフィー」を開催している[ 67] 。2017年にはERC王者のルカ・ロセッティとGT86 CS-R3を擁して、ERC3にワークス参戦体制でスポット参戦している。
2019年にはグループGT4 仕様のGRスープラ の開発を正式に発表、翌2020年から販売することを発表している。
余談
TTE/TMGのファクトリーで制作されたトヨタのワークスマシンには、『K-AM』(K=ケルン 、AM=アンダーソン・モータースポーツ)が入っているナンバープレート が装着されており[ 68] 、欧州のラリー 愛好家からの人気が高い[要出典 ] 。また、WRCプロジェクト最初期にTMGで作られたヤリスのWRCテストカーにもK-AMで始まるナンバープレートが装着されている[ 68] 。
ファクトリー内部にはTTE時代から現在に至るまでTMGが製造したレーシングカーとコンセプトカー全てが保管されているが、一般には公開されていない[ 69] 。
2016年ニュルブルクリンク24時間に参戦した日本のGAZOO Racing は、レクサス・RC の「あるパーツ」に不安を抱えていたが、日本人スタッフたちはそれを作り直すのに月単位で時間がかかると見ていた。しかし現場にいた専務の嵯峨宏英がTMGに依頼したところ、その部分の対策パーツを一晩で開発・製造して届け、日本人スタッフたちに強い衝撃を与えた[ 70] [ 71] 。決勝でもトラブルなくクラス2位で完走を果たした。
ル・マン24時間ではガレージ内のスタッフほぼ全員が体操をしている様子がよく映されており、風物詩の一つとなっている。
パートナー
WEC
詳細はTOYOTA GAZOO Racing公式サイト[ 72] を参照。
WRC
詳細はTOYOTA GAZOO Racing公式サイト[ 73] を参照。
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
現在の関係者※ 過去の関係者 現在のドライバー 過去のドライバー 車両 関連組織
※役職等は2023年 4月時点。
1998年 - 1999年 LMGT1 / LMGTP
1989年 - 1993年 IMSA GTP
1968年 - 1970年 グループ7
関連項目