長坂尚樹

長坂 尚樹
生誕 (1953-04-24) 1953年4月24日(71歳)
日本の旗 日本 愛知県
職業 レーシングドライバー
運輸業経営者
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長坂 尚樹(ながさか なおき、 Naoki Nagasaka, 1953年4月24日 - )は、日本の元レーシングドライバー[1]愛知県出身。

有限会社エヌサービス 代表取締役社長[2]

経歴

全日本F2000選手権全日本ツーリングカー選手権(JTC)、全日本GT選手権(JGTC)などで活躍し、スーパーシルエットレースではオートビューレック・モータースポーツBMW・M1を駆り長谷見昌弘星野一義柳田春人の「日産ターボ軍団」に挑む存在として注目された[3]富士ロングディスタンスシリーズでは佐藤文康のコンビで1982年シリーズチャンピオンを獲得する[4]。1984年WEC-JAPANでは、オートビューレックのロテック・M1C BMWでC2クラス優勝を記録している(鈴木恵一とのコンビ)。

JTCでは、初年度の1985年にBMW・635で、1987年にはフォード・シエラでディビジョン3 クラスチャンピオンを獲得した[5]

1998年、愛知県を本拠とする運送業「有限会社エヌサービス」を立ち上げ、代表取締役社長として三河地区の自動車産業・運送業界の発展に尽力している。

エピソード

1976年、鈴鹿サーキットで行われるGCレース「ビッグジョントロフィー」に参戦予定だった富士GCトップランカーの藤田直廣が、富士側の主張する「鈴鹿に出場したレーサーは以後富士GCに出場させない」という反発により代役が必要となり、藤田はエンジンチューナー松浦賢に相談した。松浦はFL500で優勝し始めていた中嶋悟の走りに注目していたので、エンジンメンテを担当していたヒーローズレーシングに当時いた長坂に「FL500に出てた中嶋って知ってる?どんな感じの子?」と質問をした。長坂の「知ってますよ、ガソリンスタンドやってる岡崎の子です。すごくいい子ですよ」という言葉を聞くと松浦は「今すぐここから中嶋に電話せい」と中嶋の起用が決まった。長坂は中嶋にとって初のビッグレース出場の橋渡し役となった[6]

レース戦績

FJ1300

チーム 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1978年 スピードスター JRプロポ KS-06B SUZ TSU
FSW TSU
SUZ
4
TSU
SUZ
1

全日本F2選手権

所属チーム 使用車両 車番 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1975年 UNI-PEX ヒーローズレーシング マーチ・722 BMW M12/6 7 FSW
SUZ
FSW
SUZ
8
SUZ
Ret
15位 3
1976年 マーチ・722 BMW M12/7 24 FSW
2
SUZ
8
FSW
SUZ
SUZ
9位 15
1979年 スピードスター レーシング マーチ・782 21 SUZ
10
NIS
Ret
SUZ
7
FSW
7
SUZ
Ret
SUZ
10
SUZ 13位 10

世界耐久選手権 (WEC)

所属チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1982年 オートビューレック 日本の旗 佐藤文康 BMW・M1 C1 MNZ SIL NÜR LMN SPA MUG FSW
4
BRH 46位 10

全日本ツーリングカー選手権

チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1985 Auto Beaurex 日本の旗 茂木和男 BMW・635CSi DIV.3 SUG
Ret
TSU
1
NIS
1
SUZ
4
FSW
3
1位 97
1986 日本の旗 茂木和男 DIV.3 NIS
2
SUG
11
TSU
Ret
SEN
14
FSW
8
SUZ
3
1987 Object T 日本の旗 見崎清志 フォード・シエラ DIV.3 NIS
Ret
SEN
2
TSU
1
SUG
Ret
FSW
2
SUZ
1
1位 100
1988 日本の旗 横島久 (Rd.1-3)
日本の旗 津々見友彦 (Rd.4-6)
日本の旗 清水和夫 (Rd.6)
JTC-1 SUZ
2
NIS
Ret
SEN
1
TSU
Ret
SUG
3
FSW
Ret
1989 DUNLOPシミズ ブラジルの旗 マウリツィオ・サンドロ・サーラ
アメリカ合衆国の旗 ジェフ・クロスノフ (Rd.2,6)
JTC-1 NIS
1
SEN
Ret
TSU
Ret
SUG
Ret
SUZ
Ret
FSW
Ret
1990 City Life 43 日本の旗 従野孝司(Rd.1-5)
イギリスの旗 クリス・ホジェッツ(Rd.5-6)
フォード・シエラRS500 JTC-1 NIS
12
SUG
Ret
SUZ
Ret
TSU
7
SEN
5
FSW
9
36
1991 FET Recing 日本の旗 見崎清志 JTC-1 SUG
3
SUZ
Ret
TSU
16
SEN
Ret
AUT
Ret
日本の旗 見崎清志 日産・スカイラインGT-R FSW
5
1992 日本の旗 見崎清志 JTC-1 TIA
3
AUT
Ret
SUG
7
SUZ
Ret
MIN
Ret
TSU
Ret
SEN
Ret
FSW
5
13位 28
1993 日本の旗 見崎清志 JTC-1 MIN
Ret
AUT
Ret
SUG
5
SUZ
Ret
TIA
Ret
TSU
7
TOK
4
SEN
3
FSW
2
13位 49

全日本GT選手権

チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1995年 FET RACING TEAM 日本の旗 見崎清志 (Rd.1) トヨタ・スープラ GT1 SUZ
8
FSW
5
SEN
10
FSW
4
SUG
Ret
MIN
Ret
12位 22
1996年 910 RACING 日本の旗 袖山誠一 ポルシェ・911 RSR GT300 SUZ FSW
1
SEN
4
FSW
1
4位 50
トヨタ チーム サード フランスの旗 アラン・フェルテ トヨタ・スープラ GT500 SUG
7
MIN 20位 4
1997年 POWER CRAFT オーストラリアの旗 ワイン・ガードナー(Rd.3)
デンマークの旗 トム・クリステンセン(Rd.5-6)
GT500 SUZ FSW SEN
7
FSW MIN
4
SUG
6
12位 20

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 順位 クラス
順位
1990年 日本の旗 トヨタ・チーム・サード オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー
フランスの旗 ピエール=アンリ・ラファネル
トヨタ・90C-V C1 241 DNF DNF
1991年 オランダの旗 ユーロ レーシング
日本の旗 チーム・FEDCO
日本の旗 見崎清志
日本の旗 横島久
スパイス・SE90C C1 326 12位 1位
1993年 日本の旗 サード Co. Ltd.
日本の旗 Y'sレーシングチーム
オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー
イタリアの旗 マウロ・マルティニ
トヨタ・93C-V C2 363 5位 1位

脚注

  1. ^ Driver Database”. www.driverdb.com. 2019年11月11日閲覧。
  2. ^ 社長挨拶 有限会社エヌサービス
  3. ^ 悲劇のスーパーカー「BMW M1」イタリア+ドイツの最強コラボだったのに失敗した理由とは オートメッセ 2021年7月30日
  4. ^ BMW M1 日産ターボ軍団に立ちはだかった立役者 オートスポーツ 2022年11月15日
  5. ^ 【グループAの名車 03】1983年ETCの覇者がやってきた!「ハルトゲBMW 635CSi」が1985インターTECで3位に入る - Webモーターマガジン”. web.motormagazine.co.jp. 2021年10月24日閲覧。
  6. ^ 「走る人生」中嶋悟20年の軌跡 意識は世界に グランプリ・エクスプレス1991年ポルトガルGP号 12-13頁 1991年10月12日発行

関連項目

外部リンク

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!