佐藤 浩二(Koji Sato、さとう こうじ、1955年2月3日 - )は、愛知県出身の元レーシングドライバー、レースエンジニア。1985年の全日本F3選手権チャンピオン。
略歴
1977年の鈴鹿シルバーカップ・TS1300クラス(ツーリングカーレース)でレースデビュー。1980年に鈴鹿シルバーカップ・サルーンでチャンピオンを獲得。
1982年からFJ1600にステップアップし、同年はランキング3位。1983年はランキング2位の成績を収め、1984年より全日本F3選手権にステップアップする。
F3では参戦初年度の1984年最終戦で優勝し、シリーズ3位を獲得。以後6年間にわたって年間ランキング3位以内に入り続ける活躍を見せた。1985年にはシリーズチャンピオンを獲得する。1988年からは新規参入の無限・MF204エンジンの開発も務めた。全日本F3での通算11勝、表彰台登壇31回という記録はいずれも歴代1位である[1]。
全日本F3と並行して全日本ツーリングカー選手権や全日本耐久選手権にも参戦した。
1990年、国内フォーミュラ最高峰カテゴリーの全日本F3000にフル参戦。1991年からはN1耐久シリーズを中心に活動。1992年からはN1耐久に出場しながら、中嶋企画のF3チーム監督を務めるようになり、中嶋企画のスタッフとなった。
1993年は中嶋企画F3000チームディレクター、1994年からはエンジニアとしてチームを支え、1995年は同チームの黒沢琢弥車の担当エンジニアとなった[1]。なお、以後も全日本GT選手権ではドライバーとして参戦した。
このほか、ホンダレーシングスクール鈴鹿(HRS / 旧SRS-F)の主任講師も務めている[2]。
主な参戦歴
- 1982年 - FJ1600
- 1983年
- 1984年
- 全日本F3選手権
- 全日本耐久選手権(スポット参戦)
- 1985年
- 全日本F3選手権(シリーズチャンピオン)
- 全日本ツーリングカー選手権
- 全日本耐久選手権(スポット参戦)
- 1986年
- 1987年
- 全日本F3選手権
- 全日本ツーリングカー選手権
- 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(スポット参戦)
- 1988年
- 1989年
- 全日本F3選手権
- 全日本ツーリングカー選手権
- 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(スポット参戦)
- 1990年
- 全日本F3000選手権
- 全日本ツーリングカー選手権
- 1991年
- 全日本F3000選手権(スポット参戦)
- 全日本F3選手権
- 全日本ツーリングカー選手権
- N1耐久シリーズ
- 1992年 - N1耐久シリーズ
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年 - スーパーN1耐久シリーズ(スポット参戦)
- 1998年 - 全日本GT選手権(スポット参戦)
全日本F3選手権
全日本F3000選手権
全日本ツーリングカー選手権
全日本GT選手権
脚注
- ^ a b Asking-On F3チャンピオン佐藤浩二とは Racing On No.189 106頁 1995年4月14日発行
- ^ 講師紹介 HRS Honda Racing School
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全日本F3選手権 |
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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スーパーフォーミュラ・ライツ |
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フォーミュラ・リージョナル ジャパニーズ・チャンピオンシップ |
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